結局マグカップは渡していいってこと?
ヴィルトがなんでちょっと気まずそうにしているのかはわからないが、この箱が気になることはわかる。
「赤谷、まずいよ、浮気は……」
「え?」
「いや、だって、ふたり……」
林道はなぜか今にも泣きだしそうな顔で、俺と志波姫を交互にみてくる。
「ヴィルトさんもだめだよ、赤谷にはもう心に決めたひとがいるんだよっ!」
「え、そうなの?」
「そうなの?」
全員の頭のうえに疑問符が浮かんだ。
林道はポロポロ泣きながら、崩れ落ちる。
「私、ヴィルトさんとひめりんに喧嘩してほしくない、よぉ……っ、絶対、殺し合いみたいになっちゃうって……」
「とりあえず落ち着きなさい、林道さん。あなたは何の話をしているのかしら?」
鼻をすすりながら林道は語った。
志波姫と俺が付き合っている衝撃の事実を。
ヴィルトのマグカップを受け取るなんて浮気であると。
最終的にこれは俺のことを非難しているのだと。
「いや、俺かよ。てか、俺と志波姫が……んなわけないだろ」
「林道さん、流石にわたしでも怒ることはあるのよ」
志波姫は腕を組んで、目元に深い影を落としていた。そんなに嫌がらなくても……いや、俺だってこんな嫌な女は願いさげだ!
「え、ふたり付き合ってたの?」
何もわかってないヴィルトは、動揺した顔で俺と志波姫を交互にみてくる。
「だからそんなわけがないだろ」
まったくもってどこからこの誤解が生まれたのかわからない。
話を遡ってみると、どうやら林道は花火大会で俺たちがいっしょに花火を見ているところを目撃したらしかった。
「すべては偶然だな。その日はいろいろあって──」
「わたしは赤谷君がセクハラ妖怪になるのを防ぐためにリードをつけていただけよ」
俺たちは経緯を林道に説明した。その過程で俺は九狐先輩にセクハラしようとしていた冤罪がでっちあげられ、3者から軽蔑の視線を受けることになったが、これは絶対に必要のなかったことだと思う。
「そっかぁ……ふたりってまだそういう感じじゃないんだぁ……」
「まだというか永遠にありえないが、こんな嫌なやつ」
「わたしがこの淡水魚を選ぶ理由が1つも存在しないことは、冷静に考えればわかることよ。温かいご飯が目の前にあるのに、わざわざ机のしたの埃をつまんで口に運ぶことはしないでしょう」
「誰が埃だ」
志波姫は目をつぶり、澄ました顔で肩にかかった髪をはらった。
「そっか。それじゃあ、結局マグカップを渡してもいいってことだね」
「…………そうね」
「あー…………うん、まあ、そうだねえ……」
志波姫と林道が歯切れ悪くなるなか、俺はマグカップを改めて渡された。スイスでは普通のことなのに、日本ではさまざまな意味が生まれてしまう。文化交流って難しいことですね。
紙袋をバックにしまって、3人のところにもどってくると、皆で箱を囲んでいた。
志波姫は胸のまえで腕を組み、ちいさく首をかしげた。
「これは何なの?」
「赤谷が知ってるよ!」
「赤谷君、答えなさい。これはなに」
「床下から出てきた、なんかだ」
「床下から」
彼女は興味ありげにし、カバンをがさごそまさがりだす。
そして、木の棒を取りだした。艶のある箸よりすこし太くて長いやつ。
俺はそれを知っている。魔術の杖とよばれるアイテムだ。
教科書に書いてあった。魔術を使いやすくする道具だとか。
「なんでそんなの持ってるんだよ」
「今日から魔術の授業がはじまるのはわかっていたでしょう?」
「準備いいな、おい」
「ひめりんすごー!」
「……別にすごくはないわよ」
林道にキラキラした眼差しを向けられる志波姫。
口ではああ言っているが、満更でもなさそうで、肩にかかった黒髪をパサッと払っている。嬉しそうです、この人。林道に甘くないですかね。
続いて取り出したるは魔術概論の教科書。
「後ろのほうのページに解錠魔術というものが載っていたわ。それを試してみましょう」
「後ろのほうってことは難しいってことじゃないか?」
「志波姫ならできそう」
俺の疑いとは裏腹にヴィルトは全幅の信頼を氷の令嬢に向けているらしい。
志波姫は咳払いをひとつ「開け」と言いながら、杖先でトントンっと箱をたたいた。
しばらくの沈黙。
「開かないが?」
「すこし静かになさい」
志波姫はもう一度「開け」と言いながら、トントンっと箱をたたく。
「なるほど。どうやら開かないようね」
「さしもの志波姫も魔術をあつかうには苦労するというわけか」
「すこし静かにしてくれるかしら、赤谷君。あなたHP1なのよ」
「そ、それは『間違えてつい殺してしまうかもしれないから、あまりわたしを怒らせないでくれる?』ってことか……?」
志波姫はチラッと視線をこっちに向けて、箱にすぐ意識をもどす。そういうことらしいです。
「この箱、開かないわね」
「解錠魔術って鍵を開けられるものなの?」
「そのはずだけれど。魔術は作用していると思うわ。間違えてはいないはず」
「こんなのこじ開ければいいんじゃねえか?」
俺は箱を手に取り、その口の隙間に指を差し込もうとする。
だが、隙間はこれっぽっちも開かない。
ならばいい。そっちがその気なら俺にはやりようがある。
この箱は金属製だ。ならば我がスキル『筋力で金属加工』と『形状に囚われない思想』の餌食よ。
俺はスキルで箱自体の形状を変化させてやろうとし……吹っ飛ばされた。
箱に干渉しようとした瞬間、見えざる衝撃波がうまれたのだ。
俺の背中が受け止められる。志波姫が大事にキャッチしてくれていた。
「ひぃ……」
俺はあまりの恐怖に身体は動かなくなる。
なぜなら俺のHPは1しかないのだから。さっき志波姫にダメージ管理されてしまっているのだから。恐る恐るステータスを見やる。まだHP1ある。よかった。
「赤谷君、もう何もしないほうがいいわね」
「た、たすかった……」
志波姫の0.3の起伏と柔らかさから離れるのを惜しみながら、そっとたちあがる。彼女がいなければ壁に背中でもぶつけて、そのままぽっくり逝ってたかもしれない。
「あの箱、やべえぞ、反撃してくる」
「そのようね。なんらかの防御系の神秘が施されているようだわ。スキルか、異常物質か、魔術か、はたまた別物か、現状ではなんとも言えないけれど」
翌日から俺たちの箱開けがはじまった。
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