死体でもつくる気か
俺は息を殺してそっと曲がり角から向こうを覗き込んだ。
グラウンドの眺められる窓から差し込み斜陽のなかで、青春が繰り広げられている。
如月坂圭吾、青春主演男優賞を持つおまえならば放課後の昇降口で待ち合わせる女子に困りはしないだろうに、誰に言い寄ろうというのか。わかっていながら彼の視線の先で胸前で優雅に肘を抱いて、壁に背を預ける志波姫を見やる。
凍てついたオーラは微塵も揺らいでいるようには見えない。彼女はありのままの純度100%志波姫で如月坂に相対していた。文庫本に視線を落としていた氷の令嬢はすくっと顔をあげ、読書へ介入してきたものへと意識を向ける。
「如月坂君、その件に関しては既に返事をしたつもりだったのだけれど」
「濁しただろう。返事はもらってない」
「そう。言葉は難しいものね。あなたが理解できなかったのならば、それはわたしがあなたの読解能力を高く見積りすぎたということ。評価を誤ったわたしの責任ね。よりわかりやすくあなたの大脳皮質に負担を書けない言葉で返答するわ」
「なんだよその言い回し、また俺を馬鹿にするんじゃ━━」
「わたしはあなたといわゆる交際関係になるつもりはないわ。わたしは可愛いことは揺るぎない事実だから、短絡的思考で、本能に従って好意を抱いてしまうことは否定しないけれど、こちらからあなたに好意を抱くことはあり得ない。わたしの好意を受領することを期待するなら、ツチノコを探したほうが有意義よ」
ひえぇ……これはひどい、見てられない。
「そも、どうして如月坂君のような程度の低い生物がわたしに好意を伝えてきたのか理解に苦しむわ」
「志波姫、てめえさっきから言いたい放題……っ、俺は気をつかってお前に歩み寄ろうとしてるのに!」
「あなたが歩み寄っているのは霊峰。標高9,000mの最高峰よ。それは平らな道じゃない。近寄りたいのならあなたもステージを上がってくるしかない。ステージを登る努力を怠って、自分には十分な価値があるはずだと都合の良い解釈で盲信し、リーズナブルに挑戦権を獲得して、勝手に期待して、思いを伝えて、砕け散って、傷ついて、死んでいく。ワンチャンス? そのあり様すら愚かで軽蔑する」
如月坂を擁護するつもりなど一ミリもないが、勇気を持って告白してきたやつに、わざわざここまでいう必要はない。人の心とかないんか。
しかし、ああ、しかし、そうだろう。彼女はそう言うはずだ。別に志波姫のことを知ってるからそう納得するのではない。そもそも、俺は彼女のことなどよく知らない。数奇な運命のせいで、たびたび、彼女と衝突するから氷の剣が振られたあとの傷跡を何度も眺めているから想像がついたというべきだろう。
彼女が正しさで敵を斬り捨てる。敵じゃなくても斬り捨てる。スクールカースト最高位の如月坂は、グットルッキングガイだし、運動もできるらしいし、勉強もできるらしいし、他にもボスザル感っていうのかな、そういうのがある。
だが、俺は知っている。如月坂のような天才でさえ届かない格差というものを。俺はそれをアイザイア・ヴィルトから学んだ。彼女は志波姫に嫉妬を抱いていたと俺の前で静かに語った。天才のなかの格差。地上から見上げる分には、優れた才能というのは皆、一様に輝いて見えるが、輝きには差があるのだ。志波姫の輝きは他とは違う段階にあるのだろう。
他ならぬ志波姫本人がそのことを正しく認識している。だから彼女は斬り捨てる。「あなたのパラメータ、全然足りていないけど」と言って、その差を埋めて告白するのが最低限の道理ではないのか、と指摘するのだ。普通はそこまで言わない。でも、彼女は言える。言う。
「お前、俺のことを好きなんじゃないのかよ?」
「……冗談にしてはセンスも面白さもないわね」
「俺に気があるから俺が立候補した後に、実行委員に名乗りを上げたんじゃなかったのかよ。だから俺はお前がその気なら」
「ただのペナルティよ。先日の件の」
如月坂のやつ愉快な脳みそしている。実行委員に同じになったからって、相方が自分のこと好きなんじゃないかと勘違いして、あまつさえその気持ちに勝手に答えて告白してお膳立てした気になるとは。青春主演男優賞の自信には恐れいる。
その論理で言ったら、俺の相方の林道は俺のことに惚れてることになるしな。現実はそうじゃない。やれやれ、冷静な恋愛観という意味では俺のほうが優れていたみたいだ。
「俺は……それじゃあ、俺はどうすればいいんだ」
「それをわたしに聞くの?」
志波姫は冷ややかな声でと問う。
死ぬほど苛烈にフラれてもう如月坂のHPはゼロだ。返事すらかえってこない。
「しかし、優れた者はそうでない者に施しを与えるべきかしら。わたしがあなたに望むことは4つ。発情しない。好意を胸に秘めておく。必要最低限の会話。わたしが不愉快だと思うことをしない」
ひええ……HPゼロの死体にこれ以上攻撃を加えるな……っ! てか最後のやつは判定難しそうだな。
如月坂は言葉を失い、目元を手で覆い「あぁ、悪かったな……」と震えた声で言って志波姫に背中を向けた。
恐ろしい女だ。あの如月坂が完全抹殺された。オーバキルにも程がある。あれじゃあ骨すら残らん。
「いつまでコソコソとそこで見ているの」
「え」
志波姫がチラリとこちらを見やる。目が合う。俺は静かに顔を引っ込めた。
「遅すぎるけれど」
よく冷えた声が聞こえる。肩にかかった黒髪を払うところまで想像できる。
どうしようか。このまま顔を引っ込めておいたら見逃されたりしないか。いや、ダメね。
俺は意を決して、観念し、トコトコと姿を出した。
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