猫谷誠は抱っこされたり話しかけられる

 目が覚めた時、俺はタオルのうえに移動させられていた。

 わかる。猫って足のうえ乗りたがるけど、ずっと乗せてると、猫の重みで足が圧迫されて血がとまってる感じしてくるんだよな。


 林道は黙々と勉強に集中してる。俺は黙したまま首をもたげ、その横顔を見つめる。

 この陽キャ女がこれほどに勉強に打ち込んでいる姿は初めてみたかもしれない。

 当人は探索者としての才能に恵まれないとかで悩んでいたが……彼女も自分の進む道を見つけられたように思える。これで群馬を救えるようになるかな。


 邪魔をしては悪いだろう。俺は『形状に囚われない思想』で壁の形を変化させ、静かに林道の秘密基地をあとにした。

 

「みゃあみゃあ(訳:しかし、この猫状態いつになったらもとに戻るんだ?)」


 柔らかい身体と四足歩行は未知の領域ではあるが、それゆえに新鮮で、思い通りに動かすだけでなんだかとっても楽しい気分だ。人間を十何年もやってれば、自分の身体の動きにいちいち楽しさも感動も覚えない。でも、子どものころは走り回って、はしゃいで……それだけで楽しかった。きっとそうした生物が幼年期に感じる無垢なるワクワクを俺は感じているのだろう。


 これが永遠に人間に戻れないとかじゃなければ、わりともっと猫でしか体験できないことをいろいろやっておきたい感じにはなってきていた。俺、わりと余裕あるようだ。


「みゃあ(訳:むむ、あれは)」


 正面から走ってくるのは銀髪の美少女だ。ランニングウェアを着込み、軽快にコースを走っている。アイザイア・ヴィルトは休日でもトレーニングに励む。探索者見習いの鑑だ。


「ん、猫」


 道端で見つめてると、その美少女は足をとめた。

 俺の近くまで来るとしゃがみこみ、頭を撫でてくる。


「珍しい。校内に猫なんて。君、どこからきたの?」

「みゃーお」

「なにを言ってるかわからないよ」


 ヴィルトは抑揚の乏しい声でそういって、俺を顔を両サイドからおさえ、揉みこみながらわしゃわしゃしてくる。マッサージされてるみたいで気持ちがいい。


「なんだか目が赤谷みたいだね」


 お前もそこには気づくのか。


「可愛い子だね」


 撫でられまくっていると、身体が勝手に芝生に寝ころんでしまう。くっ、こんなことしたくないのに、身体が言うことを聞かない。我が猫の身体は、さらなるなでなでを勝手に所望し、ヴィルトは答えるように俺のお腹をなでまくってきた。


「みゃ、みゃぁ……!」

「ここが気持ちよいんだ。素直な猫だね」

「みゃあ……!(訳:よ、よせ、これ以上は、俺の人間としての尊厳が……っ!)」


 やがて抱っこまでされてしまう。豊かな双丘にしたから押し付けられるように抱きしめられた。猫の身ではそれがお腹に乗っかってくるだけでけっこうな重みを感じる。息苦しさと卑猥な柔らかさの二重構造。ピンッと伸びた前足で胸を押し離すように動かす。


「綺麗な猫。だれかに飼われてるんだ」

「みゃあ!(訳:そんなことより、この俺を潰そうとする巨星をなんとか!)」

「ん、志波姫、良いところに」

「みゃあ!?(訳:志波姫!?)」


 ヴィルトの双丘を踏み踏み押し離そうとしてた前足をとめ、俺はいつの間にかすぐ近くにきていた氷の令嬢をみやる。


 死んだ。確定的な運命。逃れることはできない。

 言い逃れできない現行犯として、俺は裁かれるのだろう。

 と、思ったが、いまの俺は猫だった。いかに志波姫とて見抜くことはできまい。


「どうしたの、ヴィルト、その猫」

「可愛いでしょう」

「あまりそういうものに興味はないの」


 志波姫は言って、肩にかかった黒髪をはらい、澄ました顔をする。

 ヴィルトは俺をぎゅーっと抱きしめてきて、頬をこすりつけると、すんすんっと匂いを嗅いできた。猫吸いだあ!

 熊に内臓を食い荒らされるシャケみたいな姿勢でもがいていると、志波姫が目を細めて、口を半開きにしてこちらを見つめていることに気づく。


「……」

「綺麗な猫なんだ。きっと飼い主がいると思う。人間にすごく慣れてるし。どこからか逃げてきちゃったのかも」

「そう」

「このあとすこし用事があって。この猫ちゃんの飼い主を探すことができないんだ」

「そう……」

「志波姫って猫が好きだから、たぶん学校の猫飼いも網羅してると思うんだけど」

「憶測でものを言うのはやめてくれるかしら。特に好きというわけではないわ。むしろ興味のない部類ね」

「ふーん」

「……なに、その顔」

「別になんでもないよ」

「……んん。このあとわたしも暇というわけではないけれど、どうしても外せない用事があるというわけでもないわ」

「よかった。それじゃあ、この子を無事に飼い主のもとまで届けてくれる?」


 ふたりだけの会話というのを始めて聞いた気がする。猫になると他人の知られざる姿を期せずして見られるな。なかなかに興味深い体験だ。


 俺はヴィルトの豊かな胸元から離され、地面にちょこんっと降ろされた。


「ついてきなさい、猫」

「みゃ、みゃあ……」

「良い子ね」


 志波姫に追従していく。彼女はいま体操着ジャージ姿なので、下から見上げても何かが視認できるというわけではない。なのであまり気を遣わずに、下から彼女を見上げることができる。


「ここで良いわ」


 志波姫は人気のない校舎の影にやってくると、周囲を注意深く警戒し、誰も見てないことを確かめたのち、膝をおり、俺と目線の高さを近づけてきた。


 ワクワクした表情で、頬をうっすら染め、膝に手をおいてじーっと凝視してくる。見たこともない顔だった。


「本当に良い子ね。どこにも逃げずについてくるなんて」


 白くしなやかな人差し指が、俺の鼻のうえを慎重に撫でた。優しい手つきだった。


「にゃあ、にゃ~、にゃ~」


 期待する眼差しで志波姫が話しかけてくる。

 俺はとても申し訳ない気持ちになった。


「にゃあ、にゃあにゃあ~?」

「みゃ、みゃあ……」

「にゃあにゃあ~♪」

 

 志波姫は見たことないご機嫌さで、うんうんとうなづき笑顔になった。

 この秘密は墓場までもっていこう。そう思った。

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