第11話 あるメイドの一日(1)

 メラニー・アンベールは怒っていた。


 食事を食べそこねたわけではない。


 ちゃんと夕飯も食べたし、何なら昨日は夜食のパンプディングも食べた。職務が夜更けまで続いたからだ。


 だが、砂か粘土かと思うほどろくな味がしなかった。


 食べることが大好きな彼女にとってはあるまじきことである。


 まともに眠れなかったので、朝のコンディションも最悪であった。


 全ては、妹のようにかわいがっている年下の主人が、半日の間行方不明になり、夜更け過ぎになって大怪我をして帰ってきたからである。


「ねえメラニー、ご機嫌を直して? ほら! 焼きたてのフィナンシェがこ~んなに!」


 ソファーに腰掛けて、いい匂いのする皿をよこしてくる小さな手には、痛々しく包帯が巻かれている。


 貧しい境遇のせいか八歳にしては小柄な少女には、一人がけのソファーでも大きすぎるようで、座るとほとんど埋もれてしまっていた。


「お顔を見せてくれないの?」


 鈴を鳴らすような可憐な声が耳をくすぐるが、メラニーは頑としてそちらを向かない。


 顔を見てしまったら最後、なし崩されてしまうことはわかりきっている。


 この小さな主人は、己の完璧な造形の顔をどう利用すれば人をうまく転がせるか、よく知っているからだ。


 ツンと顔を背けたままでいると、とつぜん腹部を優しく締め付けるものがあった。


 驚いて見下ろしたメラニーを、子ウサギのようなピンク色の大きな瞳が映し込んでいた。


「……心配かけてごめんね?」


 ギュッと目をつぶってみたがもう手遅れである。


 メラニーは「見ちゃったー!」と悔しがりながらアリアを抱きしめ返した。


「もー! あたしはまだ怒っているんですからね! 生きた心地がしなくてすっごく探したんですからね!」


「ありがとう! メラニー大好きよ!」


「グッ! あざとかわいいいー!」


 死ぬほど心配したのは確かだが、それで怒っているのではない。


 問題は、行方不明の理由だった。


 アリアは、好奇心で入り込んだ納屋から出られなくなったのだと説明した。


 だがその納屋とはふだん外から鍵をかけている小部屋である。


 もしアリアが鍵をくすねて入り込んだとしても、誰かが外から鍵をかけねば、閉じ込められることはない。


 メラニー含め、夜更けまで探していた使用人たちは、もしや自室に戻っているのではないかと何度もアリアの部屋を確認し、そのたびに小部屋の前を通っているが、なんの気配も嗅ぎ取っていなかった。


 不審に思って納屋を確認すると、見慣れない紙が扉の片隅に貼り付けられていることに気がついた。


「……こりゃあ、魔術式ってやつじゃないか?」


 料理長オリヴィエの言で――プランケットに雇われるまでは宮廷に長く勤めていたと聞いている――、家令に見せてみると、家令のモーリスは、しばらく見たのちに目頭を揉みしだいて唸った。


「わたしの口からはなんとも……。一度、旦那様のご判断を仰がないと」


 国境伯家に仕えて長いこの男が、ひと目見て判断できないはずがない。答えられないということは魔術式で決定である。


 非常に高価で、扱うにも技術を要するという羊皮紙が使われたということは、閉じ込めた候補が自ずと絞られるということも。


「どういう効果があるんですか?」


「扉が開かなくなるとか?」


「中の物音が聞こえなくなるとか?」


「それは……」


 使用人たちで詰め寄ったものの、誰が仕掛けたのか察したらしいモーリスも、なかなか言質げんちを残そうとはしない。


「じゃあ、アリアお嬢さまが嘘をついている、ってことですか?」


「そうは言っていません」


 押し問答をしているところに、家令の手から羊皮紙を取り上げる者があった。


 グウェナエル卿フレデリク・プランケットである。


 前国境伯の生前退位に伴って家督を継いだ年若い領主は眠りが短く、いつも夜が明るくなる頃まで起きているらしい。


 毎日八時間寝ないとスッキリしないメラニーとしては羨ましい体質だ。


「……おや、気配を遮断する式が記述されているね。メラニー、当たりだ」


 フレデリクはアイスブルーの瞳を細めて、平時と変わらず飄々とした笑みを浮かべていた。


 当たりだではない。


 フレデリクが引き取った幼い少女が、己がきちんと家族の同意を取り付けなかったばかりに、トラブルに巻き込まれ被害を受けたということを理解しているのだろうか。


「旦那さま……」


「そ、そう凄まないでおくれ。きみは目力があるから……」


 フレデリクは笑みを浮かべたまま、スッと目をそらした。


 失礼な。メラニーの大きなつり目は父親譲りである。


「いやあ、それにしてもあの子はすごいね。まだ引き取って一月足らずというのにこんなに信奉ファンを作ったなんて」


「……」


 脳天気な発言に、メラニーの鳶色の瞳が完全に座り込んだ。


 他の使用人たちも同様の「ふざけているのかこいつは」という顔で、じとっと主人を見つめた。


 捜索が終わった夜更けにもまだこうして残っているのは、フレデリクの言う通り、アリアと普段親しくしている使用人たちばかりである。


 窓を閉めているはずの執務室の空気は、スン……と冷え込んだ。


「旦那さま、……わかってます?」


「何を?」


「アリアお嬢さまは、爪が二枚も剥がれて、お腹には大きなアザができたんですよ? お腹のアザは拳の形がくっきり残ってますし、お爪が剥がれたのは窓から無理に脱出したからです! これが今後、骨が折れたり命を失ったりするようなことに繋がらないとは限らないんですよ!」


 ハウスメイドの力説に、背後の家事使用人たちは何度も深刻な顔で頷いた。


 なぜよりにもよって夜中に脱出したのか?


 朝になってからじゃダメだったのか?


 痛ましい姿が我慢できず、そう問いかけたメラニーに、アリアは朝焼け色の瞳を伏せてこう言ったのだ。


『だって、みんなの探してる声が聞こえたの。わたしが見つからないと、眠れないでしょ……』


 あまりのいじらしさに、ズキュン! と、何かが心臓をつらぬく音がした。


 幻聴である。

 

 気づけば見渡す限りの使用人たちが、心臓を押さえて目をつぶっていた。


 ──いつだって人のことばかり、見ている子なのだ。


「あたしたちも気を付けますが、旦那さまからもしっかり言っていただかないと困ります!」


「誰に?」


 アイスブルーの瞳が、試すようにメラニーを映す。


「……セレスティーネお嬢さまにです!」


 一瞬ためらったが、メラニーの口から出た名前に、他の者たちも首肯した。


 フレデリクだけが堪えた様子もなく、微笑を浮かべながら小首をかしげた。


「あの子は、セレスに閉じ込められたと言ったかい?」


「……!?」


(こ、この後に及んでしらばっくれるつもり……!?)


 主人に相対しているにも関わらず、ついにメラニーの眉間にはっきりとシワが寄る。


「仰いませんよ、そんなこと! 優しいお方ですから!」


「でも言わせてもらいますけど、他にだれがいるっていうんですか?」


「みんなわかってますよ! ここにいないやつだって! お屋敷で働いているやつならみんな!」


 フレデリクは羊皮紙を持ったままの手で「うーん」と首筋をかいた。


「まあセレスなんだろうけど」


「「「「ほーらー!」」」」


 使用人一同からふたたびつめられ、夜ふかしの領主は苦笑した。


「でもさ、アリアはセレスを罰してほしくはないはずだ。あの子、ぼくには厳しいのにセレスには甘いんだよね。そんなことをしたら、余計なことするなって怒られるだろうな」


「……」


 それは容易に想像できた。


 メラニーがいまいちセレスティーネに怒りきれないのも、アリアがセレスティーネと仲良くなることを諦めていないからだ。


 なぜかなんて聞かなくてもわかっている。


 アリアにはこの領主一家以外、家族がいないのだから。


 しかしその健気さが、あまりに寄る辺なく悲しいものだということを――決して大人が甘えていいものではないということを、当のプランケット邸の主は、理解しているのだろうか?


「ま、アリアの出方を見てから考えるよ。みなも帰って休みなさい」


 なんとも無責任な方針を示し、フレデリクは自室へ戻っていった。



「――やっていいことと悪いことがありますよ。セレスティーネお嬢さまも」


 だから、メラニーは怒っているのだ。


 連れてこられて一月足らず。


 すっかり邸内に溶け込んでいるこの少女は、ほんの少しまで、下町の孤児院で暮らしていたはずだ。


 時折、教わったマナーを思い出そうとして動きが止まる時以外、その痕跡はほとんど消え失せて、生まれつき上流階級で育った子どものような言葉遣いとふるまいをしてみせている。


 努力をしているのだ。


 誰にも悟られず、表には天使のような笑顔だけを振りまいて。


 その努力に対して、この仕打ち。


 監督者たる領主も、当の本人も怒らないのだから、一番近くにいる自分が憤らなければ、アリアがかわいそうだ。


 だがアリアは、そんなメラニーの機微もわかっているような、優しい笑みを浮かべた。


「メラニー、ありがとう。でもこれはわたしのケンカよ。リクハルトもお姉さまも、わたしの獲物なの」


 だから手を出しちゃだめよ、と微笑んだ顔はやはり天使のようだったが、瞳だけは勝ち気そうに輝いていた。

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