48 アイリッシュコーヒー
二月になった。まだまだ寒さは厳しく、脩斗は店の暖房の温度設定を操作した。開店すると、早速お客がやって来た。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは。仁の卒論が終わったよ」
「ちわっす。そういうことっす」
カケルも仁も、外の冷え込みにこたえていたらしく、おしぼりを受けとるとその暖かさにほっこりした。
「仁、何飲むの? 俺はとりあえずシュウさんの」
「この前のウイスキーもいいけど、カクテルとかも注文してみたい。シュウさん、オススメは?」
「寒いですからね。アイリッシュコーヒーなんていかがですか? ちょうど今なら生クリームがあるんです」
「何それ、美味しそう!」
「ウイスキーとコーヒーを混ぜたものですよ」
「じゃあそれで!」
グラスが出揃い、二人は乾杯した。
「卒論、お疲れさま!」
「ありがとう。あとは教授に認めてもらうだけだ」
仁は心底旨そうに温かいアイリッシュコーヒーを胃に入れた。カケルは仁の伸び始めた髪に手を伸ばした。
「学生生活もあと少しだね、仁」
「ああ。入社前に一回切らないとな」
「そういえば、シュウさんって大学出てるの?」
カケルが聞いた。
「はい、一応。ただ、在学中にアルバイトしていた店にそのまま居ついてしまいまして。就活とかはやってないんですよ」
「そうなんっすか。就活、大変でしたよ」
「何とか決まって良かったな。そうだ、仁、それ一口飲ませてよ」
仁が返事をしない内に、カケルはグラスを取り上げた。
「生クリーム、大丈夫なんですか?」
「うん、シュウさん。これくらいならね。……ふわっ、何か落ち着く味だなぁ。シュウさんの血みたいだ」
夜八時頃になって、来客があった。
「いらっしゃいませ、セツナさん」
「こんばんは」
セツナはマフラーをぐるぐる巻きにしていた。それを解くと、癖のある黒髪が現れた。彼女はコートとマフラーを修斗に預けると、カケルの隣に座った。
「こんばんは」
同族だとわかったらしい彼らは、互いに目と目を合わせた。
「セツナさん。こちらはカケルさんと、パートナーの仁さんです」
修斗がそう紹介した。
「そうかい。よろしく。あたしも吸血鬼なんだ」
「へえ! カケル以外の吸血鬼って初めてお会いしました。よろしくお願いします」
仁はセツナの容姿をまじまじと眺めた。切れ長の目元はキツい印象があったが、思わずうっとりするような美人だと思った。
「シュウさんの一杯を」
「かしこまりました」
セツナのための特別な一杯を作りながら、修斗は彼らの会話に耳を傾けていた。
「それ、何飲んでるの?」
「アイリッシュコーヒーです」
「ふぅん。美味しそうだね」
「セツナさんも一口飲みます?」
カケルが勝手にそう言った。
「ちょっと待てよ。間接キスになるじゃんか」
「え? 俺とはいいのに?」
「カケルは別!」
そんな若い二人のやり取りを、セツナは目を細めて眺めていた。
「遠慮しとくよ、仁くん。あたしには特別な一杯があるからね」
「だってさ、仁。済みません、こいつ、童貞なんで、間接キスでも刺激が強いんすよ」
「童貞いじりはやめろよな!」
「……へえ? 童貞なんだ? そんなにカッコいいのに?」
「あーもうセツナさん乗り出したじゃないか!」
カケルとセツナでは、セツナの方が格上である。それは、本人同士はよく感じ取っていた。仁にとってみれば、見た目だけは三十代に見える女性からカッコいいと言われたことに、どぎまぎしてしまっていた。なので、強引に話題を変えた。
「セツナさんって、パートナーは居るんですか?」
「今は居ないよ。前のパートナーを看取ったところでね」
「済みません、何か、悪い質問しちゃって」
「いいんだよ、仁くん。いい人居ないかなぁって探してるとこさ」
ふと、思いついた仁は、それをそのまま口に出した。
「僕がセツナさんのパートナーになるのってどうなんですか? カケルと二人分の血くらい、酔血持ちなら大丈夫でしょう?」
その提案に驚いたカケルとセツナは、それぞれ反対した。
「いや、そんなのカケルくんに悪いよ」
「二人分も養えるのか? 就職決まったっていってもさぁ」
「十分いけると思うけど? 僕、就職したらもう少し広い所に引っ越したいなぁって思ってたし。そこで三人で住むのはどう? セツナさん、今困ってるんでしょう?」
あまりにも無垢な申し出だ、と聞いていた修斗は思った。仁の目は本気だ。
「……ちょっと、考えさせてもらうよ。困っているのは事実なんだ」
「セツナさん。俺も、こいつとよく話し合いたいです」
カケルが言った。そして、彼らは連絡先を交換した。
「また近い内に、この店で会おう。それまでに、答えは出しておくから」
セツナは先に席を立った。その口元は、マフラーに隠れて、誰からもよく見えなかった。
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