第29話
始まった第五セット、ここから長い戦いが始まった。
サーブから始まり、トス、スパイク、ブロック、レシーブが何度も来る返される。一点取るのに、どれぼどの時間を要するのか……。見守る側も体に力を入れ、固唾を呑む。息をするのも忘れてしまうほどの緊迫した攻防戦。どちらかが一点を取るたびに溜め息が漏れ、体から力を抜くと言葉が漏れる。
「はぁ~」
「すげー。こんな試合が間近で見られるなんて」
「狼栄もすごいけど、犬崎も負けてない」
一体どちらが勝つのか、誰にも分からなかった。
ボールを追いかけ続ける両校の選手達。
ただ一つのボールを追い、上に上げる。
そして両者が願う。
ボールよ、相手のコートに沈めと……。
*
フルセット12-11犬崎が一歩リードしていた。犬崎の選手達にとって、こんなに長い試合は初めてで、未知の領域だった。体が悲鳴を上げだしている。疲労で集中力も切れようとしている中、ここで充のブロックが、大地のスパイクを捕らえる。『バシンッ』という音から一秒と立たずに、ボールが床に叩き付けられた。
谷が大きな声で叫んだ。
「13-11ここで点差が開いたーー!!犬崎高等学校、勝利に一歩一歩と近づいています。狼栄苦しくなってきた」
そしてここで苦しい狼栄が頼るのは大地だと、誰もが思っていた。だから自然と皆が大地へと視線を向けたその時、スパイクを決めてきたのはセッターの赤尾だった。セッターがボールを上げるのでは無く、スパイクを打ってきたことで、犬崎の動きが乱れ、また点差が戻ってしまう。
ここでセッターが出てくるの……。
莉愛は奥歯を噛みしめる。
13-12。
やっと開いた点差が戻ってしまったが、負けたわけではない。
ここは一点ずつ、着実に取っていきたい。
しかしここで、狼栄のブロックに洋介のスパイクが阻まれ13-13で同点となってしまう。
そして……。
「ドンッ」
大地のスパイク音が体育館に響き渡り、狼栄に得点され13-14でひっくり返えされた。
莉愛はすかさずタイムを取った。
あと一点狼栄に取られれば私達の負けだ。このまま狼栄に流れを持っていかれるわけにはいかない。
莉愛はタオルを用意し、ベンチに戻って来る皆を待っていると、汗を拭うことも出来ないほど疲れ切った拓真達の姿がそこにはあった。
ああ……みんな、こんなにボロボロになって……。それでも、それでも諦めずにボールを追い続けてくれている。少しでも体力を回復させるため、皆をベンチに座らせると充と流星の足が、痙攣し始めていることに気づく。
それは筋肉疲労による痙攣だ。痙攣は脱水でも起こるため、みんなにスクイズボトルを手渡し水分を促す。しかし水は口の端からこぼれ落ちていく。水分を飲む事もままならないほど荒い呼吸を繰り返す皆を見つめ、莉愛は涙が出そうになるのを必死に堪えた。
こんなに疲労困憊状態のみんなに、私はもう一度、戦うことを強いる言葉を掛けなければいけない。
ごめんね、みんな……。
もう少しだけ、私のわがままに付き合って。
莉愛は着ていたジャージをマントのように肩に掛け、腕を組む。そしてベンチに座る選手を一瞥すると顎をクイッと上げ、あざ笑うように妖艶に笑った。
「みんな酷い顔ね。ほら上を向きなさい。ねえ、みんな私達がここまで来るって、誰が予想していた?私達以外、誰も想像すらしていなかったと思うよ。そんな私達が狼栄に勝って春高へ行く。ここが……この試合が最後じゃない。ここから始まるの。さあ、行きなさい。見せてやりなさい。私達の下克上を!そして私に勝利を捧げなさい!」
みんなの瞳に光が戻って来る。
拓真がベンチから立ち上がり、タオルを乱暴に放り投げた。
「女王を守り抜いて、俺達が春高行くぞ!」
「「「「「おおーー!!」」」」」
祐樹、充、流星、洋介、瑞樹達も拓真と同様に瞳に光が戻り、真っ直ぐに莉愛を見つめると、乱暴にタオルを投げ捨てコートに戻っていった。コートという戦場へと向かう男達の背中を見つめ、莉愛は嬉しく思った。初めて出会った頃は、いつも自信が無さそうで、それでいて負ければ悔しそうに唇を噛んでいたというのに。今は勝つことしか頭にない。みんな本当に強くなった。
どうか、勝利の女神様がいるのなら、私の願いを聞き届けて欲しい。
どうか、どうか……私達に勝利を……。
「ピッ」
審判のホイッスルで試合が再開する。
狼栄の尾形のサーブを、拓真がレシーブで上げた。それを祐樹がトスで高く上げる。流星の得意とする打点の高いトスに会わせ流星のスパイクが炸裂した。しかし、それを狼栄のルベロの熊川がギリギリで上に上げる。小さく上がったボールに体勢を崩したように見えた狼栄チームだったが、そのボールを赤尾が片手で弾き、見事に上げて見せた。
これは……。
犬崎のチャンスボール。
誰もがそう思った。
しかし、そのボールに飛びついたのは大地だった。
「ズバンッ!!」
一瞬だった……。
シンとした静寂。
とんとんとん……と、ボールが転がって行く音だけがそこにはあった。誰もが放心して動けず、息を呑む音が聞こえた。審判さえも、ホイッスルを吹くことを忘れ、ボールを目で追うことしか出来ないほどだった。それほどに一瞬の出来事だったのだ。それは長い静寂の様に感じたが、ほんの一瞬の事で、我に返った審判が慌ててホイッスルを鳴らした。
「ピピーー!!」
「試合終了、勝者狼栄大学高等学校」
体育館に大きな歓声が上がった。それは体育館が揺らぐほどの大歓声だった。
「勝者は狼栄大学高等学校だーー!!」
谷が興奮し、立ち上がりながら拳を握り絞める。
「長い……長い戦いでした。両者とも良くここまで戦い抜きました。素晴らしい。本当に素晴らしい試合でした。春高に行くのは王者狼栄大と決まりましたが、群馬体育館で行われた試合の中でも最も歴史に残る、素晴らしい試合だったのではないでしょうか」
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