陽光を追いかける

真田

1話完結


 祖母の好きだったガーベラが供えられた墓は、少し異質だった。赤色の華やかなそれは、閑静な寺にはあまり似合わないなと我ながら思う。生きていた時も、少しずれているところがある人だったから、これくらい目立つのが丁度いいのかもしれない。


 線香の匂いに慣れ始めた頃。最後にもう一回だけと墓に水をかけて手桶棚へと向かった。本当は掃除でもしようと思っていたけれど、この身を焼かれるような暑さには耐えられそうにない。夕方になって少し涼しくなった時間を狙ったつもりでも、熱気は健在だ。やっぱり神戸は暑い。


 余った水を流して手桶を棚に戻すと、ガラガラと寺の戸が開く音がした。振り返ると、派手な色の髪をした男の人が立っている。


「あれ、三木やん」

「隼人くん、?」


 Tシャツにジーンズというラフな服装の彼、隼人くんはだるそうに靴をひっかけてこちらへ向かって歩いてくる。


「忘れてたんか」

「忘れてなんかないですよ! いやあ、その、こんなに小さかったっけと思って」

「お前がでかくなりすぎただけや」


 そう言って見上げてくる隼人くんは、本当に思っていたよりも小さくて変な感じがした。元から大きなわけではないのは知っていたが、それにしても超す日が来るとは思っていなかったし、聞きなじみのある筈の彼の関西弁も記憶の中のものとは違うように思う。


「帰省?」

「うーん、帰省なんですかね。今回は俺しか来てないんで」

「そうなんや」

「興味なさそうっすね」

「うん」


 ひどいなあ、と返すとけらけらと笑われてしまった。昔から、会うたびに遊ばれている気がする。


「なあ、これから時間ある? 茶しばかへん?」

「俺、それ言う人初めて見ました」

「そうやろな。俺も言うたことないわ」


 俺の横をすり抜けて、門の方へと向かっていく背中を追いかける。走らなくても十分に追いつけるくらいに、大きくなってしまっていたらしい。



 隼人くんはこの寺の子供で、夏休みに兵庫の祖父母の家に来た時にはよく遊んでもらった記憶がある。当時は、時代の最先端を行くようなチャラチャラとした兄ちゃんで、年が近いわけでもない、よその子供になんでそんなに構っていたのか不思議に思ってしまうような人だった。


  一番最後に会ったのは隼人君が美容師の専門学校に通っていた頃。俺は中学生になったばかりで、少し気恥ずかしくてあまり話さずにすぐに分かれてしまった。目の前の金髪とまではいかないような派手な茶髪を見るに、美容師の道を進んだのかもしれない。人の入れ替わりが激しい業界だと聞くが。


 寺を出て、細い路地に入ってどんどんと迷いなく進んでいく隣を歩く。見慣れない街並みを涼しい顔をして歩いている隼人くんは、確かにこの町で育った人なのだと思わせられる。


「この辺来たことないんか」

「ないです。初めて来ました。お寺と隼人くんが連れて行ってくれたところ以外は全然」

「へえ。まあ、じいさん家ここから離れてるしな」

「そうなんですよね。なんでよく隼人くんと遊んでたんでしょう」


 小さい頃に遊んでもらった記憶こそあれど、いつからそうだったのか、どうしてそうなったのかは覚えがなかった。ふと思ったことを言えば、驚くような、もはや引いているような目を向けられた。


「えっ、知らへんの」

「はい」

「嘘やん。お前のじいさんが俺の中学んときの先生やったからやで」

「本当ですか!?」

「嘘ついてどうすんねん」


 そんなこと一ミリも知らなかったと正直に言えば、よう知らん相手と遊んでたな自分とあきれた顔をされた。


「じゃあ、相手してくれてたのっておじいちゃんの命令だったってことですか」

「厳密にいえば命令とはちゃうけどな」

「それでも、なんかちょっとショックです」

「俺は今まで何も知らなかった方がびっくりやけどな」


 知らなくたって会話もできるし、遊ぶこともできる。なんで子供の相手をしているのか不思議だったけど、理由が分かってもすっきりとしない。義務感だったのかと思うとちょっと複雑だ。まあ、あんなチャラチャラした、尖った兄ちゃんが完全に好意で面倒を見てたとしてもちょっと変な感じがするけど。


 そのあとも、なんで知らんかったんとか、気にならへんとか相変わらずずれてんなとか、しばらくぶつぶつ言っていた隼人くんが、一つの店の前で止まった。UCCの看板がでた趣のある喫茶店。ためらわず開けるその後に続いて入ると、ほんのり煙草の匂いがした。


 顔を見るなりいらっしゃいとだけ言った店員らしき人は想像していたよりもずっと若かった。三十にも届いていないように見える。会釈だけして、隼人くんの向かいの席に座った。


「コーヒー飲める? 紅茶の方好きやったりする? クリームソーダとかもあった気ぃするけど」

「飲めます。コーヒーでお願いします」

「じゃあ、ホットコーヒー二つ」


 水の入ったコップとメニューを持ってきた店員さんは、隼人くんがそう告げるとはーいと間延びした返事をした。


「よく来るんですか?」

「最近な。あの人が継いでからやな。前の職場の先輩やねん」

「前の職場ってことは美容師やめちゃったんですか?」

「やめてないで。最初に働いてたとこが潰れただけやから」


 潰れたっていうか潰したっていうかな、と続けた隼人くんが言うにはチェーン店だから潰れてもさほど問題は無いらしい。そう言えば誤解が生まれそうだが、働いている身としてはその一店が潰れたところで他の店に移動するだけだから問題がない、というだけで大元の会社からすればどうかはわからない。会社自体が倒産しても他の店を探せばいいだけだからと言って、高校生にする話ちゃうなと笑った。別に話されて困るようなものでもない、と返すのも変な気がして口をつぐんだ。


 運ばれてきたコーヒーは、詳しくない人間でもわかるほど美味しかった。特別好きなわけでもないけど、普段眠気覚ましに飲んでいるインスタントと比べれば遥かに飲みやすい。四分の一ほど減ったカップを受け皿の上に戻すと、視線を感じて顔をあげた。


「なんかついてますか?」

「いや。デカなったなと思って。今いくつなん」

「高校生です。二年生になりました」

「うわあ。はやいな」

「さっきからおじさんくさいですよ」

「三木からしたら俺なんておっさんやろ」

「二十五はさすがにおっさんだと思いません」

「そんなもん?」

「そんなもんです」


 二十五歳。あと八年したら俺は同い年になる。まだ全然若いはずなのに、どうしても大人びて見えて、自分はこんな大人にはなれないだろうと思う。現に、高校生だった頃の隼人くんの隣に並べたと思った事なんて一度もない。


 コーヒーだって、飲めないわけじゃないけど、詳しいわけでも何でもない。ブラックよりもミルクを入れた方が口にはあって、家で飲むときはいつもそうだった。味覚一つで内面が決まるわけじゃないのは分かっているが。


「……そういや、昔はアパレルブランド立ち上げるって言ってませんでしたか」

「よう覚えてんなそんなん」

「覚えてますよ、めちゃくちゃ。話してる時の隼人くんかっこよかったですもん」


 夏休みなのに高校に行っていた隼人くんが帰ってきて、着崩した制服のまま俺の相手をしてくれた。その時期ハマっていたはお絵描きで、へたくそな絵をかいてるのを隣で見ていた。画家になりたいと言ったら、俺は服を作りたいとまっすぐな目で言われて、いつかデザインしてなと言われたのを強く覚えている。認められた瞬間だと思った。


「今もまだ絵書いてんの?」

「はい。美術部じゃないですけど、予備校行ったりしてます」

「ほんまに? すごいんやな。じゃあ大学とかも美術系?」

「いけたらいいな、とは思いますけどね」


 上手いんやろうな、と嬉しそうな顔でいる隼人くんが高校生の時の姿と重なる。髪の毛のも、声の高さも、あの時とは違うけど、紛れもなく俺の知っている隼人くんだった。さっきから、知らない顔ばかり見ていたから、少しほっとした。


「あの時隼人くんがデザイン案起用するっていってくれなかったら、続けてなかったかも」

「そんな影響力あったん俺」

「ありますよ。今の今まで続けてるくらいですから」


 嬉しそうで、寂しそう。やっぱり嬉しそうの方が強いかも。でも、哀愁が漂っているのは見て取れて、言葉に詰まってしまう。いつもまっすぐでキラキラしてたから、どんな風にしたらいいのか分からない。俺が大きくなって見せてくれるようになった表情なのか、隼人くんが大人になったのか。きっとどっちもだ。


 二十五歳って近くて遠い未来で、でもそこまで大人だと思っていなかったけど、きっとそうじゃない。そろそろでるかと席を立って、お会計をしている隼人くんもやっぱり大人だった。


 店を出ると、一気にもやっとした熱が身を襲ってくる。草花もうだるような暑さだ。


「このままじいさん家帰るん?」

「はい。隼人くんはお寺ですか?」

「いや。パシられてただけやから帰るで」


 駅に向かってだらだらと歩く。まだまだ夏真っ盛りで、突き刺すような西日がさらされた肌を刺激する。


 職場が変わったのをきっかけに始めた独り暮らしの家は、同じ路線の、俺が降りる一駅後が最寄りらしい。独り暮らしをしているのが想像つかないようなつくような。自炊はしていなさそうだと思ってしまった。


 駅のホームも変わらず暑い。電車が来るまでの間、連絡先が欲しいと駄々をこねてアプリで交換した。夏休みにだけ会えるお兄ちゃんの連絡先が手の中にあるのは不思議な感覚だった。


「……なんで、こっちで送ってくるんすか

「なんとなく」

 よろしくお願いしますと送ったら、敬語使うの気持ち悪いからやめてと返ってきた。そこはスタンプとか、よろしくとか、そういう類のものを送るのが定石じゃないのか。


「もー、三木に敬語使われるんほんまに嫌やねん。気持ち悪い」

「さすがに大人相手にため口は無理です、もう」

「なんでやねん。隼人くん、これ。とか、隼人くん、眠い。とかそんなんしか言わんかったくせに」

「盛ってませんか」

「盛ってへん盛ってへん」


 でも、と隼人くんが続ける。足元からなぞるように頭の先まで見上げて、ほんまにデカなったなと呟くように言った。180ありますというと、げっ、と顔を顰められる。そんなに何度も言われるほどか、とは思うが自分でさえここまで伸びるとは思っていなかったので、第三者からすればもっと驚くようなことなのかもしれない。隼人くんは大きく見積もっても175には届いていなさそうだから尚更。


 もうすぐ電車が来るとホームにアナウンスの声が響いた。ほどなくして、吹いてくる強い風を受けながら止まるのを待つ。


 乗車口の端に隼人くんの後ろに並ぶ。大きな背だと思っていたのに、今は自分の方がずっと大きくなってしまった。この身長を悔やんだことはないが、どうしても寂しさを感じる。


「隼人くん」

「ん?」

「俺、大学こっちこようかな」

「大学がないやろ」

「あ、たしかに」

「なんやねんお前」


 乗車口の端に隼人くんの後ろに並ぶ。大きな背だと思っていたのに、今は自分の方がずっと大きくなってしまった。この身長を悔やんだことはないが、どうしても寂しさを感じてしまう。


「隼人くんともうちょっと会えたらいいのに、と思って」


 そう言うと、少し目を開いて、それからふっと穏やかに笑った。


「いつでも会うたらええやん。三木の家ともそこまで離れてないしな」

「……いいんですか」

「ええよ。せっかく連絡先交換したんやし」

「じゃあ、また今度会いに行きます。絶対に」

「おう」


 強く風が吹き上げて、髪型を崩していく。ほどなくして止まった電車から、人が疎らに降りていった。完全に人が降り切った車内へと少しずつ人が流れていく。一足先に電車に乗った隼人くんの背中はやっぱり大きくて眩しかった。


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