第9話
体育館に唸るボールの音。
「おいおい、あいつどうしちゃったんだよ。今日、何本サーブ打った」
「いや、知らんが朝からずっと、あの調子だよ」
群大生の見つめる先には島谷がいた。朝からずっとサーブ練習を続け、汗だくになっている姿に皆が唖然としたいた。
島谷さんの生まれ変わるって、練習を頑張るってことだったのかな?
莉愛が島谷の様子を見ていると、群大のマネージャー磯田由里(いそだゆり)さんが声をかけてきた。
「莉愛ちゃん昨日、島谷と何かあった?」
「あー、えっと……」
「言いにくいこと?」
そういうわけでは無いが、言っても良いものなのか考え込んでいると、意味ありげにこちらの顔を覗き込んできた。
「大丈夫、誰にも言わないから」
「その……生まれ変わるから、明日からの俺を見ていてと……」
「それで莉愛ちゃんは何て答えたの?」
「いえ、何も……。でも島谷さんの生まれ変わるって、練習頑張るってことだったんですね」
莉愛の話を聞いていた由里が、小刻みに震えていた。
由里さんどうしたんだろう?
莉愛が由里に声をかけようとした所で、由里が限界とばかりにお腹を押さえながら大笑いを始めた。
「ぶっ……あっはははは!莉愛ちゃん天然?それにしてもすごいよ莉愛ちゃん、あいつを本気にさせるなんて。実力はあるのにいつも練習をさぼる島谷を、別人みたいに変えるなんてさ。愛の力だね」
「愛?どうして愛なんですか?」
「そうでしょう?生まれ変わった自分を見てもらいたいなんてさ。変わるから好きになってくれってことだよね?それで、どうするの?」
「困ります。私、付き合っている人いますから」
「えっ、そうなの?」
由里と莉愛が楽しく恋バナに花を咲かせていると、そこに島谷がやって来た。
「莉愛ちゃん見てた?今日の俺どう?」
「どうと言われましても……」
「俺のこと好きになった?」
この人、バカなのかな?
昨日、彼氏がいるって言ったよね?
「島谷さん、私には彼氏がいるので好きにはなりません」
島谷がチーンと固まっていると、由里がまた大笑いを始めた。
「島谷、撃沈ーー!あはははは!」
*
「片づけ終わったか?」
「こっちは終わった。床は?」
「床も終わったよ」
練習が終わり体育館の後片付けをしていると、島谷がやって来た。
「莉愛ちゃん、今日の俺のサーブどうだった?」
またなの?
今日はずっとこの調子。
さっさと部屋に戻りたい莉愛は、思ったことを全て口にした。
「空中姿勢が悪いと思います。打点の高さもブレブレだし、まだまだですね」
「きっついなー。でも、そういう所も好きだな」
「はあ、どうも」
一応お礼は言うも、全く心のこもっていない返事をした。
「島谷、あんまり姫ちゃん困らせるな」
「そうそう、あんまりしつこいと嫌われちゃうよ」
そう言ったのはキャプテンの高橋さんと由里さんだった。
「困らせる気ないし……愛を囁いているだけだ。俺は本気で莉愛ちゃんが好きなんだ。俺の愛と思いを受け止めてほしいから、生まれ変わるって決めたんだ。俺の全てをかけている姿を見てもらいたい」
「おもっ……」
「お前いつからそんな重い感じに……」
由里と高橋がドン引きしている。
莉愛も二人の横で島谷の発言にドン引いた。
「だから莉愛ちゃん、俺のこと好きになって」
ね。ね。ね。と、ニコニコする島谷。
「島谷さん昨日も言いましたけど、私には彼氏がいるんですよ。無理です」
彼氏がいるとハッキリと口にして、莉愛は頭を下げた。
ガーンとショックを受けている島谷の隣から、高橋が食い気味に話しかけてきた。
「姫ちゃん彼氏いるんだ。それって、今来ている部員の中にいるの?」
「えっ……違いますけど」
「同じ学校の人?」
「それも違いますけど」
「別の学校の人なんだ。バレーやっている人?」
うわー。高橋さんどうしちゃったんだろう。質問攻めなんだけど。
「バレーボールやっている人です」
「学校は?」
高橋さんの質問攻めが止まらない。
「高橋、ちょっと質問し過ぎじゃない?どうしちゃっの?」
由里が呆れたように質問を中断させた。
「いいじゃん。由里は気にならないのかよ?」
「それは気になるけど……」
チラリと由里が莉愛に視線を向けた。
「それで、どこの学校?」
質問を続ける高橋に、莉愛は苦笑しながら答えた。
「狼栄大学高等学校です」
「マジか、王者狼栄!スタメンメンバー?」
「はぁ、そうだと思いますけど」
「名前……名前は?」
高橋さん、ホントにどうしちゃったんだろう?島谷さんよりグイグイ来る。当の島谷さんは高橋さんの勢いに負け、口をあんぐりと開けていた。
「大崎大地です」
「「「大崎大地!!」」」
一拍おいて高橋と島谷、由里の声がそろった。
「そっかー。大崎大地か」
「高橋さん知っているんですか?」
莉愛の質問に由里が食いついた。
「それ、私に説明させて!知っているも何も、バレーやってれば皆知ってるよ。中学時代からその才能を開花させ、月刊バレボーの常連さん。いつも写真付きで載っているよね。彼、格好いいもんね」
「そうそう、未来のオリンピック選手って、よく言われているよな。確かユースに選ばれているよな?」
大地ってやっぱりすごい人だったんだ。
「莉愛ちゃん、すごい人と付き合ってるね」
大地のことを褒められて、何だか莉愛まで嬉しくなってしまう。
「へへへっ……」
大地を思い出し莉愛が笑うと、高橋さんが頭を撫でてきた。
「……これは、翔さんが可愛がるわけだ」
翔……?
「高橋!莉愛ちゃんに触んな。俺だってあんまり触ったことないのに!それに翔って誰だよ」
島谷の問いに犬崎のみんなも、うん、うん、と頷いている。みんな翔という人物が気になっているのだろう。それを見ていた高橋が、いたずらを思いついた子供のような顔をしながら話し出した。
「あれー?犬崎の皆も知らないの?この合宿の提案者でもあるのに?」
「えっ!この合宿を頼んでくれた人なんですか?」
拓真が驚きの声を上げた。
「そうだよ。大体お前達、姫川って聞いてピンとこないわけ?姫川翔って聞けば分かる?」
「「「姫川翔!!」」」
ほぼ全員の声が体育館にこだました。
「姫川翔って、あの姫川翔ですか?」
拓真が興奮気味に高橋に詰め寄った。
「ああ、プロバレーボール選手で、日本代表の姫川翔だ。姫ちゃんのお兄ちゃんでもあるね」
バッとみんなの視線が莉愛に集まった。
「マジかー。だからあの才能か」
「うまいわけだよな」
「兄妹そろって天才ってやつ?」
犬崎のみんながマジマジとこちらを見つめてきた。その視線に耐え切れず莉愛は視線を逸らした。
「お兄ちゃんは天才かもしれませんが、私は違いますよ」
「いやいや、そんな事は無いでしょう。女子であれだけ出来るの見たことないよ」
苦笑する高橋に、莉愛は困惑気味に答えた。
「あー。そうかもですけど……。皆さん知らないでしょうが、お兄ちゃん本当にバレーボールバカなんですよ。ボールを常に触っていないとダメな人で……ご飯の時も眠るときもボールと一緒なんですよ。ボールが恋人……そんな人に毎日毎日毎日練習に付き合わされるんです。この意味分かりますか?」
そう、莉愛は幼少時やっとボールが投げられるようになった頃から、翔の練習に付き合わされていた。これがとんでもなく大変で……。
「皆さん分かりますか?休日に一日中練習に付き合わされる私の気持ちが、練習するのは良いんですよ。私も楽しかったし、でもあの人、注文がものすごく細かくて、コースやボールの威力なんかを指定してくるんです。挙句の果てには相手チームのエースの癖まで真似しろって言い出して……。無理だって言っても出来るまでやらされて、これが私のためではなく、全て自分のためなんですよ」
力説する莉愛に、全員が同情の眼差しを向けた。
「地獄……まさに地獄の日々でした」
何かを思い出している莉愛の瞳が遠くを見つめている。よほど辛く苦悩の日々だったのだろう。全員が可哀そうな物を見る目で莉愛を見つめた。
「なんかさ、姫川の上手さの秘密を知ったけど、何とも言えないのは俺だけだろうか?」
拓真の言葉に全員が、うん、うん、と頷いたのだった。
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