教育屋さん
──赤谷町雄の視点
町雄が目を覚ますと、もう赤谷誠は家にいなかった。
千穂から話を聞いたあと、彼ははらわたが煮えくり返りそうになるほどの怒りを感じていた。
(クソが、あのクソ野郎が! さんざん世話してやったのに恩を仇でかえすなんてな! ふざけやがって、これまで俺に逆らうことすら知らなかったのに! 生意気な、クソガキだ!)
町雄は赤谷誠からさらにお金をむしり取ることなどどうでもよくなっていた。
自分の奴隷が、自分に逆らって、生意気なふるまいをしたことが許せなくなっていたのだ。
そのうえ学校では楽しくやっているという。
(祝福者だからって、粋がっているな……! 絶対に許せない、なんとかしてやつの人生をめちゃくちゃにしてやる……!)
触手で殴られた頬をおさえ、町雄は思いつく。
「やってやる、俺を舐めたこと後悔させて、やる…………ふんッ!」
町雄は自ら腕を折った。
想像以上の痛みに悲鳴をあげた。
「へっへっへ、これでいい……俺の顔についてるやつの殴打の跡は、青あざになってる。それに不可解に潰れたスマホもある。やつが実家に帰ってきて、逃げるように出て行ったのも千穂が目撃済み……よしよし、証拠は完璧だ……」
「町雄さん、そこまでしなくても……あの子、私のことを必要以上に攻撃してこなかったし、ここで手を引くのがいいんじゃ……能力者に本気で恨まれたら恐いわよ」
「千穂、お前はあいつのことをわかってないんだ。俺はあいつのことを知ってる。あいつに度胸はない。俺たちをおいて逃げたのがその証拠だ。大丈夫だ、全部うまくいく。俺を信じろ」
赤谷の帰った深夜、赤谷家では町雄による盛大な計画が完了しようとしていた。
(警察には通報済みだ。あとは到着を待てばいい……)
町雄は激しい痛みに耐える。
どうにかこうにか息子の罪が重たくなることを願いながら。
「親にむかってなんだ、あいつの態度は……俺の言うことをおとなしく聞いてただけだったのに……すこし親元を離れた途端、イキりやがって、クソガキが……だれのおかげで……────」
──ピンポーン
呪詛をはきながら、脂汗を流して懸命にその時をまっていると、ついにインターホンが鳴った。
千穂はすぐに玄関に飛んでいき扉を開けると、警察らがはいってきた。
女性の警官と、男性の警官が2名だ。
警察官たちは千穂と町雄に通報が間違いでないことを確認しつつ、事情徴収をする。
「間違いない。こっちの男が、赤谷誠の義父だ」
「わかった」
女性警官が冷たい顔のままいうと、屈強な男性警官は怪我をしている町雄の首根っこをつかみ、片手で立たせると殴りつけてきた。
「ごぼへ、ぇぇ……!?」
「そっちは痛めつけるように言われてる。そのあと蟲」
「了解です」
「こっちの女は?」
「そっちは蟲だけでいいらしい」
「わかりました」
町雄はリビングへ連れていかれ、椅子に座らせられる。
男性警官が指を鳴らすと、手錠がどこからともなく召喚され、町雄の手足を椅子に拘束した。
「なんだ、なんなんだ、おまえだぢぃ、いい、だれかああぁああああ! だれかあぁああああ、たすけてくれえええ!」
「外に声は届かないよ」
女性警官の無慈悲な声のあと、町雄への暴力がはじまった。
他方、千穂のほうは押さえつけられ、無理やり口を開かされていた。
涙目になって抵抗する彼女だが、赤子と大人ほど腕力に差があるらしくまったく抗えていない。
無理にこじあけられた口に、女性警官はポケットからとりだした黒いナメクジを落とす。
ナメクジはするすると口のなかにはいっていき、食道をとおって体内に消えた。
千穂が解放され、えづいて、必死に吐き出そうとする。
次第に痙攣がはじまって、床のうえでひとしきり暴れたあと、徐々に動かなくなってしまった。
「ちほぉ、ぉぉ……ぅぉ、ぉお……」
しばらくのち、顔の形がすっかり変わり、血と脂汗に汚れきった町雄の口へ、黒いナメクジがするりと入れこまれた。
えづく元気すら失くした町雄は恐怖に染まった瞳で、滂沱と涙をながしながら、警察官たちを見上げる。
「な、なん、ですか……どぉ、ぉして、こんな……」
「その蟲の寿命はあんたより遥かに長い。これから生涯をともにすることになる。でも、特に健康には害はない。ただ、いくつかの記憶と言動を制限されるだけ。あなたは赤谷誠に近づいてはいけない。あなたは赤谷誠にいかなる手段をもちいても害を与えてはいけない。悪いことしちゃだめだよ。約束、守れるかな?」
女性警官は冷徹な表情のままたずねる。
町雄は恐怖に染まった思考のなか、この警察官のふりをした者たちが、報復にきたのだと理解した。
(誠にこんな後ろ盾が……? いや、そんなわけがない……いったい、俺は、だれを、なにを、怒らせたんだ……!?)
「約束、守れるか聞いてるんだよ。答えてくれるかな?」
女性警官は警棒をぬくと、血だらけで半開きになった口につっこんだ。歯はすでにほとんどが指で引っこ抜かれ、歯茎からは絶え間なく鮮血があふれだしている。
町雄は震え、鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔をふって懸命にうなづく。
「守れなかったから、また私たちがきちゃうからね。職場も家もわかってるよ。逃げられないし、警察なんか呼んでも無駄だよ。わかるよね?」
町雄はちいさく小刻みに頭を縦にふるほかない。
「それじゃあこれはサービス」
女性警官は町雄の頭に手をおく。
世界の時間が巻き戻るように、あたりに飛び散った血が町雄の身体にもどっていき、傷が再生していく。
カーテンと壁に飛び散った血も唾液も、引っこ抜かれた歯も、すべてが物理法則にさからって過ぎ去った時間を逆順処理していく。
やがて手錠が解錠され、椅子の拘束から1時間ぶりに解放された。
「明日からまた会社にいって、仕事して、税金おさめて、”普通”にもどるんだよ。良き市民であるように。わかるよね?」
警察官は撤収していった。
何の痕跡も残さずに。
玄関が閉まる。
すると家の外の音がもどってくる。
犬の夜泣き声、鈴虫の鳴く音、遠くを走る車の音、お隣さんのかすかな生活音。
どうやらなんらかの術が、内と外の音の交通を遮断していたようだ。
異常な体験からの帰還だった。
町雄は脂汗でシャツをぐっしょり濡らし、前髪がひたいに張り付いている。
折れた腕だけは依然として痛みを訴えていた。
町雄は片手で目元をおおい、こぼれてくる涙をおさえる。
彼は死に近づいてことで深い感謝を抱いていた。普通なことがこんなにありがたいことなのだと。
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