バイバイクリア

「……茜。すごく、いい写真だな」


 感慨深く呟くと、茜は照れたように笑って自分の頬を撫でる。彼女の後ろから真城が近づいてきて、カメラに映っている写真を覗き込んだ。どこかぎこちない笑顔を浮かべる葵と、ガチガチに緊張した面持ちの俺。タイミングが悪かったのか、顔が引きつっている。傾けたケーキは光の加減で色味が悪く見えてしまう。


 それでもこの写真が魅力的に映るのは、撮影した茜に対する信頼感が見て取れるからだろう。


 撮ったばかりの写真で盛り上がっている俺たちとは別で、ケーキが楽しみなのか葵とクロエが今か今かと待ち構えていた。ため息混じりの真城が小さいナイフを片手に5等分しようと試みているが、途中で何かを思いついたのか、葵にナイフを渡した。


「……?」

「それでは、新郎新婦のケーキ入刀です」


 微かに、茜に対して目配せをすると、察した彼女がスマホからパパパパーンと、見知った曲が流れ始めた。いわゆる結婚行進曲である。なんでそんな曲が用意してあるのかは分からないが、思わず雰囲気にのまれてしまう。


 呆気に取られていると、いつの間にか葵は俺の手を握っており、2人でケーキに向けてゆっくりとナイフを降ろす。面白がっているクロエは、自分のスマホでパシャパシャと写真を撮っており、ゲラゲラと腹を抱えて笑っていた。


 テーブルが低いためか、なかなかケーキまでナイフが下ろされない。

 あと少しでケーキが切れるといったところで、葵が手を止める。


 ビビった。本当にするのかと思った……。


「……さすがにこういうのは、ちゃんとした結婚式でやりたい」


 頬を真っ赤に染めながら、俺の手を放す。ほのかに残る温かさが寂しさを感じさせた。何とも言えぬ感情を抱く俺を放って、上手いことケーキを5等分に切り分けた。

 それぞれを紙皿に載せると、少し俯きながら、俺の分を差し出してくる。


「あ、ああー。なんかちょっと照れるな?」

「……うん」


 ちょっとした冗談とはいえ、カラオケルームに気まずい雰囲気が流れた。決して暗い感情ではなく、照れから発生するような沈黙である。重い空気を誤魔化そうと互いに笑みを浮かべた。

 音楽が止まって、クロエが紙皿を自分の方へと引き寄せた。一瞬だけきょろきょろと俺たちの顔を見るが、不格好に乗った生クリームとイチゴが零れ落ちそうになっているのを見て、少し慌てた様子でフォークでバランスを整える。


「ケーキ、いただきまーす」


 咳ばらいをした茜も、クロエに倣ってケーキを口に運ぶ。出遅れた本日の主役もそれに合わせてケーキを食べると、2人揃って美味しさに悶えるような声をあげた。

 純白の生クリームとふんわりとしたスポンジ。側面からはキツネ色の綺麗な焦げ目が覗いており、一番上には斜めになったイチゴが乗っかっている。3人が美味しそうにケーキを頬張っている姿を見て、がっつくようにケーキを食べ始めた。


「……美味い!!」

「フフ、良かったです」


 真城の上品な微笑み。

 お世辞などではなく、本心から零れ落ちた言葉。口をついて出た素直な一言に、俺の方が照れてしまう。聖女のような笑顔を見ていると、余計に気恥ずかしさがある。


「真城は料理が上手いって言ったでしょ? 任せておけば正解なんだから」

「茜ちゃんも手伝ってくれたじゃん。茜ちゃんも上手だったよ」

「ボクも飾り付け手伝った!! どう、葵?」


 クロエがテーブルに身を乗り出して、アピールするように手を挙げた。ケーキ作りはノータッチだったが、せっかくなら混ぜてもらいたかった気もする。ワイワイ騒ぎながら葵のために作るのは、さぞ楽しいことだろう。


「ケーキはすごくおいしい。けど、飾りつけは全然ダメ。イチゴが傾いてる」

「う、それはゴメン……」

「うそ。斜めになってるけど、ちゃんと飾り付けてくれたのが伝わるし、生クリーム多めで嬉しいよ」


 クロエが顔を輝かせると、それに応えるように親指を立てた。

 仲睦まじくしている2人を見ていると、自然に笑みがこぼれた。


「コレ、スポンジも自分で焼いたんだろ? 大変じゃなかったか?」


 ニヤついているのがバレないように、真城からケーキの作り方を聞く。さすがに自分で作るつもりはないが、どんな風に作ったのか興味はある。


「まぁ、ちょっと難しいホットケーキって感じですね。慣れればすぐですよ」

「その慣れるまでが大変でしょ。葵なんて、この前目破裂した目玉焼きの写真送ってきたわよ」

「ちょっと、それは言わない約束じゃ……」


 茜がスマホを操作すると、葵とのメッセージのやり取りが表示される。数週間前の履歴には、『卵、爆発したんだけど』というメッセージと、黄身が破裂してフライパンの蓋にまで飛び散っている写真。

 その下では変な顔をしたウサギが嘲笑をみせるスタンプが返信されている。


「焼きすぎたのか? 葵、料理下手なんだな~?」

「……私食べる専門だし。お兄さんの方はどうなの?」


 意外。という程でもないが、それなりに料理は出来る方だ。勿論、実家暮らしの時は母親任せで米のとぎ方すら知らなかったが、社会人になって3年も経つと、自炊も慣れてくる。


 さすがに会社帰りで疲れているときは、肉と野菜を炒めた物という簡単なもので済ませているが、休みの日や時間のある時は、揚げ物なんかにも挑戦している。


「どやぁ!! この前作った唐揚げだ。美味そうだろ」

「わぁ、綺麗に揚がってますね。得意なんですか?」

「うぇ~!? 絶対嘘でしょ。ネットで拾ってきた画像なんじゃないの?」


 クロエがからかうように笑うが、本気で言っているわけではないようで、わずかに尊敬や感動に似たキラキラとした目で写真を見ている。


「お兄さん、すごいね。いや、唐揚げもすごいけど、それ以上に撮り方が上手すぎる……」


 俺としてはなんとなく日常を撮っただけという感覚で、特にこだわった部分があるわけでもない。しかし、俺が撮る写真が好きらしい茜はまじまじと見惚れている。同じく葵も、何か感じるものがあるらしく、無表情ながらも目つきがいつもと違う。


「すごく美味しそう……」

「大盛りのご飯とケーキ食べたのに!?」


 マンガの食いしん坊キャラみたいなことを言い出す葵に思わずツッコんだ。


「ねぇ、それよりさー、ボクたち葵にプレゼント買ってきたんだよー。このままじゃ渡さないで終わっちゃうけど、要らない?」

「要る!! お兄さんも買ってくれたの?」


 子供のような無邪気な笑顔で感謝を伝える。

 ケーキの出てきた紙袋を気にしている様子は、クリスマス前夜の小学生のようにワクワクしているようだった。3人のプレゼントはともかく、俺のプレゼントはちょっとオシャレな櫛ただのコームなので、喜んでもらえるかは分からない。


「じゃあ、言い出しっぺのボクからね!! じゃん、マグカップとマンガ~!! 葵、猫好きでしょ?」


 細身の猫のシルエットが描かれたマグカップと可愛い猫が表紙のマンガ。どちらもクロエが買っている所を見ていたためか、何か感慨深い気持ちになる。

 宝物を受け取るように抱きしめて、マグカップの猫を撫でている。

 顔には出ていないが、喜んでいる雰囲気は伝わった。


「可愛い。好き。大好き。……猫、可愛い」


 よほどマグカップのデザインが気に入ったのか、一点を見つめながらうわ言を繰り返す。ネコの漫画も気になっていただけあって、とても嬉しそうである。


「わ、私はタオル!! この時期だとよく使ってるでしょ? なるべく肌触りのいいやつを選んだから、部活がない日にも使ってほしいな。あと、コレ、シャーペン。一緒に勉強頑張ろうね」


 包装に包まれたタオルを取り出し、生地を確かめるように広げたり揉んだりしている。慣れたように青色のタオルを首から提げると、唐突に真城を抱きしめた。恥ずかしそうにしているが拒絶する様子はなく、アワアワとしながらも抱き返した。


「真城、また勉強教えてね。大好き」


 真っ白な指と綺麗で細い指が絡められる。抱き合う2人の百合百合しい光景に、思わず口角が上がった。


「葵、アンタはいつもカッコイイって言われてるけど、私からすれば、すごーく可愛い女の子よ。ちっちゃい頃から私たちの前に立って守ってくれてた。そんな、強くて優しくて綺麗なあなたが大好き」


 そう言って茜が渡したのは、青い薔薇をモチーフにしたヘアピンだった。

 気品があって美しく、凛としている。自信と儚さを併せ持つ青い薔薇は、誰よりも強くて誰よりも臆病で、誰よりもカッコイイ乙女にピッタリだ。


「今、つけてもいい?」

「い、いいわよ。プレゼントで贈ってるんだから勝手にしなさいよ」


 ぶっきらぼうな口調で茜は言うが、明後日の方向を見る彼女の耳が真っ赤に染まっているのを、俺たちは見逃さなかった。

 元々付けていたヘアピンを外して、貰ったばかりの方を付けた。


 サラリと流している前髪に、小さいながらも主張の強い青い薔薇が咲き誇った。はにかみながら上目遣いで反応を窺う彼女は、お世辞なんかじゃなく本気で、世界一可愛かった。


「……茜。大好き」


 他の2人に向けた言葉とは一線を画すような熱のこもった声。


「うん」


 それに対する少女の返答も、また、短いものだった。


「あ、あとコレ。おすすめの参考書。部活ももうすぐ終わりでしょ。頑張って勉強しなさいね」

「茜はいつもお母さんみたいなことを言う……。さっきまでいい雰囲気だったのに」


 気恥ずかしくなった茜が誤魔化すようにもう一つのプレゼントを取り出すと、雰囲気をぶち壊されたことに憤りながらも嬉しそうに参考書を受け取った。

 まぁ、2人だけの空間みたいで、皆は入れなかったし、今回はしょうがないんじゃない?


「……お兄さんで最後だね。何をくれるのかな?」

「ハハハ。この流れで出しても、微妙かもなぁ。すっげぇ緊張する」


 情けないぐらいに手を震わせながら、ラッピングされたプレゼントをショルダーバッグから取り出した。


「……櫛? ラメが入っててキラキラしてる」

「葵に何を贈ろうかなって考えた時、夏祭りの時に見た、綺麗な青のポニーテールを思い出したんだ。左右に揺れる髪が夏の海みたいで綺麗だったなって思って。だから、髪を手入れするための櫛」


 タイミングよくやかましく流れていた音楽が止まり、4人の完全な沈黙がカラオケルームに広がった。どこかの部屋から響いている微かな音楽だけが耳に入ってくる。それぞれの呼吸音さえ聞こえないような空白の時間。それがいつまで続いただろう。


「可愛い。嬉しいよ、お兄さん」


 高い位置で結んだポニーテールを揺らす少女は、雄大な海のように明るく可愛らしい笑みを見せた。心の奥を掴まれるような愛おしい表情に、思わず息が詰まった。

 首筋を垂れる冷汗は、この部屋が暑いからだろうか。それとも……。


「よ、喜んでくれたならよかったよ」

「うん。すごく可愛くて、使いやすそう。毎朝使うね」

「毎朝じゃなくてもいいんだけど……。なんか恥ずかしいし、たまに使うぐらいで頼む」

「やだ。毎日使う」


「タオルもマグカップもヘアピンもコームも、マンガもシャーペンも参考書も、全部、大切にするね。それとさ、お兄さん、もう一つだけ、プレゼントをお願いしてもいい?」

「……分かってるよ。ほら、皆、葵の近くまで寄ってくれ」


 貰ったばかりのプレゼントに囲まれながら、大切な親友3人と共に。

 満点の笑みを浮かべる少女の写真を、最後の思い出にして。
























「じゃあな、葵。気を付けて帰れよ~」

「うん。お兄さん、いろいろとありがとね。すごく楽しかった」


 ああ、俺も楽しかったよ。

 思い返してみれば、この半月あまりいろんなことがあった。


 夏祭りの日、女子高生とは知らずに茜をナンパしたことから始まり、真城を助けたり葵に警戒されたりクロエと一緒にゲームをやったり、自分でも驚くほどに忙しくて、濃い半月だった。

 多分、まともな大人の観点からすれば、彼女たちと関わりを持つのは危険だと考える。


 それでも雰囲気に流されてズルズルと付き合いを続けてしまった。世間一般からみて褒められたことじゃないのは分かっている。けれど、そんな楽しい思い出も今日で最後だ。

 葵の誕生日。それが引き返すのに都合のいいポイント。

 お互いに楽しい思い出のままで終わらせるのが一番だ。


 カメラに残された彼女たちの楽しい思い出を振り返って、もう二度とあの子たちとは関わらないと決意を固めて車を走らせた。

 それはまるで、何かから逃げるようでもあった。

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夏祭りで女子高生をナンパしてしまった。しかも4人も!!!! 平光翠 @hiramitumidori

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