第36話 一つのハッピーエンド

 目まぐるしいテスト週間が終わり、あっという間に価値残りシステムの投票も終わった。


 各普通教室で厳正に行われる投票は、さながら選挙のようであり、結果は分かっていても形だけはしっかりと進行した。


 一学期の残り後半を、俺は再び6組で過ごすことになり、その中の面子はほぼ変わりない。


 変わったのは一人だけ。


「最円、僕は先に戻るけど、最円も必ず戻ってきてね」

 

 5組への復帰が決まった歩だけだ。そんな歩に、俺は笑顔を返す。


「ああ」


 まるで子供のようにはしゃぐ歩は、本当に嬉しそうだった。歩は元のクラスに戻りたがっていたからだ。


 そんな歩の尊い笑顔を見れただけで俺はまだ生きていける。


 そして、そんな彼の代わりに6組へ追放されたのは、俺と喧嘩沙汰になった奴だった。実際に聞いた話ではないが、予想通り5組内で彼をクラスに置いておくのは危険だと判断したんだろう。


 なにせ、財布を盗んだ嫌疑がかかっているような奴だ。


 なにより、歩が追放されていた理由は、おそらく他から隔離して保護するため。


 しかし、隔離した6組には同じ事件に関わった俺もいる。


 ならば、奴を追放して歩と交換しようというのが、考えなくともわかる簡単な答え。


 俺が事件を起こした時点で、歩の復帰は決まっていたようなものだ。


 そして――、新しく6組が始まったとき彼の姿は教室になかった。


「親御さんとも話し合ったんだが、彼の意向を大切にし、別の高校に編入することになった。残念ながら、もう彼が学校にくることはないが……」


 与那国先生の淡々とした報告に驚く者はいない。


 いや、案外決断が早かったなと俺は内心驚いていた。


 彼にとっては、追放されたことがよほど屈辱的だったのだろう。


 だが、そうなってしまったのは誰のせいでもなく彼自身のせい。いわば自業自得。


 彼は、自分の価値を疎かにした。


 その価値を与えたのは自分ではなく、周りにいたクラスメイトだったというのに。


 そのクラスメイトを蔑ろにするような行為に及んで、投票する奴がいるはずがない。

 

「最円くんはさ、彼が退学することまで読んでたの?」


 自ら6組に残った変わり者、万願寺がそんなことを聞いてきた。


「いや、同じクラスで、もっとジワジワ罰を与えるつもりだったんだが……逃げられたな」

「……最円くんってさ、けっこう性格悪いよね」

「俺ほど人畜無害な奴もいないだろ……」

「うわぁ……」


 万願寺はなぜか引いていた。いやいや、わざわざ6組に残った彼女にこそ俺が引いているというのに。


 なにはともあれ、俺はもうしばらく6組にいることになった。


 そんな今の俺の目標は、次の投票まで問題を起こさないこと。


 益田から聞いた話では、彼が逃げるように学校を去ったことで「最円薫は正しかった」という世論が強まっているらしい。まあ、世論というか、普通教室棟での一般論だから……普論? 


 今後問題がなければ、今度こそ1組に戻れる希望は残ったとも考えられる。


 とはいえ、住めば都とはよく言ったもので、俺は「6組も悪くないな」と思い始めていた。


 まあ、朝の桜との時間が消失しているのも事実であるため、残ろうとはもちろん思ってはいない。


 だからこそ、わざわざ残ることを望んだ万願寺はやはり相当の変わり者だと言える。


「お前さ、なんで6組に残ったんだ?」


 今さら聞いたところで何ができるわけでもないが、何となく問いかけてみる。


 明確な理由があるのなら力になってやろうと思ったのは言うまでもない。


 万願寺はそれに、すこしだけ考えてから頬を赤く染めた。


「それは……」


 言いづらそうにする万願寺。


「もしかして、俺のせいか?」


 それにふいっと視線を逸らされてしまった。どうやら図星らしい。


 やはり、万願寺は俺に気を遣って残ることを決めたようだ。


「お前、そんな生き方してると損だぞ」

「最円くんにだけは言われたくないかな」

「俺は損得になることをちゃんと選んでる。今回は6組から出ることよりも優先すべき事ができただけだ」

「それが、うちだったの?」


 端的に言えば万願寺のためだった。しかし、それをそのまま口にしたら、俺が万願寺に気があるように思えた。


「俺はただ、ルールを守らない奴が許せなかっただけだ」

「正義感が強いんだね」


 いや、それも違う。


「正義感が強いわけじゃない。俺はなにも、ルールが良いものだとも思ってないしな」


 俺がやったことを正当化することも違う気がした。あくまでも、俺が俺のためにやったことだと言い訳をしたかった。

  

「そもそもルールってのは人間が人間のためだけにつくったエゴの代物なんだよ。誰かのものを盗った盗られたりで罰を与えるなんてのは、この地球上で人間くらいだろ」

「それって屁理屈じゃない? 窃盗はどう考えたって悪だし」

「窃盗が悪なんじゃない。ルールを破ったから悪なんだ。正義や悪なんてのは属するコミュニティで変わる。世界、社会、職場、家族……生きる時代で答えが変わることすらある。だが、そのルールを守ってさえいれば同じ人間を守ることができる」


 彼はそれを守らなかった。ルールを破ったことで、これまで自分に期待してくれた人たちまでもを裏切った。


 その考えに至り、ようやくあの瞬間、俺が裏切られたような気持ちになった理由を理解してしまう。


 社会では誰もがルールを守らなければならないが、それはなにも自分のためじゃなく、ルールを守っているみんなを裏切らないために守らなくてはならない。


 だから、それを守っていない者を見た瞬間に、裏切られたような気持ちになってしまったんだろう。

 

「じゃあさ、登校時刻を守らなかった最円くんはルール破りで悪ってことになるね」


 不意に放たれた万願寺の言葉には弁明の余地もない。


「……そういう点では、俺なんかよりも、お前らのほうがずっと6組を出るべき人間なのかもしれないな」


 価値なしとされて集められた教室6組。しかし、そこにいる者たちですら、学校の規則を守っている。その中で俺だけが遅刻という違反を繰り返していた。

 

「最円くんってさ……なんていうか、なんでも俯瞰的に見てるよね」


 そう言ってくれた彼女の慰めには笑ってしまいそうになる。


 俺はそんなに高尚な人間じゃない。


「俺はハピエン厨だからな? 自分だけが幸せなんてものをハッピーエンドとは呼ばないだけだ。第三者が見ても幸せな結末でなけりゃ目指す意味がない」


 自分にとっての善悪は、必ずしも世間における善悪とはなり得ない。自分にとっての幸せが、必ずしも世間における幸福とはなり得ない。


 だから、万願寺だけが良いなんて結末を俺は否定したかった。


 そして、それは『6組』にも言えることなのだろう。

 

 俺が6組での日々を悪くないと感じ始めていても、普通教室棟の奴らから見ればそうじゃない。


 だからこそ、6組に居続けることは真のハッピーエンドとは呼べない。


「そっか」


 理解できたのかはわからないが、それでも万願寺は、そう呟くように言った。


「でもさ、6組に残ったのは、最円くんに負い目があるからとかそういう理由じゃなくて、ホントにうちがそうしたかったからだよ」


 万願寺は、そのあとも「本当にそれだけだから」と念を押すように俺を見る。


 俺には、嘘を見抜くことなんてできないが、その真っ直ぐな眼差しには嘘が混じっているとは思えなかった。


「……そうか。なら、俺から言うことは何もないな」

「うん。うちもうちのやりたいようにするから」


 そして、万願寺はふにゃりと笑ってみせた。


 俺はもう、彼女について問いただすつもりはない。聞いたところで話すつもりはないのだろうし、なにより、話さなくても今の万願寺なら大丈夫だろうと思えたからだ。

 

 どんなに言葉を並べたところで、俺の意見など一つの偏見に過ぎない。


 だが、数ある選択肢の一つにすることはできる。


 それを選ばなかったからといって、俺が否定されたわけでもない。


 万願寺は万願寺にとって大切だと思う選択をしただけ。


 それが何なのかなんて知る由もないが、少なくとも――彼女が浮かべた笑みだけは、ハッピーエンドに相応しいものだと感じた。


 最後に笑って大団円なんて、ありきたりな終わりかもしれない。


 それでも、その笑顔が自分じゃない誰かをも笑顔にするのなら、ありきたりな終わりこそ、喜ぶべきハッピーエンドなのだろう。



(了)

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狂ったハピエン厨の俺は、価値なし生徒が集められる教室へ追放された。 ナヤカ @nyk0

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