第2話 〔哲学的ゾンビ〕ゴリラ的マウンティング

レントは靴を脱いでなかにあがった。




非常に古いタイプの住宅だ。




玄関はいきなりキッチンダイニングに続いていた。


シンクには皿が山積みで、ガス式のコンロの上にはカレーが入っていると思しき鍋がドンとのっている。




中央には背の低いガラステーブルと、向かい合わせに配置された革張りのソファ。




ダイニングの奥には10畳ほどの和室があり、そこにスチールデスクが三つ並んでいた。




和室の壁には古びた書類キャビネット、バインダーがぎっしりと並んでいる。




「神宮寺龍三郎だ。よろしく頼むよ」




男はそういいながら、小型の冷蔵庫をあけて缶ビールを取り出した。




「まずは一杯どうだ?」




レントは目を細めた。




「遠慮します。勤務中ですので」




「そうか、なら儂が君の分も飲もう」




神宮寺はあっという間に一缶を飲み干すと、もう一缶を開けてレントに掲げてみせた。




なんなんだこの男は。




神宮寺は和室に引っ込むと、書類を片手に戻ってきた。


老眼か始まっているのか、わざと顔から遠ざけて読む。




「坊やがレントくんだな。ええと、なになに? 実年齢が二十四歳!? こりゃあ若いなあ。ああいう失敗をしてしまうのも無理ないな」




「失敗ではありません」レントは眼鏡を押し上げた。「わたしは覚悟を持って殿山を射殺したのです」




「そういうところが若いのさ。お前さんは被害者の命を救うためにやむを得ず殺したはずだろう? 裁判が終わったからといって、他人に本音をいっちゃあいけない」




「ご教授ありがとうございます。神宮寺さん。そういうあなたは、いまおいくつなんですか?」




神宮寺がワイシャツの袖をめくり、力こぶしをつくった。鋼のような筋肉が盛り上がる。




「儂? 今年で七十二だが?」




なぜ筋肉を見せつけてくる? 




レントは上着を脱いでソファの背にかけると、自分もワイシャツの袖をめくった。




意味はわからないが、甘く見られるわけにはいかない。




「七十二にしては、ずいぶんとお年を召しているように見えますね」




この不老化社会においては、七十二歳はせいぜい中年といったところだ。じっさい、警察の定年年齢は百二十歳に設定されている。




神宮寺が笑った。




「違う。世間の連中が若づくりしすぎなんだ。人間本来の七十代にしちゃあ、儂は若い方さ」




「不老処置は受けてないのですか?」




「もちろん受けているさ。当然だ。国民の義務だからな。ただ、儂には効果がなかった。それだけの話だ」




神宮寺がソファに座り、テーブルに右肘をのせた。


レントも同じようにして、神宮寺の手を掴んだ。




腕相撲だ。




神宮寺とレントの腕に血管が浮き上がる。




二人の力はほぼ拮抗していた。




テーブルの角を掴む互いの左手も激しく震えている。




神宮寺がいった。




「坊やのくせに、なかなか強いじゃないか」




「ご老体こそ、なかなかですね」




そのとき、和室に置いてあった黒電話が鳴った。




ガラステーブルが二人の力に耐えきれず、粉々に砕ける。




神宮寺が和室に走り、電話をとった。




「儂だ。ああ、わかった。なに? おう。なるほど。そうか。わかったわかった。すぐ向かう」




一通り話し、受話器を置いた。




レントは「事件ですか?」といいつつ、笑みを抑えようとした。


よかった。わけのわからない閑職にまわされたと思っていたが、ここにも捜査権はあるのだ。




神宮寺がごま塩髭をかいた。




「ああ、ずいぶんとややこしい」




「どんなふうに?」




「ガイシャは自分が殺されたと訴えてる」




レントは笑った。




「殺された本人が警察に相談に来たんですか?」




「いや、どうやら、ガイシャ自身はいままさに殺されたばかりなんだと。自分の殺害現場から電話してきたらしい。いかれた話だよな」




「この案件は生活安全部の範疇でしょう。機動捜査班が扱う案件ではないと思うのですが」




「機動捜査班?」




神宮寺が面白そうな顔をした。




「坊や、表の看板見なかったのか?」




「きそう、とありましたが」




「機じゃない。奇だ。奇捜。ここは、所轄の手に負えない珍奇な事件を専門に扱う部署なのさ」




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