第2話(10) 理由

 鋭い手刀を四振り。岩を砕かんとする突きが一回。突きが二回。上段、中段、下段の順で蹴った後、刈り取る勢いの足払いから側頭を狙う蹴り。


 雅はXRトレーニングルームで鍛練していたか。使っている部屋やカプセルを探したがいなかったからな。案の定そこにいた。


 技の精度、勢いが安定していない。カプセルで回復したと言っても全快でないのが見て分かる。


「雅。たい焼きを食うか」


 温め直したものだから作り立てより味は落ちるけどな。


 無視すると思ったが、雅は動くのをやめた。


「いりません」


 オリヴィアの予想通り断られたな。まぁ、まだ一回目だ。


「後、私に話しかけないでください。破門したんですから」


 鍛練を再開したぞ。


 自ら煉獄の中を突き進むくらいの焦燥が伝わってくる。今の雅は精神干渉系の魔法初心者にうってつけの教材だ。


「雅。何故、否定する者と戦う?」


 無視して払う防御をするか。この無視も一回目だ。


「否定する者と戦うのは何故だ?」


 逃げるように前へ跳んで一回転したか。俺様は少し距離を詰めて声を出すだけだから、楽だな。


「そんなに自分を追い込んで、否定する者と何故戦う。雅」


 まだ続けるか。我慢も三度が限界だと思ったのだが。なかなかの胆力だ。いや意固地か。


 こうなれば使いたくはないが、試してみるか。


「そんなに速く動いて疲れないか。疲れているんじゃないのか。カメか、カタツムリか。どうだ、ここは一休みでもして、たい焼きでも食って、俺様としゃべらないか――」



「ゆっくりと」



 殺意の籠った強烈な突きだ。


 だがそれは、とてつもなく鈍くて鈍いのだ。


 たい焼きを持った俺様でも受け止められる。


「うるさい。悪趣味」


 俺様は拳を離した。すぐ再噴火するくらいに雅は苛立っているが、すぐ攻撃にはしてこない事を確信できる。速い奴の言い回しを意識して、精神をかき乱した甲斐はあったな。


「食うか?」


「いりません」


 これで二回目。こんな近くに吊るしてあるようなものなのに、何故手を出さん。


「安藤こそ、どうして否定する者と戦うんですか?」


 質問を質問で返す気概がある。答えて、向こうに答えさせるか。


「滅ぼした筈の否定する者が生きている。それが気に入らんからだ」


「くだらないですね。誇大妄想もいい加減にしてください」


 雅に鼻で笑われたが、壊れそうな自尊心を保つ為の哀れな防御と思えば問題ない。


「俺様は答えたぞ。気に入らん、それが理由だ。雅にも答えてもらおうか」


 僅かに間ができた。


 背筋を伸ばし、胸を張ったのが分かる。折れかけた己の心に使命感で鞭を打ったか。


新然代メタリアとして力を持つ者の責任を果たす義務があるからです。普通の人には否定する者と戦う術はありませんから」


 いかにもな建前を堂々と。反吐が出そうだ。そういえば最初に会った時は俺様を力無き者と見ていたな。


 力は力を持つ者の意思で振るうべきものだ。雅の言う責任は社会の権力者が秩序を維持する為に作った戯言にすぎん。


 と言いたくなるが、真っ向から対立するからやめておこう。


「マグナ・ルズの力を更に引き出しただけの事はある。今も養生せず、己をいじめ抜く。力を持つ者の責任を果たす為に命を捧げるとは、殉教者の鑑だな」


 雅は悔しそうに俺様を睨みつけている。


 愚かさを指摘され自覚してしまったのだからな。


「私が自殺志願者だと言いたいわけですね。そうですか、そうですか」


 反論を作れるくらいにはまだ意地を張るか。聞いてはやるが、たい焼きが冷めてしまうぞ。


「生身で否定する者と戦う安藤には言われたくありません。あの時、魔法で回復してもらっていなかったら重傷、死んでいました。周囲の物を壊す、奇行もする、逃げてくださいと言っても、逃げずに敵へ突っ込む。そっちの方がよっぽど殉教者らしいですよ」


 怒りを冷静でくるみながら刺々しく言ってきた。


「逃げる必要が無いのに何故逃げる」


「そう言うのを無謀って言うんです。安藤をフォローするこっちの身にもなってください。リィズァやディッズルの攻撃から助けた回数は、片手じゃ数え切れないんですよ」


 雅の言う事に一理ある。だがな。


「俺様も生存には寄与しているぞ。昨日の奇襲、初手で全滅させないよう健闘したのが誰か、分からぬわけではあるまい」


「ありがとうございました。お礼を言うのが遅れてすいませんでした」


 礼を言って深めに頭を下げた。不承不承ふしょうぶしょうではない。素直に感謝を伝えている。この調子で食ってくれれば楽なのだが。


 頭を上げたところでもう一度聞く。


「否定する者と何故戦う?」


「はぁ、答えは変わりませんよ。責任です。否定する者からみなさんを守る責任です」


 ため息ではなく本音を吐け。鍛練を妨害した時よりも怒りが隠れてしまっている。


「否定する者との戦いが終わったら何がしたい?」


「答えません。私は休みます」


 XRトレーニングルームから出ようとする雅を塞ぐ。


「どいてください」


「断る」


 睨み合いになった。手を出すにはお互い距離を詰めねばならぬ、攻めあぐねる位置取りにしておいた。


「否定する者が現れなくなったら何がしたい? 俺様は分からん。まだこの世界に来たばかりだからな」


 逆質問されるのは目に見えているから予防線を張っておいた。


「なんですか。昨日、否定する者が現れたばかりなのに。もう勝利した時の話ですか」


 雅は少し戸惑ったが、道を塞いで陳腐な質問と呆れているのが分かる。


「本だかなんだかで見たが、十代ってのは夢とかやりたい事を特に探しているんだろ?」


 厳密には本ではなく、俺様が覚えている人間の理想論だが。


「花瑠はアイドルの頂点を極めると言ってたぞ。オリヴィアにも聞きだしたが、海に城を建てて深きものと住むらしい」


「そうですか」


 読めんな。出まかせだと分かっていたら、すぐに嘘だと指摘しそうだが、そうでもない。訝しんでいるというよりは、考えているのか。


「せっかくこの世界に来たのだから、否定する者以外の目標を見つけようと思ってな。雅にも何かあるだろ。参考までに聞かせてもらおう」


 答えぬか。すらすらと高潔な事を述べていた時の雅はどこに行った。


「別になんだってよいのだ。権力、大富豪、淫蕩に耽る、未踏の地への探検、突拍子のない建物を作る、画期的なカラクリの開発、美を極める、動物を集める、大量の本を読む、とかあるだろ」


「答える義務はありませんので失礼します」


 素っ気なく横合いを通ろうとしたから、雅を逃がさぬよう俺様は後ろに跳んで道を塞ぐ。


「邪魔です」


 語気を強め、かなり苛立っているな。


 今俺様がやっている行動を雅にされたら、実力行使に打って出るくらい腹立たしい嫌がらせではある。


「友を作り遊興に耽る。自由気ままにたい焼きを喰らう。傍目から見てささやかな事だとしても、夢とか、やりたい事に含めてもいいんだぞ」


 俺様は雅にたい焼きを示す。


「くたばれ」


 たい焼きを引っ込める。拳の速さはさっきよりちと速い程度。単純だから当然避けられる。


「私に関わらないで。なんなんですか一体。邪魔ばっかり。夢とかやりたい事とか、安藤に関係ありません。さっさといなくなれ」


 たい焼きが紙袋越しだが宙を泳いでいる。くるくる一回転。右手と左手を行ったり来たり。俺様を一周したな。


 今の雅の連撃は、泳がしているたい焼きを観察できるくらいには余裕だ。ただ万が一、極が一でも当たれば、潰れて餡子が飛び出て台無しだ。油断はできん。


「ちょっとでも謝りに来たと思った私がバカでした。許さないですけど。それよりも安藤の方がバカですけど」


 憎悪によるものとはいえ、思っていたより攻撃が続く。


「弟子にすればチームの連携も良くなって、言うことを聞いて、大人しくなると思ったのに、よけいなことばかり」


 たい焼きを後ろに高く放り投げる。


 雅が大きく踏み込んできて、肩や肘、体の側面を使った体当たりをしてくる。俺様は後退して直撃から逃れる。



「そもそも師匠なんてしたくなかった!!」



 身を翻しながら放ってくる蹴り。襲いかかる龍を思わす強烈さだ。


 計羅討凄けいらとうせいりゅう古武術こぶじゅつ青龍せいりゅうさんぺき木星もくせいりゅうりん


 俺様は龍の硬い鱗を意識して衝撃に備える。片腕で蹴りの軌道を逸らし、衝撃を殺す。


 空いた手で落ちてきたたい焼きをつかみ取る。


 雅は蹴り足を下ろし、膝に手を置きへばっていた。しばらく攻撃してくる事はないだろう。


「………たい焼きは、手切れ金です」


 百五十円か。昨日のたい焼きは俺様との縁を切る為か。美味いものだが、百五十円ぽっちとは安過ぎるぞ。


 袋はだいぶよれている。肝心のたい焼きは、小麦色が餡で滲んでいるところはあるが、たいの原型はどうにか留めているから、いちおう無事だな。


「いいですよね。安藤は自分勝手で」


 俺様を見る雅から恨みと妬みを感じる。


「なら、自分勝手に生きればいい」


「できませんよ」


 諦観だ。己の欲望を抑制し過ぎたせいで分からなくなっているな。


「私だって、遊びたいですよ」


「ぉお、ようやく言えたな」


 つい感嘆したらそっぽを向かれてしまった。


「なら、遊べばいいだろ。この世界には娯楽が腐るほどある。遊ぶ相手は花瑠でいいか。誘えばついていくだろ」


 今度は深いため息をつかれた。まぁ、できていればこうはならんか。


「私は私に誓っているんです。否定する者との戦いに勝つまでは、戦いに身を捧げると」


「なっ」


 驚愕させられたぞ。


 真っ直ぐと高潔を振りかざしおって。青臭すぎて反吐が出そうだ。俺様に奇行がどうのと言ったが、雅は奇特でやはり殉教者ではないか。


「戦いが終わったら、女子高生らしく遊びます」


 いつ終わるとも知れない戦いだぞ。黙っておくが。


「計羅討凄流古武術もやめます………」


 更に驚愕させられたぞ。覇道を捨てるだと。まだ道半ばだから、すぐの事ではないが。


「やめるのか」


「戦いが終わってからです」


「世界を守るのは守った世界で遊ぶ為か」


「戦いに勝ったとしても、誰かがいなくなったり、場所が壊れていたら、当たり前が当たり前じゃなくなって、やれなかった事ができないんです」


 感嘆したぞ。世界から何一つ失わせまいとする強欲、世界を自分一人で守ろうとする傲慢。


 だが、一つ腑に落ちないのは覇道を捨てると言った時の弱々しさ。そこが腑に落ちん。


「………理想論だとは、自分でも分かっています」


「いいと思うぞ。遊べる日常を守る為に戦う」


「馬鹿にしないんですね」


「よく、人となりが多少なりとも見えたからな」


 心の中で愚弄している事は多々あるが、雅の欲望が俺様を阻むとは思えんからな。否定する者ではあるまいし。


「分かった。少しでも雅が戦いに集中しやすいよう、学校は辞めよう。破門も受け入れる」


 これでも誠実って感じで伝えた。が、雅からは忌々しい存在が去る喜びや安堵は見られん。


「学校には行ってください。後、授業中はノートを取ってください」


「なるべくな」


 もう一度たい焼きを渡すか。今なら空腹を自覚し食うだろう。


「食うか? 味は多少落ちたかもしれんが、舌も腹も満たせよう」


「けっこうです」


 即答。俺様を拒絶する刺々しさではなく、戦支度の面持ちだな。


「何故だ?」


「リィズァに追いつけるよう、少しでも体を軽くしたいからです」


 まったく効果が無いとは言わんが、奴の殺気を察知できるようになった方がはるかにいいと思うぞ。


「そうか。邪魔してすまない」


 一応、頭は下げた。


 俺様に非があるようには思えんが、今は雅を肯定するよう努めているからな。必要な事だ。


「私は失礼します」


 雅がXRトレーニングルームを出ようと歩きだす。


 俺様は立ち塞がらずそのまま通す。破門を解かせるには至らなかったが、手応えが無いわけではない。深追い無用だ。


「いいですよね。自由で」


 去り際に雅から漏れ聞こえたぞ。流石に無視できんな。


 俺様は雅を捕まえようと手を伸ばす。


 不意打ちに反応した雅は反射的に技をかけようとする。織り込み済みだ。俺様はすぐ伸ばした手を引っ込める。


「なにするんですか?」


 軽蔑した目で見てくるが知るか。雅を止めるにはこれが手っ取り早い。


「自分にかけた誓い以外で、何が雅を縛るのか興味があってな」


 雅が口を押さえた。思わず、無意識的に言ってしまったのだろう。


「覇道を捨てるのと関係があるようだな」


 居づらそうにしている。出ようと思えば出れるが、俺様に背を向けようともしない。


 今は声をかけず雅を見届けるとしよう。話すならそれが一番、話さぬのならそれで構わん。


 雅が重々しく嘆息した。


「私の師匠は祖父です。弟子は私一人だけです」


 頷く。主流の流派でない事は理解している。弟子が一人だけと言うのも珍しい話ではない。


「祖父は私が計羅討凄流古武術の当主になると期待しています」


 どんなに優れた覇道だとしても継承されず、その代で途切れてしまえば情報は大きく失われてしまう。


 師匠をする者は弟子達に力を誇示すると言うのも大いにあるが、多少なりともその覇道が優れているから情報を伝播したいと考えているものだ。


「でも、私は当主になりたくありません」


「普通の生活をするなら、そうだな」


 雅の唇が緊張で震えている。


 俺様は殺気を消し、そうだな虚空になるよう努める。


 恐れが伝わってくる。根深いものだろう。


 迷いを感じる。



「師匠、祖父の期待を裏切るのが怖い」



 溜めこんだ葛藤の告白。


 雅の息は早く、疲れているのが分かる。


 例え否定する者が現れなくなったとしても、師匠である祖父の存在が雅の望む普通を阻んでくる。


 覇道を行く者にとって師匠の存在は大きい。雅の様な忠実な弟子、しかもたった一人の弟子となれば、かかる責はとてつもなく重い。


「解決方法はある」


 俺様がそう言うと雅が恐る恐る見てきた。


「俺様を再び雅の弟子にする事だ」


 雅が目をぱちくりさせている。


「兄弟子である雅から技を学び、後に本来の師匠である祖父に俺様を紹介する。その時に雅は覇道を捨てる意思を示す。代わりに俺様が祖父から学んで計羅討凄流古武術を継承する。雅は晴れて自由を謳歌できる。素晴らしいと思わないか」


 間ができた。


 俺様の理屈がいかに優れているのかを飲み込むのに時間がかかっているな。


「ぇえーーーッ!!」


 本当に時間差だな。驚くのに一分七秒かかってたぞ。


「ほ、本気です、か?」


「いかにも」


 雅の耳が赤くなっている。どうした。


「えー、いやいや」


 首をぶんぶん振りながら、何を狼狽えている。驚いてから、一度も俺様を見ようとしないのは何故だ。


「ぉほん」


 雅が小さく咳払いをした。平静を取り戻したな。


「わかりました。安藤の破門を解きます」


 俺様が重荷を取り払ったおかげか、今の雅は少なからず近づきやすくなったと感じる。


 何故、狼狽えていたのか分からんが、今なら買ったたい焼きを食ってくれるかもしれん。


「雅、たい――」


 ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ。


「否定する者出現、否定する者出現」


 初めて聞いたぞ。これがエクスカリバーのラッパか。


「安藤、急いで影森司令の所へ」


 雅がXRトレーニングルームを出て行った。


 俺様はたい焼きを食いながら影森の所へ向かった。


 温め直し、袋の中で何度も振り回され、冷めてしまった憐れなたい焼きは、やはり味が落ちて美味くなかった。

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俺様は世界を創れるんだが、人間にまで弱体化した シャノン・ディラック @writertutida

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