赤谷誠は帰省する 前編

 ちょっとした荷物をバッグにつめて部屋をでる。

 昨日、志波姫と約束した。今日は帰ると。


 男子寮の廊下は静かだ。朝だからというのはあるだろう。

 ただ人の声がまったくしないのはめずらしい。 

 どの部屋からも多少は物音がもれて気配がするものだが、いまはそれがまったくない。


 昔、夏休みに中学校に部活しにいって、たまに教室棟のほうに足を向けた時とか、こんな感じだった。 

 いままでは教室と授業が繋いで束ねていた個々の運命が、それぞれの場所で動き出したみたいだ。 

 その感覚を最後に感じたのは中学校の卒業式だと思う。

 同じルートを巡っていると思っていた同級生は、実はみんなまったく違う道を歩いていて、学校という場がそれぞれの運命をただ一時、交差させていただけにすぎないんだと。


 夏休みの風変りした学校は、いつか訪れる別れの香りをもっていた。


「赤谷ボーイ、どこか出かけるのか」


 玄関におりてくると、ダビデ寮長がちょうどよく事務所からでてきた。


「帰ろうかな、と」

「そうか。夏休みは学校が運営している各種施設がバイト不足になる。暇そうなら手伝ってもらおうと思ったが」

「すぐ帰ってきますよ。用事を済ませてくるだけなので」

「そうか。なら帰ってきたらぜひバイトに協力してくれるとたすかる」


 ダビデ寮長とわかれ、男子寮をでてきた。

 一直線に学校の正門へむかう。


「やあ、英雄高校のバンクシー」

「……びっくりした」


 後ろからぽんっと肩に手を置かれ、俺は心臓が跳ねあがってしまう。オズモンド先生は愉快そうに笑みを深めて、してやったりと言いたげだ。


「これは体罰にあたりますね。PTAに訴えます」

「世間をすこし知った厄介生徒になるのはやめたまへ」

「女子生徒にやったら懲戒免職ものですよ。昨今は厳しいんですから」

「君は女子生徒ではないよ。国外逃亡かね、赤谷」

「なんのことですか」

「昨日の訓練棟の壁ぼこぼこ事件だ」

「俺じゃありません」

「剣聖クラブの部室の窓ガラスが盛大に破損していた。ぼこぼこ事件現場はそのすぐうえだ」

「犯人は巧妙なトリックの使い手ですね。俺と志波姫に罪を擦りつけようとしてるにちがいないですよ」

「志波姫? 彼女もそこにいたのかね?」

「い、いや、いないです」

「ふむ。まぁいい。このことはまたあとで追及しよう。本当に国外逃亡はするなよ、赤谷」


 流石にそこまでして逃げない。


「しかし、意外だな。帰るのかい」


 オズモンド先生は英雄高校の人間だ。

 俺は学校にはいるまえ面接のときに、ひとりで面談を受けた。

 問題のある家庭環境であることも俺が説明したし、実家を出たい気持ちもあったとかいろいろ喋ったような気がする。

 

 入学時の面談なんて何十人もやってるだろうに、意外と内容を覚えているんだ。  

 それとも俺が目をつけられすぎているのか。


「借金があるんです。親父に育ててもらったんで。だから、関係を切るなら俺に投資した分を回収させて、それで終わりにできるんですよ」


 昨日、志波姫にすこし身の上話をしたからか、あるいは相手がオズモンド先生という気心のしれた大人であり、すでにノルマ達成が目の前にあるというある種の興奮もあったからだろう、不思議と過去を語る口は軽かった。


「それはそれは……ずいぶんクールな親子関係だね」


 オズモンド先生は気の毒そうな顔で、堀の深い西欧人独特の表情に曇りをみせる。


「部外者の私がなにをいうこともないが……うーん、それで本当に終わるのかな?」

「どういう意味ですか?」

「赤谷、君は才能あふれる探索者だ」

「はい、ありがとうございます」

「懸賞金をかけられた崩壊論者を捕まえて2000万円ゲット! いっきに大金持ちミリオネアだ。とてもヒロイックだ。君ならこの先も本業のダンジョン攻略で大きなお金を稼げると思う。スポンサーもつけば、いろんなところで活動の機会を得られるだろう。だから赤谷、君は2000万円を小銭と考えているかもしれない」

「考えてないです。先日、300万円ほど寮の修繕費をはらうことになって血の気がひきました」

「2000万円は大金だ。もうすこし時間をおいてゆっくり考えてもいいんじゃないかな。それこそ自立するまで、とかね」


 オズモンド先生は他人だ。俺のことなんてわからない。


 俺はこの学校にくるまで本当にダメなやつだった。

 親父が俺を嫌っていたのは、能力のせいではない。ましてや容姿でもない。最初から俺のこと大嫌いだったんだ。

 だから、俺もそんなやつのことを見返してやろうとも思った。でも、前述のとおり、俺には誇れる能力も才能もなにもなかったんだ。


 俺は自分に自信がなくて、親父に強くでることができなかった。

 大嫌いな俺のことを育てて、持ち家をもって、仕事して、生産活動と消費活動を継続的にこなし、経済的にやりくりしてる親父のほうが、人間としてずっと立派だと理性で思ってしまった。だって俺のほうは勉強もできない、友達もいない、消費活動をするだけの、将来にさしたる希望もないガキだったんだから。


 俺はコケにされるのは慣れてる。

 他人にも身内にも。コケにされて乗り越えられる苦難ならコケにされたほうが安く済む。

 挑んで戦うより謝っちまったほうが楽でコスパがいいって、人生経験を通して学んだ。


 でも、そんな俺でも親父に反抗したいのに、理性で道理を通そうとする自分のせいで、挑むことすらできなかったことを腹立たしく思ってるんだ。

 俺は雑魚で、なにもなかったガキから、どんな境遇であれ、2000万円を手にすることができた。


 俺はたぶん覆したいんだ。やつは俺に2000万が払えるなんて思ってない。

 これを一撃で叩きつけてやつに少しでも後悔してほしいのかもしれない。

 俺ともっと仲良くしとけばよかったとか、思われたいのかもしれない。

 俺は価値のある存在だと、否定をされ続けた親父へ訴えたいのかもしれない。


 自分のなかでも明確に整理はつかない。 

 少なくともこの心は部外者にはわからない。


「ありがとうございます。でも、大丈夫です。夏休みだし、ちょうどいいんで、パッといってパッと終わりですよ」

「……そうか。わかった」


 オズモンド先生はスマホを取りだす。

 ピコンッと俺のスマホがなり、先生から「あ」というメッセージが届いていた。


「なにかトラブルがあれば連絡するといい。力になれるかもしれない」

「生徒の連絡先もってる件を流さないでくださいよ」

「君は問題児だからね。学校の外でどんな厄介ごとを起こすかわかったものじゃない。だから君の連絡先はおさえておいた」


 ちょー目つけられてるんですが。


「先生というのは夏休みの間も、いろいろ忙しいんだ。だから面倒ごとはおこさないように。仕事を増やさないでくれよ」

「そんないつも仕事増やしてるみたいにいわなくても」

「トラブルマグロの分際で口答えするんじゃない」

「これが教師の言葉遣い……?」


 俺とオズモンド先生は校門前でわかれ、それぞれの場所へ。

 気まぐれに渋谷や新宿に降りつつ、悠々自適な電車旅をくりひろげ、その夜、俺は埼玉にかえった。

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