66 対峙

 やってきたのは、弘治だった。


「いらっしゃいませ」

「あのう……アカリがこの店に来ませんでしたか?」

「アカリちゃんなら、ハノンさんの家に行きましたよ」


 達己はぶっきらぼうに答えた。


「えっと、店には居たの?」

「ええ。ここで散々やけ酒して、ハノンさん呼んで、連れてってもらいました」

「まあ、そういうことですから。弘治さんもとりあえず一杯飲みませんか?」


 脩斗が客席に手を向けた。


「じゃあ、そうするっす。えっと……事情は全部ご存知で?」

「ええ、まあ」


 弘治はわしゃわしゃと髪をかきながら、席に着いた。


「ハイボールください」

「何かお好みはありますか?」

「そうですね、フルーティーなやつで」

「それじゃあ……これはいかがでしょう。ヒンチです。他の店にはあまり置いていないと思いますよ」


 脩斗が氷を砕いている間、達己は早めに本題に入った。


「俺がアカリちゃんに告白してたってこと、弘治さんは知っちゃったんですね」

「うん。まさかこんな形でね。全然知らなかったよ」

「知られない方が良かったです」


 達己はじっと弘治の瞳を見据えた。弘治はそらさなかった。


「どうぞ。ハイボールです」

「シュウさん、ありがとう」


 弘治は一旦グラスに目を移した。綺麗に割られた氷の入った透明な液体。それをちびりと飲み始めた。


「飲みやすいっすね、これ」

「アイリッシュは飲みやすいんですよ。まあ、弘治さんも胸の内を話していってください。アカリさんもそうされました」


 ふうっとため息をつき、弘治はポケットからタバコを取り出した。


「まさか匂いの強さでバレるとは思わなくて。三次会まで連れ回されたって嘘ついちゃったんっすよね」

「アカリちゃんは嘘や隠し事を嫌いますからね。他の女と寝たなら、正直にそう言えば良かった」

「そうだね、達己。おれ、またやっちゃった」


 一本のタバコを吸い終わると、意を決して弘治は告げた。


「なあ、達己。これから少し、客とバーテンダーとしてじゃなく、男同士で話をしない? おれのことは呼び捨てにしてよ」

「いいよ、弘治」


 脩斗はすうっと達己から離れ、伝票の整理を始めた。


「達己。アカリのこと、今でも好き?」

「うん、好き。もし、アカリちゃんが弘治を見限って、俺の方に来るっていうんなら、いつでもパートナーになる」


 曇りの無い目でそう言い切った達己。弘治は少し、気後れしてしまった。


「そっか。そうだよな。達己ならそう言うと思った」


 弘治はタバコを取り出した。達己はわざわざそれに火をつけてやった。


「ん……ありがとう」

「俺も一本吸うけどいいかな?」

「いいよ」


 今度は弘治が達己のタバコに火をつけた。そうして、話の続きが始まった。


「おれはやっぱり、アカリを手放したくない。今度からは正直にあったことを言う。謝って、関係をやり直したい」

「だったらやっぱり、俺の入る隙は無いよ。……アカリちゃんの方から来たら別だけどな?」


 二人分の煙が店内に広がっていった。修斗はただ黙って作業をしながら見守るのみだ。


「おれはアカリがハノンさんの所から帰ってくるのを待つ。帰ってきてくれたら、ちゃんと話し合って、今後のことを決める」

「うん、それがいいよ。俺からは何もしないから。でも、ほんの少しでもチャンスがあれば、迷わず奪うから」


 達己は弘治を見下ろした。身長は弘治の方が高いので、カウンター越しでないとできない芸当だ。弘治はハイボールを飲み干した。


「これ、美味しかった。お代わり。達己も同じの飲みなよ」

「そうする。ありがとう」

「じゃあ、僕が作りますね」


 幽霊のようにスッと現れた修斗が、グラスを取り、ハイボールを作り始めた。この場はとことん男同士の話し合いにさせてやろうと思ってやったことだった。


「でさ、なんで他の女と寝ちゃったわけ? 俺が言うのもなんだけどさ」


 達己が聞くと、弘治は腕を組んだ。


「……その場の勢いに流された。よく飲みに誘ってくる先輩でさ。気付いたときにはラブホの入り口に居たよ」

「まあ、弘治モテそうだもんな。その先輩とはこれからどうするわけ?」

「この一度きりにしてくださいって言って別れたよ」


 ハイボールが二つ、カウンターに置かれた。彼らは乾杯した。


「弘治。もう、この一杯で終わりにしときなよ?」

「そうだね。アカリが帰ってきたとき、ちゃんと起きていたいし」

「まあ、何かあったらまたこの店に来なよ。俺もシュウさんも待ってるから」


 時刻は十二時をさしていた。ハイボールを飲み終わった弘治は、達己の言葉通り大人しく帰って行った。


「なんか悪いなシュウさん、気ぃ遣わせて」

「いいんですよ。この程度のことくらい、何ともないですから」

「そう言ってくれると助かる」


 達己は天井に向かって両手を突き出し、伸びをした。彼の脳裏には、ぐでんぐでんに酔っぱらったアカリの様子が浮かび上がっていた。

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