67 甘いひととき

 弘治が修斗の店を去った頃。ヒカルと桃音は、パジャマを着て、シングルベッドの上で抱き合っていた。

 二人でお風呂に入った際、しなやかなヒカルの指で身体中を洗われた桃音は、それだけで悲鳴をあげてしまい、「それ以上のこと」はひとまずお預けとなったのだ。


「桃音」

「なぁに、ヒカル」

「キスしていい?」

「うん、いいよ」


 アイドルである以上、恋愛は禁止だ。それは、明言されたものでも契約書にあったものでも無かったが、桃音はそれを徹底しようと考えてはいた。しかし、目の前に居る吸血鬼の魅力に抗えず、彼女は求めに応えた。


「……ヒカルの舌、やらしい」


 正直な感想を述べると、ヒカルはニヤリと口元をほころばせた。


「まあ、経験豊富ですからね」

「あっ、そういえば桃音、ヒロコさんとのことそんなに聞いてない。何があったの?」


 ヒカルは視線を泳がせ、逡巡した。しかし、話すタイミングといえばこういう時しか無いだろうと思い、打ち明けることにした。


「ヒロコさんとは恋人同士だったって話まではしたよね?」

「うん。どうして別れたのかなって」

「ヒロコさんの要求にね、ちょっとついていけなくなってきたんだよ。あの人、相当なサディストでさ。身体中痛めつけられて、最初はそれが愛情の印だと思ってたんだけど、段々苦痛にしか思えなくなって」


 ヒカルは自分のパジャマのボタンを一つ外した。


「アタシの肌、綺麗でしょ?」

「……うん。とっても綺麗」


 浴室であらわにされたとき、桃音はそれをしっかり目に焼き付けていた。


「吸血鬼はね、血を吸えば傷や痣が治るの。だから、ヒロコさんにされた痕はもう残っていない」


 桃音はそっと、開かれたヒカルの胸に手を添わせた。びくり、とヒカルの身体が震えた。


「ごめん、びっくりした?」

「ううん、いいの。桃音ならね」


 ヒカルは桃音の手を取り、握り合わせた。


「だから、桃音はゆっくり話し合いながら、互いの気持ちを探っていきたい。無理やりなことはしたくないんだ」

「うん。ありがとう、ヒカル」


 それからしばらく、二人は無言のまま見つめ合い、互いの髪をいじった。口を開いたのは、桃音からだった。


「それじゃあ……ヒカルは基本的にはMってこと?」


 若干の沈黙があった。照れくさそうに、ヒカルは答えた。


「うん、そうだね。桃音もそうでしょ?」

「うーん、わかんないや。さっきの話聞いて、ちょっと興味が出てきちゃった」

「興味って?」

「桃音がヒカルのこと虐めたらどうなるのかなって」


 ヒカルは目を見開いた。桃音はというと、ただただ純朴な目をしていた。


「虐めてみる?」


 桃音の手を取ったヒカルは、自分の胸に当てさせた。桃音はヒカルの乳首をパジャマ越しにつねった。


「んっ……」

「痛かった?」

「ううん、これくらいだと平気」

「ふふっ、ヒカル、可愛い」


 いたずらっぽく笑う桃音。まるで、新しい玩具を買ってもらった幼児のような表情だった。


「こっちもしていい?」


 ヒカルが答える前に、桃音はもう片方の乳首をきゅっとつねった。さっきよりも強く。


「ひゃん……」

「どうしよう、桃音、楽しくなっちゃった」


 今度は桃音の方から、舌を絡ませた。ついさっきまでは、こういう色事など知らない生娘だったはずなのに、彼女はやけに大胆だった。アルコールの作用ならとっくに抜けているだろう。ヒカルは考えた。桃音は相当に才能があるのではないか。


「ねえ、ヒカル」


 桃音は耳元で囁いた。


「血ぃ、吸ってよ」

「うん、わかった」


 ヒカルは桃音の人差し指に食らいついた。とくん、とくん、と二人分の鼓動が揺れた。血を吸い終わった吸血鬼はパートナーに聞いた。


「桃音もアタシにかじりついてみたい?」

「うん……やってみたい。どこならいい?」

「耳とか」


 ふうっ、と桃音はヒカルの左耳に息を吹き付けた後、耳たぶを優しく噛んだ。それだけでは飽きたらず、右耳も同じようにそうした。


「今日はここまでね」


 そう言ってヒカルは制しておいた。お楽しみなら、これから先、取っておけばいい。桃音とは長い付き合いになるのだから。


「うん。そろそろ寝ようか、ヒカル」

「おやすみ、桃音」


 電気を消した後、三十分くらいで桃音は安らかな寝息を立てだした。しかし、吸血鬼はまだまだ眠れない。ヒカルはそっとベッドからおりると、冷蔵庫の中身を物色した。


「……あった」


 桃音のお気に入りの、ソーダ味の缶チューハイをヒカルは失敬した。グラスなどには注がず、そのまま飲んだ。

 それから、スマホで動画アプリを立ち上げ、音量はミュートにして、エスプリのダンス動画を再生した。この中の一人と今、甘い会瀬を交わしているのだと思うと、ヒカルの胸は高ぶった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る