ひめりん

 昼下がり、1時間ほど川で過ごした英雄高校ボランティア部隊は、キャンプ場へと戻る運びとなった。


「赤谷、さっきは派手に濡れてたけど、大丈夫だった?」


 キャンプ場への帰り道、林道が隣に並んでくるなり、ずいっと顔をよせてきた。惜しげもなく晒される谷に視線が落ちそうになるが、意志の力でおさえきる。精神ステータス100,000なければこの万乳引力には逆らえなかっただろう。


「大丈夫っちゃ大丈夫じゃねえかな。祝福者は風邪なんかひかないだろ」

「そうでもないらしいよ。祝福者だって内側からの不調には弱いってきくし」

「そういうもんなのかな。これ風邪とか引いたらだるいな……」

「ふん、でも、そのぶん良い思いしてるんだし、プラスマイナス帳尻あうんじゃないかな!」


 林道はむーっとして、腕を組み、突き放すように言った。ぷいっと向こうをむいてしまう。いい思いしてるって、さっきの志波姫との事故のことだろうか。確かにあれは良い思い……ではなく、ラッキースケベ……じゃなくて、不運な事故だったな。


「別にいい思いとかは感じなかったが」

「生意気なものね。赤谷君のくせに」

「うぉお、志波姫いつの間に……っ」


 林道と反対側から志波姫がひょこっとあらわれた。


「わたしみたいな美少女とくっつけて幸運だと思わないのかしら」

「それじゃあ、幸運だったって言えばいいのかよ」

「変態、変質者、性犯罪者」


 さっきよりえらく饒舌だな、いつもの調子にもどってやがる。着水の時は「あうあう」していて、もしかしたらちょっと可愛いかもしれないとか思いかけていたのに。やっぱりこいつは嫌なやつだ。


「仕方ないよ、ひめりん、赤谷は女の子と関わることになれていないんだから!」

「ひめりん……?」


 林道の口からでたその響きを俺の明晰な頭脳がとりこみ、理解し、解析した結果、俺は志波姫のことをチラッと見ていた。志波姫は頬を薄く染め、すこし恥ずかしそうにしていた。


「ひめりんってこいつのことか、林道」

「うん! 可愛いでしょ、ひめりん! 私ってさ、仲のいい友達はけっこう愛称をつけたりするでしょ?」

「うん、知らねえけど?」

「だから、ずっとこう呼びたかったんだよ! ひめりんって孤高の印象が強いから口にだすのはとまどってたけど、だけど今日のひめりんはご機嫌だし、水着も可愛かったし、ヒナ先輩が背中押してくれたのもあって、なんとかひめりん許可もらったんだよ!」

「ひめりん、お前、ひめりん許可だしたのかよ」

「許可なんてだしてないわ。ひめりんはやめてほしいって言ったのだけれど……あと、赤谷君、次あなたがひめりんと呼んだらその首を叩き落とすわ」

「すみませんでした」


 どさくさに紛れてみたが、冷たい殺意という釘を刺されてしまった。いたずらでももう二度とひめりん呼びはできない。ひめりん怖えよ。


「雛鳥先輩のおかげでひめりんが市民権を得そうなところまで来たんだよ、このムーヴメントを逃すつもりはないよ」

「はぁ、まったく。これも赤谷君のせいね」

「なんでだよ」

「林道さんは4組の生徒よ。赤谷君なんていう生物に関わらなければ、4組の林道さんがわたしとつながりをもつこともなかった。連鎖理論というやつね」

「使い勝手のいい理論だな」

「ひめりん後輩とことりん後輩、赤谷君の愛称も考えてあげればいいんじゃない?」


 雛鳥先輩は俺の背後からずいっと抱き着いてくるなり、耳元で提案してきた。背中に重みと柔らかさを感じる。むにゅって感じのそれは、豊かな双丘が卑猥に形状をゆがめたことによって生じる触感にちがいない。それは理性というシールドをたやすく打ち砕き、本能に直に呼びかけてくる。男が男である以上、抗えない最大の攻撃力である。


「うあわああ!? びっくりしたぁああ!?」

「あはは、赤谷後輩すごい驚いてるや!」

「や、やめてくださいよ、雛鳥先輩、心臓に悪いです……」


 背中にまだ触感が残っている。いまの雛鳥先輩は水着という装備の都合上、普段よりもさらに攻撃力を増している。ただでさえ、年上お姉さんという危険な属性なのに、こんな装備されたら、とても敵わない。


「雛鳥先輩、赤谷君をあんまり喜ばせるのはやめてください」


 志波姫はムッとした顔で言った。


「あはは、ごめんごめん。でも赤谷後輩はさ、反応が面白くてついからかいたくなっちゃうんだ。ところで、ひめりん後輩、私のことはヒナちゃん先輩って呼んでって言ったのに、呼んでくれないの?」

「………雛鳥先輩でも言語としての役目は十分に果たせるので」

「あぁー! ひめりん後輩が呼んでくれないよー! 私のこと嫌いなんだー!」

「いや、別にそういうわけじゃ……」


 なんだと、あの志波姫が返答に困っている。まごまごしてて、口調はもぼそぼそとした弱気のものだ。普段の俺に対する言葉の刃を無尽蔵にくりだすアンリミテッド・ブレード・ワークスが無力化されている。


 む、わかったぞ。こいつは敵への対処は知っているが、味方への対処は知らないんだ。これまでは美少女すぎるあまり男子には下心で近づかれ、女子には疎まれ、完璧ゆえに人民の心を理解できないがゆえに、友もできなかった。


 きっと、ひめりんなんて愛称で呼ばれるのは初めてだろうし、林道のような誰にでも優しい無償のやさしさで接されるのも初めてなのだろう。雛鳥先輩も林道と属性的に近しいところがある。偶然にも表裏のない優しさをもつこのふたりが合わさったことで、氷の令嬢が誇る自動悪口システムが無力化されているんだ。


 体育祭実行委員会を通して築かれた雛鳥先輩との関係値、剣聖クラブやそのほかの活動で積まれてきた林道との関係値が、こんな景色を生んだのだろう。


 俺はひとつの謎を解決し満足し、前を歩く福島と鳳凰院のほうへ合流した。志波姫が困らされている戦況を継続させたかったし、なにより水着の女子たちといっしょにいることの気まずさから逃げたかったからだ。


「クハハ、見ろ、アイアンボールが仲間にしてほしそうにオレ様を見ているぞ」

「ふっふっふ、まったく可愛い弟子なことだよ! いいよ、こっち来て怪物しりとりしよ! いま育ちすぎたイクラね!」


 うざイタだるいノリだが、まだこっちのほうが心労は少ないか。

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