68 一夜明けて

 春の麗らかな陽が射し込む、広めのワンルーム。アカリは酷い頭痛と共に目を覚ました。寝かせられていたダブルベッドの隣には、ハノンがすうすうと寝息を立てており、アカリは昨夜のことを一気に思い出した。

 アカリが新しいハノンの家に来たのは今回が初めてだった。どうせ娘だからいいだろう、と親の目覚めるのを待たず、アカリは台所に行き、水道水をグラスに入れて飲んだ。


「ふぁ……おはよ、アカリ」


 起きてきたハノンは、目をこすりながら上体を起こした。


「おはよう、ハノン。昨日はありがとうね」

「いいってことよ。それより、身体は大丈夫? えらく飲んでたけど」

「頭痛い……」

「こっちおいで」


 アカリはベッドに腰をおろした。ポンポン、とハノンが頭を撫でてきた。


「あっ、せっかくネコミミなんだからフードかぶりなよ」

「はいはい」

「ボクの可愛いクロネコさん。はい、にゃーん」

「……にゃーん」


 フードをかぶったまま、アカリはベッドに横になった。隣に居るハノンの暖かさが胸を満たしていった。そうやって寝転んだ状態で、二人は話し始めた。


「弘治くんから連絡来てた?」

「さぁ……スマホ見てない」

「今すぐ確認しなよ」

「うん」


 スマホはパーカーのポケットに入っていた。ラインが一件来ていた。


『今日は休みだから、どこへも行かずに家で待ってる』


 アカリはそれを確かめると、そのままハノンに見せた。


「どうするの? 早く帰ってあげた方がいいんじゃない?」

「そうなんだけどさぁ……」

「もしかして、もう少しボクと一緒に居たいとか?」

「むっ……」


 図星を突かれたアカリは、もそもそと毛布に顔をうずめた。


「それとも、達己とパートナーになりたいの?」

「それは……今のところは考えてない。ハノンこそ、いいの? ブレンド飲めなくなるよ?」

「あはは、本当だ。確かに、達己取られるとボクも困るかも」


 ハノンはアカリの肩に腕をまわした。すとん、とアカリの頭がそこに乗っかった。


「ねえ、なんでボクがアカリを娘にしたか教えてあげようか?」

「その話、もう何度も聞いた」

「可愛いからだよ。こんなに可愛い子、ボクは他に知らない。今まで出会ったどの人間よりアカリは可愛かった」

「はいはい」


 アカリはぼんやりと、自分が吸血鬼になったときのことを思い返していた。思い切りよく切られたハノンの手首にかじりつき、必死に血を吸ったあの日のことを。


「ねえ。ありがとうね、ハノン。あたしを娘にしてくれて」

「こっちこそ、娘になってくれてありがとう、アカリ」


 そのまましばらく、二人はじっと動かなかった。それから、ようやく帰る決心の固まったアカリは、心地よいハノンの腕から頭を離し、ベッドを降りた。

 元々着ていた服は、綺麗に折り畳まれてローテーブルの上に置いてあった。ネコミミフードのパーカーを脱ぎ、それに着替えた。


「達己のことだけどさ」


 まだベッドに横たわっていたハノンにアカリは言った。


「好きって言ってもらえて、本当に嬉しかったんだ。あたしの素性を知ってて、それでも告白してくれたわけだし」

「そうだね。アカリはそれでも弘治くんを取るんだろうけど、達己のことも大切にしてやりなよ」

「もちろん」


 アカリはスマホで時刻を確認した。昼の三時だった。


「またね、ハノン」

「うん、またいつでもおいで」


 弘治の家に着いたのは、四時を回ったくらいだった。


「ただいま」

「お帰り、アカリ」


 玄関でアカリは弘治の顔を見上げた。よく眠れていないのだろう。彼の顔には隈ができていた。アカリは靴をはいたまま、背伸びをして弘治を抱き締めた。


「もう嘘、つかないでね」

「わかった」


 弘治はアカリの背に腕をまわし、きゅっと抱き返した。

 いつものソファに二人は座った。口を開いたのは、弘治からだった。


「おれ、シュウさんの店に行ったんだ。アカリがハノンさんの家に行ってから」

「……そうだったんだ」

「達己とも話した。彼に宣戦布告されたよ。いつでもアカリのパートナーになるって」

「達己……」


 アカリは下唇を噛んだ。そして、あんな約束をしてしまったことを悔いていた。彼の想いに応えられないのなら、バッサリと切ってしまった方が良かったに違いない。吸血鬼として生きるためとはいえ、期待を持たせる言い方をしてしまったことの残酷さに今さら彼女は気付いた。


「アカリは本当はどうしたい?」


 弘治が聞いた。


「あたしは……自分でも、よくわかんなくなってきちゃった。それでも、今日はこの家に帰ってきた」

「それが答え?」

「うん」


 弘治は自分の左薬指をアカリの唇にあてた。アカリはそれを軽く舐めた後、かぷりと噛みついた。


「美味しい」


 やはり自分にはこの血が必要なのだ、とアカリは思った。今度、弘治が何かしでかしたとして、もう責めるのはやめよう。彼とは長い付き合いになりたいのだから。そう考えながら、アカリは弘治に身を委ねた。


「アカリ?」

「ねえ、今からしようよ」

「いいの?」

「うん。ほら、あたしの目、見てみて?」


 アカリの瞳は、赤く輝いていた。


【第二部完・本当のあとがきへ】

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