ポメラニアンならいるわ
オズモンド先生は表情ひとつ変えず見つめてくる。
例えば目の前でセーラー服着た中年が躍り出てきたら、俺もこれくらい冷ややかな目を向けるのかもしれない。今はその眼差しを俺が向けられているわけだが。
「はい、これでどうですか」
恐る恐る俺はモード:ポメを解除する。
「まったく意味がわからないな、赤谷。頭でも打ったのかな?」
「想像を絶する塩対応……さっきの林道はオッケーだったじゃないですか!」
「あれはジェモール先生の判断さ。私はだめだ」
「先生によって判断基準に差があるのはどうなんです」
「ふむ、では林道君はナマズを確かにもってきた、ということにしよう」
「持ってきてはいないんですよ、大変に遺憾ですが、ナマズっぽい特徴をもった人間を連れてきただけで……その論理でいけばポメラニアンっぽい人間がいれば合格できるはずでは?」
「君は自分がポメラニアンだとでも思っているのかね」
「なんでそんな塩なんですか。オズモンド先生、俺のこと実はすっごい嫌いだったりします?」
「まさか! 赤谷、君のことは大好きだよ。非常に面倒な手のかかる生徒だと認識してるとも!」
「それは日本語では嫌いという意味では」
「君は根本的な勘違いをしている。君は借り物競走という意味がわかっていない。これはモノマネ大会じゃないんだ」
「いや、そうなんですけど、正論ですけど」
だめだ。借り物してこないと。
しかし、一体だれから、どこから、ポメラニアンないしはポメラニアン属性をもった人間を借りて来れるというのだ。
なんという極悪難易度。これはもはや詰みか。
諦めかけ、無気力に視線を泳がせた時、ピタッと視線があった。
トラックのすぐ外、冷たいオーラを纏ってこちらを見つめてくる志波姫がいた。
申し訳なさが込み上げてきた。このレース恐らく俺は最下位だ。
「志波姫……悪い」
「はぁ、赤谷君では仲良くもない生徒から借り物するなんて不可能でしょうね。勝つと言った手前、道理はあるわね」
彼女は近くの女子生徒に向き直ると「それ貸してくれるかしら」と言って手をだした。
女子生徒は「し、志波姫さま!?」と、氷の令嬢が話しかけてきたことにえらく驚いた様子だったが、すぐに機敏な動きで要請に応じ「どうぞ、お使いくださいっ!」と頭につけていた帽子を外して手渡した。モコついたフォルムの白い帽子。それはシマエナガ帽子ではない。先ほど入場口あたりで見た。あれは……! ポメラニアン帽子!
「オズモンド先生、ポメラニアンいました!」
俺は志波姫の助力に感激しながらポメラニアン帽子を受け取った。思わず声が高くなる。
「いたんですよ、ポメラニアンは! いたんです!」
「ふむふむ、なるほど」
「オズモンド先生?」
「お題『ポメラニアン』で、ポメラニアンの帽子を持ってくるか。少し拡大解釈がすぎるかもしれないね」
「俺という人間がお題『ナマズ』の拡大解釈の解答として提出されてるのに何をおっしゃるんです……?」
「もうひと捻り欲しいなぁ、あと少しなんだが」
オズモンド先生の眉間に皺がより、難しい顔をする、なんだその顔は。あとひと捻りってなんだよ。
「……はぁ」
深いため息が聞こえる。見やればトラックまわりに張られたロープを乗り越えて、志波姫がひょいっと赤茶けたタータンのうえに着地した。
スッと手が伸びてきて「寄越しなさい」と言ってきたので、ポメラニアン帽子を志波姫に返すと、彼女はそれをそっと手に取った。
ポメの可愛らしいクリッとした瞳を見つめ、意を決したように頭にかぶった。
「志波姫!?」
「ポメラニアンならここにいるわ」
志波姫は頬を薄く染め、少し恥ずかしそうにそうつぶやいてオズモンド先生を見やる。ざわつく周囲。男子も女子も氷の令嬢のまさかの行動に動揺を隠せない。そして俺も。
誰がいったい予想しただろうか。ポメラニアンがいないなら、自分がなるだけだ。そんな狂った論理をもちだすのが、他の誰でもなく、一番こういうことやらなそうな氷の令嬢さまだったなんて。明日は雪でも降るのか、あるいは天変地異の前兆か。どちらにしてもこのポメラニアンには見る者どドキっとさせるど正面からの可憐さがあった。
「ポメラニアンと言えば、小さくて凶暴……なるほど、適役じゃないか」
「赤谷君、少し口を閉じてくれるかしら」
「無理だろ。志波姫、お前どうしたんだよ、熱でもあるんじゃないのか?」
眉をヒクヒクさせ、されど何も言い返してこず、志波姫はオズモンド先生をギンッと睨みつけた。目元に深い影の落ちた、恐ろしい眼差しに先生はビクッと震える。
「合格だ! いってよし!」
志波姫はポメラニアン帽子をすぐに外そうとする。
「おっと待った! 借り物競走では借り物と一緒にゴールまでいってもらわなければならない」
トラックの中間地点からあと200m、ポメラニアンとして走り切らないといけないというのか。あの志波姫神華がそこまでするわけがない。
「赤谷君、なにをぼさっとしているの。はやく連れていきなさい」
「お前、誰かに操られてないか? 精神操作系のスキルとか」
「そんなわけないでしょう。これは勝ちにこだわるために必要なこと。……私が言い出した手前、道理は通すわ」
目元に深い影をつくったまま、不機嫌極まった顔のまま、志波姫はそう言った。めっちゃ我慢しているのが伝わる。それほどの覚悟か。
まさかここまで負けず嫌いだったとは。ならわかった。俺ができることはその覚悟に応えることだけだ。
「駆けるぞ!」
俺は白いその手をがしっと掴み、トラックを駆けた。満足げなオズモンド先生や、歓声、なんやかんやうるさい実況の声も全然耳に入ってこない。
ただ手に伝わる感触だけを感じていた。剣を握り続け固くなった皮、されど繊細な指、俺の手で握れば完全に覆い隠してしまうほどの華奢な輪郭、それらが確かにそこにあることを感じながら、俺はゴールテープだけを目指した。
志波姫のほうを一度も振り返らなかった。背中に銃を突きつけられて走ってる気分だったから。だって、振り返ればどんな怖い顔で俺のことを睨みつけているのか……想像するだけで恐ろしかった。
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