第36話
大地がスランプから抜け出し、一週間が過ぎていた。大地はあれから絶好調といった様子で、莉愛も金井コーチも一安心とばかりに胸を撫で下ろしていた。
そんな中、莉愛はひそかに溜め息を付き、ボソリと呟いた。
「もうここにいてはダメ……だよね」
大地がスランプから抜け出せたということは、私がここにいる理由が無くなったということだ。
はぁーー。
楽しかったな。
大地と一緒に部活して、同じ学校に通っているみたいでドキドキした。狼栄のみんなも、本当の仲間のように私を迎え入れてくれて、すごく嬉しかった。それも今日で終わりにしなくては……図々しく、このままと言うわけにはいかない。
体育館の前で一度、大きく深呼吸してから中に入って行く。すると皆が、いつものように笑顔で迎え入れてくれる。
「あっ姫川さん。うっす!」
「こんにちは、姫川さん」
ボーッと体育館を眺めていると、赤尾に声を掛けられた。
「莉愛嬢、そんな所に突っ立ってどうしたの?こっちにおいで」
「あっ……はい。今日もよろしくお願いします」
一礼してコートの中に入って行くと、三年生のミドルブロッカー大澤和彦(おおさわかずひこ)に声を掛けられた。
「姫川さんクイックの事で相談があるんだけど」
そう言った大澤はトサカのような髪型で一見派手で不真面目そうに見えるが、実は誰よりもバレーに対して、とても真面目に取り組んでいる。熱い男と言った感じだ。
「私で良ければ」
私と大澤の会話を聞いていた熊川と尾形も声を掛けてきた。
「あっ、ずるい」
「俺もアドバイスしてもらいたい」
ずるいと言ったのは三年生の熊川貴志(くまかわたかし)で、ポジションはリベロ。茶色の髪を髪留めで留めていて、身長は犬崎のリベロ瑞樹よりも更に小柄だが、レシーブのセンスはずば抜けて良い。小さな体で大地のジャンプサーブや、スパイクを見事に上げていく。
「姫ちゃん。大澤の次で良いからアドバイスちょうだい」
「あっ……はい」
熊川との話が終わると尾形が前に出てきた。
「熊川の次でいい……です。俺にもアドバイスを頼む……です」
尾形壮(おがたそう)二年は大地と同じオポジットで、いつも表情が変わらない。毎日無表情で淡々とメニューをこなし、実力を付けてきている。今年三年生である大地が卒業すればチームを引っ張り、大地の後を引き継がなければならない。そのプレッシャーは他人には計り知れないものだろう。それでも回りの期待に添えようと、努力を続ける尾形に皆が期待していた。
「尾形さんもアドバイスですか?」
「ああ……いいか?……ですか?」
尾形はなぜかいつも会話の途中で敬語を入れてくる。無理に敬語を使う必要は無いと言ったのだが、大地の彼女だからと気を使っている?らしい……でも他にも理由がありそうなんだけど、それは分からない。尾形の変な敬語を聞きながら莉愛は答えた。
「ふふっ、アドバイスですね。良いですよ」
笑いながら了承すると、なぜか尾形が目を逸らした。
?
「尾形さんは無表情でムッツリ」
ボソリと呟いたのは安齋学(あんざいまなぶ)一年生だ。安齋は黒髪の色白で、ひょろりと背の高いインドア風な彼だが、ブロックをやらせれば文字道理壁のようになる。手足の長さを活かし、相手のスパイクを止めまくる。狼栄の壁……一年にしてこのセンスは驚異的だ。
「莉愛嬢、人気者だね」
そう言ってきたのは赤尾だった。
「確かに莉愛嬢のアドバイスは的確でわかりやすいもんね」
「そうですか?ありがとうございます。でも、大地を先に見てから皆さんの所に行きますね」
そう言って頭を下げると、赤尾が苦笑した。
「あーー。はいはい。莉愛嬢はいつも大地優先だもんね」
莉愛は頬を赤く染めながら俯いた。
「えっ、あっ。すみません」
「いいの。いいの。それで大地の調子が上がって良いプレイをしてくれるなら、俺達はそれでOKなんだよ」
赤尾が莉愛にウィンクして見せた。
眩しい。
イケメンのウィンクすご。
ここに女子生徒がいたら悲鳴が上がっていたことだろう。
莉愛はそんな赤尾に頭を下げ、大地の元に急いだ。
隣のコートでは大地がスパイク練習を行っていた。そこには一週間前とは別人の様な大地がいた。
「大地、今日も絶好調だね」
「ああ莉愛、バレーが楽しくて仕方がない。やばい……最高だ」
そう言って笑う大地を見て莉愛はホッとした。
大地はもう大丈夫そうね。
金井コーチも満足げにこちらを見て頷いていた。
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