ツリーガーディアン 5

 ツリーキャットは騒ぎの現場からすこし離れたところで、巨大な怪物が森を侵食し破壊するさまを見ていた。


「にゃーん、にゃん(訳:ツリーガーディアン……いにしえの怪物、祝福の守り手。もしあれが本当の本当に、かつて栄えた神樹の聖なる獣なら、とてもじゃないけど今の赤谷君や志波姫ちゃん、あそこにいる生徒たちが束になってかかっても倒しきることはできないにゃん……)」


 ツリーキャットはおぼろげに脳裏に浮かんでくる失われた記憶のなかに、かの獣の大いなる力がふるわれる光景の、その片鱗をもっていた。その力たるや、語ることすら恐ろしいもので、英雄高校の生徒はおろか、ダンジョンで実際に怪物と戦っている現役の探索者でさえ歯がたたない。


「にゃん(訳:残念だけどここは引いたほうが賢明だにゃ。あとはダンジョン財団に任せるしかないにゃん。森の里キャンプ場は……諦めるしかにゃい。赤谷君たちだけなら、あの鳳凰院君の翼で逃がすこともできるはずにゃん。私もいまのうちに)」


 ツリーキャットは巻き込まれないうちに、ぴゅんぴょんっと跳ねて木々を移動し避難しはじめた。

 大雨に毛並みを濡らしながら、辟易した気分で逃げていると、淀んだ空を横切ってまっすぐツリーガーディアンに向かっていく飛行体が目についた。


「にゃにゃ!」


 ツリーキャットは足をとめ、いや、手をとめ、茫然とそのさまを見つめる。


「にゃん(訳:みんな諦めてないにゃん……!)」


 森の里キャンプ場では林道琴音と雛鳥ウチカ、フラクター・オズモンドによる避難指示が飛び交っていた。林道がいちはやくキャンプ場に戻り、事態を伝えたのである。

 大地を揺らし近づいてくる巨大なツリーガーディアンの姿はすぐそこに迫り、小学生たちはパニックになっていた。


「落ち着いて、避難して!」

「班をつくって、足りない子がいないか確認を!」


 懸命に声をあげる林道と雛鳥を横目にオズモンドは車の扉を半開きにし、森をわけてせまってくる怪物をみながら、スマホでダンジョン財団の緊急窓口に連絡をいれていた。


「もしもし、英雄高校のフラクター・オズモンドです。緊急連絡です、ダンジョンブレイク発生、ダンジョンブレイクが発生です。外界で正体不明の巨大モンスターが暴れてる。湧出ダンジョンは未確認。脅威度S以上、至急対応を求めます」


 天空では鳳凰院による戦力投下が行われていた。


「これより四段階ブレーキ作戦を開始する。志波姫神華、発射!」


 赤谷の掛け声のもと志波姫が放たれた。


 ちいさなその影が空から落とされるなり、ツリーガーディアンはめざとく反応し、樹の根で貫かんと、数十本からなる嵐のような攻撃を開始する。

 

 志波姫は最初の木の根に撃ちぬかれる直前に身をひるがえし、その根を足場して蹴って、自由落下のなかで落下軌道を変化させ攻撃を身軽にかわし、その刃で根をバシバシ刻みながら、一気にツリーガーディアンのもとへ向かっていく。


 迫りくる志波姫という脅威をツリーガーディアンは完全に無視するわけにはいかない。

 その進行速度はすこしゆっくりになった。最初のブレーキはうまく機能した。

 

 福島と薬膳は鳳凰院にもたれたまま、その力を行使した。

 瞳をつむり、闇を放出することだけに集中する福島。

 薬膳は気体操作によって、放たれる闇をツリーガーディアンの進行方向へ壁にして展開していく。


「巨人がきてもこの高さは越えられまい」

「こんな高さで展開するの初めて!」


 地上より100mの高度で放たれた闇は薄く引き伸ばされ遮光カーテンのように、森の里キャンプ場と、ツリーガーディアンの間に長城を築いていた。もともと大規模な展開を可能にしサッカーコートくらいの広さなら覆い尽くしてしまうほどスキルコントロールに優れていた福島のスキルは、しかし、高度を出すことを苦手としていた。


 出来たとしても一時的に数メートル級の壁を展開する程度だ。

 しかし、鳳凰院と薬膳という協力者を得たことで、その効果範囲はかつてないほどに拡大していた。


(私は闇を生成することだけに集中していいのもやりやすいや。闇の軌道はこの狂気の科学者がやってくれるし!)

(この黒い霧……気体だが、気体じゃない。スキル適用範囲のラインを反復横跳びしてる気分だ。めちゃくちゃ重たいぞ)


 薬膳は顔をまっかにし、額に青筋を浮かべ、鼻血をしたたらせる。

 それでも任された役目は遂行する。


 闇の巨大カーテンは、水面に墨汁を垂らしたみたいに地上へ落ちていき、ついに地表に到達、世界を分断する偽りの壁をつくりだした。


 だが、それは物理的な制止力をもたない壁だ。

 飛び込めば通り抜けられる。ツリーガーディアンにも先ほど闇の性質を見抜かれている。


 ゆえに怪物は志波姫をわずらわしく思いながらも根の先端でそれを破ろうとしたのだろう。


 根の先端は闇を貫通することができなかった。

 暗黒の遮光カーテンは硬かったのだ。


 巨大な壁を挟んで森の里キャンプ場側、赤谷はその手を闇に添えていた。

 瞳を閉じて、呼吸を整え、『スキルオーバードライブ』で強化した『形状に囚われない思想』を闇の壁に付与していた。


 赤谷は暴走しようとする力に首輪をかける。

 『形状に囚われない思想』に『スキルオーバードライブ』するのは初めてのことだ。

 かつて触手で福島を襲ってしまったように暴走するリスクは高かった。


(俺は誰だ。赤谷誠だろう。これまでたくさんスキルを手懐けてきた。羽生先生にだって褒められたマルチスキル使いだ。『かたくなる』も『やわらかくなる』もよく知ってる。毎日積みあげてきただろう。日々の研鑽が俺のなかにはあるはずだ。ならばできるはずだ。いまやらなくてどうする。お前はやれる)


 死線において赤谷は最大のちからを発揮する。

 積み上げた日々は自信となり『スキルオーバードライブ』を成功させた。


 強化された『形状に囚われない思想』により硬度を付与されたことで、赤谷が空気を固くしたのと同じように、闇は物質的な障害物に昇格した。


 森の里キャンプ場まであと20mというところで怪物の進行は阻まれた。

 2つ目のブレーキも成功した。


「やった! とまった!」


 上空で福島は黄色い声をあげた。

 

(よし、次だ)


 赤谷は静かに目をあけ『浮遊』で浮かびあがり、天へ手のひらを向けた。

 鼻と耳から血が流れでてくる。瞳が震える。

 雨男との戦闘で自壊した右腕をかかげ、天を掌握しようとした。


(大丈夫だ、俺ならできる……)


 その時、世界の時間が停止した。

 ザーザーと降りしきる雨は重力を否定した。

 雨粒ひとつひとつがその場で静止した。


 その光景はどこか神を感じさせるものだった。

赤谷がオーバードライブして発動した『屈曲する時間ベンドタイム』──そのちからの及ぶ範囲は、とても広く、実に半径50mに及んで天よりふってくるすべての落下物のもつ運動量をいちじその場に縫い留めてしまっていた。


 これが3つ目のブレーキ。

 化け物を封じる質量は天よりもたらされるのだ。

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