家に帰りたくないワケ
橙色に照らされた地面がみえた。
ぼんやり記憶をたどれば、ふわふわした敗北を思いだすことができた。
どうやら勝負はおわり、俺は志波姫におんぶされて運ばれているらしい。
何度かこうした経験があるので、すぐに自分の置かれている状況がわかった。
「また俺、運ばれてる……」
「あら、今回は目覚めるのがはやかったわね」
言うと志波姫はたちどまりしゃがんだ。
もしかしなくても「降りろ」という意味だとわかったのだ、しぶしぶ降りる。
場所的には訓練棟のすぐとなりの道だ。
「保健室に連れていくつもりだったけれど、もう復帰したのならそんな重症じゃなかったのでしょうね」
「あぁ、もう大丈夫だと思う。心配してくれてありがとな」
「別に心配していたわけではないわ」
言って彼女は肩にかかった黒髪をはらった。
「ん、あれは……赤谷君、頭をふせなさい」
「え?」
志波姫は俺の肩と頭をがしっとつかむと、すぐそばの植え込みに飛びこんだ。
俺を抱きかかえるようにしてのダイブだったので、とても密着している。なんかこいつネチョネチョしてる。志波姫ってけっこうネバついてるんだな。とか思ったけど、よく考えたら触手で一回捕まえかけたときに俺が付着させた液体だったなとか気づく。
とにもかくにもこれはよくない。本当にだめだ。
晴れた日の海のごとく起伏のない彼女の胸元に神経を集中するせいで、ほかのことが考えられなくなってしまう。
冷静な俺が保てなくなってしまうまえに離れなければ。
「ちょ、おま、いきなり何するんだ、離れろって……!」
「静かになさい、あと暴れないで、見つかってしまうわ」
「見つかってしまう……?」
志波姫の視線のさき、俺は密着したまま首をすこし動かして植え込みの向こうをみやる。
険しい顔をした欧米人と、派手なピンク髪のおっさんが訓練棟の壁を指差してなにやら揉めている。オズモンド先生と小峰先生である。
「これはひどいですね、どこの生徒が訓練棟の壁にいたずらしたのか。デコボコですよ。窓も割れているようですし」
「そうですかねえ? 元からこんな感じじゃなかったですか、小峰先生」
「バンクシーの件といい、今回といい最近は風紀が乱れていますな。平和だった1年生たちにも衝突も増える時期になってきました。いくらかしっかりしょっぴいて見せしめにしたほうがいいですしょう」
「まぁ、それをしだすと生徒がいなくなっちゃいますけど……思春期の祝福者ほど道を外れやすい。暴れていようと目の届く範囲においておいたほうがいいと思います」
「それも程度の問題だと思いますよ。うちはよくても、外がうるさい。まあこの話をここでしても仕方ないですが」
「それはそうですな」
「目撃者および、まだ帰ってない生徒たちをあたりましょう。近くをうろついてる生徒は怪しい。ほかの先生にも連絡をお願いします。私は今日はもうあがるので」
「わかりました、おつかれさまです、小峰先生」
分かれて犯罪者の捜索をはじめた先生たちが離れていくのを確認する。
互いに深く息をついて、緊張感から解放された。
「まったく誰のせいでこんな……──あっ」
志波姫はようやく密着状態のことを意識にとめたようだ。
キョトンとして俺の顔を見てくる。
鼻先数センチの距離、息遣いすら感じられる近さ。
彼女は頬をうっすら染め、顔をそむけ、ずいっとこちらを押し離してきた。
「……変態」
「うご、うぉお、ごめん……!」
だから言ったじゃないですか!
まずいですって! 志波姫さん、僕さっき言ったんだよ!
「こほん」
「んっん」
「げふんげふん」
互いに無意味の咳ばらいをしつつ、奇妙な時間を乗り越える。
俺たちは植え込みの背の高さに守られた聖域のなかで膝をかかえて沈黙を守りつづけた。
まだ俺の心臓がうるさいほど鳴っている一方で、彼女は平静な声で静けさを破った。
「まだ外には出ないほうがいいでしょうね」
「だな。こんな現場のすぐ近くで誘導尋問されたらかなわない」
「担当刑事がオズモンド先生なのもよくないわ」
志波姫は珍しく不貞腐れたように膝をかかえて顎をのせた。
「報酬、わたしがもらっていいのよね」
「さっきの話まだ有効なのか」
「当然でしょう。往生際の悪いことばかりしてないで、たまには潔いところを見せなさい」
「はぁ……」
志波姫が実家に帰らない理由を「いろいろ」とかいうから、金持ちの家のお嬢様の抱えるいろいろを詮索したら、結局俺のほうが身の上話をすることになったんだったか。
「別にまじで面白い話じゃないんだ」
「そうでしょうね。赤谷君に意外性のある面白い話なんて期待してないわ」
「いや、こういうのってもったいぶったからには、それなりにハードル上がっちゃうしさ」
「だったらさっさと話しなさい」
「……。大したことじゃないんだ。俺、両親が死んでてさ、親戚の家で育ったんだ。俺のことを不憫に思ってくれてもらってくれたんだと思う。でも、親父とあんまり仲良くなれなくてな」
「お父さんのこと好きじゃないのね」
「あっちが俺のこと好きじゃないからな」
「お母さんは?」
「もういない。母親は普通にまあ、なんつうか、愛情を注いでくれたっていうか、まあ普通にしてくれたんだけど……まあそんな具合だから家に帰る理由がないんだよ。地元に友達だっていないし。親父も俺もお互いの顔を見ることも望んでない。だから帰らないっていうのはただの合理的な選択なんだ。俺にとっても、親父にとっても」
自分から身の上話なんていったいいつぶりにしただろう。
思いだす限りでは、学校の面談のときに仕方なく語ったくらいか。
当然っちゃ当然だけど。そもそも友達がいない俺のような人間がなにかを語る機会すら少ないんだし。
橙色の太陽が建物の向こうに沈んでいく。
ゆっくりと夜が空を席巻する。
志波姫は意外にも茶化さずに黙って聞いていた。
彼女なら「あんたが人間に嫌われる忌むべき生物なのは知ってるけれど、親にまで嫌われるなんてね。今日は夜ご飯をおいしく食べれそうだわ」くらい言ってくるかと思ったんだけどな。流石のこいつもそこまで言わないか。
「それじゃあ、もう帰らないの?」
間をおいて問いを投げてくる。
「いや、帰る。帰らないといけないんだ。お別れするためにな。道理を通して、それで終わり。最後の挨拶みたいなもんだ」
契約を遂行するためのお金はもう学校から受け取った。
「いつでも帰れるんだが……やっぱり、ちょっと足は重たいんだ」
「そう。なら勇気を出さないといけないわね」
「そうだな……その通りだ」
おもむろに彼女はたちあがり、空を見上げる。夏の夜の生ぬるい風は訓練棟横の植え込みをゆらしてぬけていく。志波姫の長い黒髪もなびき、鼻孔をいい香りが通りすぎる。
「志波姫はどうして帰らないんだ」
聞いたら答えてくれそうな雰囲気だった。というか、俺が言ったなら彼女も言うべきだろう。
「いろいろよ」
「教えてくれないのかよ」
「当たり前でしょ。あなた先の試合の敗北者なのよ」
くっ、これが実力至上主義か……!
「赤谷君は明日もう帰りなさい。わたしも帰ることにするから」
「なんだよ、そっちも帰るのか」
「帰るわ。あなたが勇気をだすのならね」
そう言って志波姫は植え込みをひょいっと飛び越えた。
彼女もあるいは勇気を求めていたのかもしれない。
いろいろとやらに向き合う勇気を。そんな風に思った。
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