林道琴音は心穏やかではいられない

━━林道琴音の視点


 ホームルームが終わって体育祭実行委員会にいこうと思った時には、すでに赤谷は教室にはいなかった。そのことはなんら問題のないことだ。日常である。赤谷ならわざわざ林道に「一緒に多目的室いこうぜ」なんて、甲斐性を見せることなんてない。絶対にない。

 そこそこの時間を一緒にしているので、林道琴音には赤谷誠という人間のことが少しずつ理解できるようになっていた。


「声かけてよ……」

「どうしたの、琴音?」

「え? あ、いや、なんでもないよ!」


 そんなことを言いつつ誤魔化し、林道は友達たちに「そろそろ行かないと」と言って、教室をあとにした。

 本当は赤谷に声をかけられて、一緒に行くことが望ましかったが、やはり仕方ないのことだ。


 林道が心穏やかでなくなったのは、体育祭実行員会に参加するためにひとりで多目的室へ向かった時だった。

 多目的室の前、ビニール袋をぶらさげた赤谷がいた。最初に目についた画像情報を素早く処理し、それの意味を理解する。

 

(袋からパスタが顔をのぞかせてる。赤谷、またペペロンチーノ作るんだ。でも、私は誘われてない……)


 林道は人の機微を悟ることができるタイプの人間だ。友達をつくり、人の輪のなかで生きれる人間だ。

 

(また私以外の人とペペロンチーノするんだ……。ヴィルトさんかな? 可能性は高い。この前あんな激しくペペロンチーノしたんだもん。きっとそうだ)


 自分はもうペペロンチーノに誘われない。

 もうペペロンチーノする価値がない。

 他の女の子に乗り換えたんだ。

 ネガティブな感情が湧いてくる。


 最初は自分だけの場所だった。

 気がついたら自分は追い出されていた。

 嫌なことを考えたくなかったが、振り払おうとも心の隙間から湧いてくる。


 黙って遠くて見ていると、どこからともなく現れた志波姫神華がやってきて、赤谷に話しかけて多目的室に入っていく。

 このままでは仕方がないと思い、林道も赤谷に声をかけた。


「なにひとりでぼーっと立ってるの?」

「…………なんでもない。お前はいつも遅いな」

「時間には間に合ってるし! 遅刻したことないし!」

 

 怒りのチョップがぽふっと赤谷の胸に刺さった。

 

 実行委員会がはじまって校門に飾るゲートを作成している最中も、林道のもやもやとした気持ちが晴れることはなかった。


「赤谷後輩、代表者すごいね、イレギュラーってかっこいいや!」


 シマエナガギルドの2年生、雛鳥ウチカが赤谷に馴れ馴れしく近づいて、ぺしぺし肩を叩いているのを見た時は、思わずビクッとした。


(あ、あの赤谷に女の子の知り合いが増えてる……!?)


 想定外の光景に、林道は「あぅあぅ……」と涙目になって、遠目に眺めることしかできなかった。

 

(あの先輩かわいいな……赤谷は年上がタイプなのかな……? 胸大きいし……あぁ赤谷にそんな触らないでぇ〜!)


 赤谷が美少女と仲良さげにしているのを見ると、思わず「ぅぅ……」と声が漏れた。心は荒んでいく。

 雛鳥ウチカという脅威が去ったあとも、志波姫が木材に『くっつく』をさせようと赤谷に話かけたりする事件が発生するではないか。


(志波姫さん、赤谷にはよく話かけてるんだよね……口調は厳しいけど、そもそも他の人には話しかけすらしないし、これはもう……)


 林道にはわかる気がした。澄ました冷たい表情を貼り付けた志波姫が、どんなことを思っているのか。だからこそ焦燥感を抱いた。

 

「あ、赤谷! こっちも! こっちも『くっつく』してよ!」

「別にそんなのくっつくしなくたって……」

「志波姫さんにはくっつくしたのに、私にはくっつくしてくれないんだ……(小声)」

「ん? なんか言ったか?」

「いや、別に」

 

 待遇格差に不満だった。

 でも、なんだかんだ言いつつも、赤谷は林道の差し出した木材に『くっつく』を施してくれた。

 林道はそれがとっても嬉しくて、つい笑顔になってしまった。「我ながら簡単だな」とふと正気になった時には少し恥ずかしくなった。

 

 実行委員会が終わり、林道は赤谷に別れを告げた。

 でも、女子寮にはすぐに戻らなかった。

 戻ろうとはしたが、どうしても気になってしまった。

 赤谷がこのあとどこへ行くのか、誰と会うのか。


(いや、行く場所も会う人もだいだいわかってるんだけど……)


 迷いながらも家庭科室へ向かう。

 まだ誰も家庭科室には来ていなかった。

 それもそのはず、林道はダッシュで駆けたのだから。


 人の気配がした。林道はさっと掃除用具ロッカーに隠れる。

 ちらっと掃除用具ロッカーのなかから顔をのぞかせると、机に突っ伏す銀髪少女の姿があった。

 見間違えるはずもない。アイザイア・ヴィルトその人だ。


(やっぱり、ヴィルトさんだ! 赤谷とペペロンチーノする気だ!)


 悶々としながらも、林道はロッカーに隠れ続けた。

 というかロッカーから出られなかった。一度隠れた手前、今更出ていくのは気まずすぎたのだ。


(なんだか私ストーカーみたい……バカみたい、何してるんだろ。ていうか、赤谷遅くない? ヴィルトさんのことどんだけ待たせてるの?)


 ロッカーの中から見るヴィルトはあっち行ったり、そっち行ったり、なんだか落ち着きがない。

 お皿の位置やフライパンの位置を入念にチェックし「よし」という声が聞こえてくる。


(ヴィルトさんすごい楽しみにしてるじゃん……)


 動きから感情が溢れていた。

 

「ん」


 ヴィルトはささっと動いて椅子に座ると、机に突っ伏して、顔をうずめる。普段は見せない機敏な動きだった。

 少しして赤谷が家庭科室に入ってきて、晩餐会がはじまった。どうやらヴィルト側からもメニューを用意しているらしいとわかった。

 ふたり並んでクッキングする姿には思わず林道も「あぅあぅ……」と、涙声を溢した。


(ペペロンチーノは美味しいの確定だし、今回はポテトとかチョリソーもあるし、ふたりとも美味しそうに食べるし……お腹減ってきたんだけど)


 ヴィルトと赤谷のいい雰囲気の姿を見せられ、飯テロに晒され、空腹に苦しむことになったが、でもひとつ安心することもあった。

 それはこのヴィルトと赤谷という組み合わせ、全然喋らないのである。

 多少の言葉は交わしたが、飯作って、食べて、帰っただけである。雰囲気はよかったが、ロマンティックなことは起こらなかった。

 

 誰もいなくなった家庭科室で、ようやく林道はロッカーから出ることができた。

 

「私も料理練習しないと……」


 すっかり目元を赤くした林道は静かに決意するのだった。

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