ひとりの剣聖
スキル『赤スモーク』。スキルツリーから手に入れたまだ誰にも見せていないスキルだ。これでうまく正体を隠し、コンプライアンスも守り抜くことに成功した。
頭と股間を隠せればスキル『黒い靄』でもよかったが、あっちはわりといろんな人に見せてしまっている。なので金輪際『赤スモーク』を人前で使わないという制約のもと、全力で身元を隠すことにした。
「変態レッドスモークの噂、聞いたか、同志赤谷」
「ええ、まあ、女子寮に降臨したというやつですよね」
おかしい、休日だというのに、朝からみんなの噂になってしまっている。
身元を隠すことに全力を尽くしたばかりに、事件を必要以上におおきくしてしまったようだ。
「そう、それだ。学校の噂話など興味はないのだが、俺の耳にさえ入ってきた。世の中にはとんでもないことをするやつがいたものだよな。俺やお前など比べものにならないホンモノだ」
「そうですねえ……」
「次世代の特級無法生徒かもしれない」
あの薬膳先輩でさえうならせるほどの無法者になっちまったよ。
「そんなことより、薬膳先輩、昨日俺にぶっかけたあの『人間を猫に変える薬』、あれ文化祭で展示しないほうがいいですよ。絶対に」
「まあそれもそうだな。あの薬にはいくつか副作用があることも判明したしな……(小声)」
「え? なにか言いました?」
「いいや何も? 大丈夫だ、赤谷。お前ならトラブルには慣れてるだろう。うまく対処できるだろうさ」
「?」
薬膳先輩は薬の改良をするとかで、去ってしまった。ごにょごにょ言ってたが、あの人は狂ってるだけで悪意のある人間ではない。危険なことはないだろう。
昼、俺は志波姫に呼び出された。
いつもの「壁、開けてくれ」というやつだ。
「志波姫、お前のほうが強いぞ」
099号室のまえで、俺は迷っていたことをもう一度告げることにした。
志波姫はこちらへ振りかえる。
「これは風の噂で聞いたんだが……剣聖ってひとりしかなれないんだってな」
志波姫は肘を抱いて首をかしげる。
「赤谷君、どこでそれを聞いたの?」
「とある情報筋から、だな」
猫谷誠は聞いた。
志波姫が猫に吐露した思いを。
飛影との会話を。
志波姫家と剣聖。
彼女が抱える悩み。
でも、その全貌は知らない。
俺が知ってるのは『剣聖はひとりだけ』という話だ。
「剣聖がひとりだけってどういう意味なんだ」
「どうしてそんなに知りたがるの。赤谷君には関係のないことでしょう」
「それはそうだけどよ……」
それを言われたら、俺はなにも言えない。
事実、志波姫家のことなど俺が首をつっこむ話題でもない。
わざわざ踏み込む関係でもない。それはそうなんだ。でも……。
「……。赤谷君、あなたはわたしのほうが強いと言うけれど、それはありえないことなの」
「でも、実際おまえのほうが──」
「それは間違いよ。兄こそが本物の剣聖なのだから。わたしは紛い物でしかありえないのよ」
「本物の剣聖って……それじゃあ『剣聖』のスキルがお前にはないとでも?」
志波姫は肘を抱く手に力をこめたようだった。
「えぇ、わたしは持たざる者よ」
「そうだ、ったのか」
「これがわたしが兄に勝てない理由よ。満足したかしら」
「……一応は」
「それはよかったわ」
「でも──」
でも、お前は満足してないんじゃないのか?
勝てないとわかっているとするなら、どうしてお前はこんなにも挑むんだ。
そう言おうと思ったが、俺らしくない言葉だと思い、呑みこんでしまった。
踏み込みすぎだ。俺と志波姫の関係はあくまで憎しみあうだけのものだろう。
俺は「いや、なんでもない」と言葉を締め、099号室に挑む彼女を見送った。
志波姫はきっと、彼女にとって大事なことを話してくれたんだと思う。
でも、それは俺をすっきりさせるものではなかった。
彼女の固執と、その心の内を知れたわけではないのだ。
そこにある思いを、外側から観測しているに過ぎないのだ。
あの時、もう一歩踏み込んで聞けてたなら、ちいさな後悔は時間が経つにつれ、その影をおおきくしていった。
日は落ちて暗くなってきた。気温もさがり、肌寒くなる。
俺はなにか温かい物を買おうと教室棟の自販機に立ち寄った。
ココアか、コーンスープか、あるいはおしるこか。何にしようか。
「おや、セキヤくん」
「お前は……八神」
自販機前にはいつだって先客がいる。
なんの偶然か八神蒼也は、いつかの朝のようにそこでベンチに腰掛けていた。
「自販機のレパートリーが変わったと聞いて、さっそく来てみたけど、けっきょく変わってないみたいだよ」
「本当だ。ココアもなければ、コーンスープもない」
「あとおしるこもね」
八神は怪物エナジーをちゃぽちゃぽ揺らしてつぶやく。
「もしかしてなんだけど、志波姫さんのことで何か聞きたかったりしないかい」
「どうしてそう思ったんだ」
八神は気だるげな眼差しを送ってくる。
「飛影ちゃんに話を聞いてね。恐い顔でせまられたよ『貴様、神華さまのことをあの男に話したな?』ってさ」
「それは不幸な目にあったな」
「本当だよね、まったく。彼女は俺のことが好きじゃないんだ。いつだって目の敵のようにしてる」
肩をすくめる八神。所作がいちいち二枚目のそれだ。
「セキヤくんさ、どうして志波姫さんのことを調べてるの?」
「別に調べてるわけじゃないけどな。語弊を生む表現だ」
「まぁなんでもいいけどさ。僕は君になにも話すなって、飛影ちゃんに釘を刺されちゃって」
「なるほど。それじゃあ、お前からはなにも聞き出せないってことか」
「そうでもないかもね。釘を刺したつもりでも、その先端が刺さってるとは限らないだろう?」
「まあ、それはそうだろうけど」
こいつは見た目通り、あんまり信用ならない男ということか。
だが、その信用のなさがいまは唯一の情報源なのかも。
「ねえ、なんで飛影ちゃんはあんなピリピリしてるの? 教えてくれたらさ、セキヤくんが知りたいこと、もしかしたら教えてあげられるかもしれないよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます