渓流で水遊び

 冷たい清水が流れる渓流、都会の喧騒がとどかないこの豊かな自然のなかで、我々は大変に興味深いものを発見することに成功した。


 雛鳥先輩と林道ははじける笑顔たたえ、手で水面をすくってしぶきをかけあう。青空のした輝く素肌にしずくがつたう。その水粒のひとつひとつが最も大きな宝石たる彼女たちを輝かせるための銀の飾りつけのようだ。


 同年代とくらべて質量的にアドバンテージをもつ林道の双丘と、人類という種単位でみても驚異的な体積をほこる雛鳥先輩の巨星が動くたびに、それは宇宙の法則にしたがって俺の視線を引力でひきつけ、どれだけふりきろうとしても、1秒後には彼女たちへ視線を向けていた。ビューティフル。


 はたと気づく。元気にはしゃいでる林道と雛鳥先輩の横、岩に腰をおろし澄ましているのは志波姫神華だ。彼女もまた水着という必要最低限の布地しかまとっておらず、夏の澄み渡る空のしたに輝く白い肌をさらしていた。


 負い目をいだくことなかれ。たとえ横からみたらほとんどIphoneみたいなシルエットでも、彼女の美しさが損なわれることはみじんもないのだ。ただちょっと「あっ……」と思うだけだ。


 志波姫の艶やかな黒髪は、白く儚い背中にながれ、神が造形した傑作の顔立ちは、いまや目元に深い影が落ち、軽蔑するように俺へ注がれている。俺はなにかを言うべきだと思った。彼女のひねくれた性格ならば、属性的に似通った思考をもっている俺の考えていることなどお見通しなのだろう。だから、俺が林道や雛鳥を見たあとに、彼女をみたことによって抱いた思慮も、彼女の明晰な頭脳ならばたやすく見抜いているはずだ。


 だからこそ、俺はそのすべてを読み切ったうえで彼女をフォローする言葉を投げることにしたのだ。


「ミニマリストってあるだろ。世の中にはごちゃごちゃしてないほうがいいこともあるんだ。少ないってことは、それだけで良いことだと思う。わびさびという古来から伝われる美感覚もある。志波姫はまさにわびさびってやつだと思うんだ。うん、だから、なにも気にすることはないと俺は思うがな」

「別になにも言っていないのだけれど?」

 

 志波姫は首をかしげ、不可解なものを見るまなざしを送ってきた。

 おや、俺の考えすぎだったのか。志波姫はべつに質量に関する悲観をもってはいないし、そのことについて俺へ言葉の刃を差し向けるつもりもなかったのか。


「ミニマリスト……わびさび……」


 志波姫は言葉を口ずさみ、ハッとした顔で俺のことをにらみつけてきた。今度は俺の恐れからくる錯覚ではない。明確に目元に影が落ち、ムッとしている。ずいぶんと余計なことを口走ってしまったのだと俺は後悔した。


「女性の魅力は胸部の体積に依存しないわ。だから、おおきさで自信を失うことはないし、それによって他者を見下すこともない。そんなことで人を判断するのは、品性の欠けた本能だけで生きている下等生物か、死んだ目のナマズだけよ」


 志波姫は両腕で己を抱いて、俺の視線から身体を守るようにちいさくなった。


「まったく、本当にデリカシーのかけらもないのね、赤谷君は」

「先読みして気の利いた言葉をかけたつもりだったんだが……その、悪かった」

「別にいいわ。気にしてなどいないといったでしょう。ただし、あなたの視線はもとよりいやらしいし、なにかを女子に密着したがる性質があるのだから、あんまりほかの女子をジロジロ見て事件を生まないように自重しなさい」

「変態じゃあるまいし、密着したがったことなんてないだろうが」

「この前だって、植え込みの影に隠れて、これ幸いとわたしにくっついてきたじゃない」

「おい、やめろ、明らかに周囲に誤解をまねく言い方をするんじゃない」

「うあああ! 弟子には水着美少女は刺激がつよすぎるっ! 落ち着いて、心を鎮めるんだよ!」

「へ?」


 突然聞こえた騒がしい声の主は福島だった。

 背後からあらわれたその声のほうへ視線を向けた途端、彼女は切羽詰まった様子で闇の霧を放出し、黒い奔流でこちらを覆いつくしてしまった。なにしてんだよ、とつっこむ間もなく、なにかにぶつかり、すぐのちバシャンッと冷たい感覚が身を包んだ。

 闇のせいで平衡感覚を失い、川に着水してしまったらしい。視界がまったく利かない。俺のうえにわずかな重みを感じる。なんだろうこれは。俺は手を横なぎにふりはらい闇をはじき飛ばすことにした。


 闇が晴れたのち、俺は自分が川底に背中をついて横たわって浸かっていることに気づいた。そして志波姫が俺のうえで横たわり、華奢な身体を這わせるように密着させていることにも。倒れた時にちかくにいた志波姫をまきこんでいたらしいと冷静な部分で分析しつつも、互いの胸元がくっついている状況、鼻先に綺麗な顔があること、それがまずい状況だと思い、俺は「ひぐ、ぃ」と変な音を喉からだしつつ、顔をそむけた。


「っ」


 これ変質者とか、変態とか、セクハラナマズとか、いろいろ言われる奴やん。

 脳内でネガティブな今後の展開が百通りほどシミュレーションされつつ、俺のうえに覆いかぶさっている志波姫が、サッと離れていくの心寂しく思った。この寂寥感は、たとえ0.3ほどの膨らみだとしても、たしかにそこには夢があったのだということの証明だろうか。視覚ではわからない、触れて初めて気づける──そんな評価すべき儚い価値が。


「ごめんなさい、赤谷君……」

「い、いい、いや、別に……おぉん……こっちが、悪かったんだし……」


 青空と太陽のしたで彼女の白い頬は明るく照らされ、それが薄く染まっているかはわからなかったが、いつもとは違ったわずかな動揺を感じさせる声音であることはわかった。

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