46 ソルティドッグ

 小雨が降っていた。冬馬は傘立てに黒い傘を置き、店内に入った。


「いらっしゃいませ」

「こんばんは。今日はシュウさんだけかい?」

「達己は九時から来ます。あと一時間といったところですね」


 店にはすでに小山の姿があった。


「こんばんは」


 冬馬は小山に声をかけた。


「こんばんは。お兄さん、お一人?」

「はい。今夜はそんな気分でして」

「私はいつも一人。小山よ」

「冬馬です。お隣、いいですか?」

「ええ」


 小山はちょうどハイボールのお代わりを注文しようと思っていたところだった。


「シュウさん、お代わりちょうだい」

「オレは、そうだな……小山さんと同じもので」

「かしこまりました」


 修斗はハイボールを二杯作り、彼らに差し出した。小山がスーツ姿であることから、冬馬はこう聞いた。


「小山さん、お仕事帰りですか?」

「そうよ。昇進、決まってね。四月から部署異動だから、引継ぎの準備を始めたところよ。冬馬さんは、お仕事は何を?」

「デザイン関係です。在宅でできる仕事がほとんどで、週に一度くらいしか出勤はしていませんよ」

「羨ましいわね。うちは業務上、リモートできないからね。もう、毎日の通勤嫌になっちゃう」


 しばらく彼らは仕事の話をしていたが、やがて私生活のことになった。


「実はオレ、婚約中なんですよ」

「あら! おめでたいことじゃない。どこで知り合ったの?」

「職場の後輩なんです。そろそろ、会社にも公表するつもりでして」

「いいわね、そういうお話。私、そういうの大好き」


 オバチャンの顔付きになった小山は、うきうきと二人の馴れ初めを聞いていた。その途中で達己がやってきて、カウンターに立った。


「あっ、もしかして、恭子さんとのお話っすか?」


 達己が聞いた。


「そうだよ。小山さんに、根掘り葉掘り聞かれてるとこ」

「俺も聞きたいな。冬馬さんって、恭子さんのどこが好きなんですか?」

「ん、素直なとこかな。ああ見えて怒りっぽいところもあってな。それも含めて、正直に感情を出してくれるから、好きになった」

「冬馬さんも素直よねぇ。そんな風に聞かれて、すらすら答えられる人ってそんなに居ないわよ?」


 小山はとことん楽しそうに笑った。そして、修斗を呼んで会計を始めた。


「私はもう帰るわね。冬馬さん、ごゆっくり」

「ええ。今日はありがとうございます」


 お客が冬馬だけとなった店内。達己はずっと気になっていたことを尋ねた。


「ハノンさんと恭子さんって、上手くいってるんですか?」

「ああ、案外な。今夜も二人でレイトショー観に行ってるよ。まさか二人だけでデートするようにまでなるとは思わなかった」

「本当ですね。傍から見ると、ハノンさんが恭子さんの彼氏に見えるでしょうね?」

「オレが酔血持ちで良かったよ。じゃないとハノンのような奴とは付き合えないからな」


 それを聞いて、達己はアカリのことを思った。酔血持ちである自分なら、弘治になり代わり、パートナーになれるかもしれないという希望を。しかし、達己はすぐさまそれを打ち消そうと思った。それで、冬馬におねだりをした。


「冬馬さん、俺も何か飲んでいいっすか?」

「もちろん。シュウさんも一杯やりなよ。あと、オレもお代わり」

「ありがとうございます」


 三杯のハイボールが並んだ。彼らは乾杯し、炭酸の刺激に酔いしれた。そうしていると、店の扉が開き、もう一人の酔血持ちが顔を出した。


「いらっしゃいませ。弘治さん、お一人ですか?」

「そうです、シュウさん。アカリはヒカルの店に行ってます」


 冬馬は彼らが話すのを聞いて、自己紹介した。


「こんばんは、弘治さん。オレは冬馬です」

「冬馬さんって、あの、ハノンさんの?」

「ええ、パートナーですよ」


 弘治は冬馬の右隣に腰かけた。


「ソルティドッグください」

「かしこまりました」


 グラスを取り出そうとする修斗を制し、達己は言った。


「俺が作るよ」


 達己はロックグラスに塩を塗り、カクテルを作り始めた。

 かくして、この場は酔血持ちが四人になった。冬馬も弘治も、互いのことはそれぞれのパートナーからよく聞いて知っていたので、二人とも初対面とは思えないほどすぐに打ち解けた。


「血ぃ吸われてるときって、何かすっげー幸せになりません? おれの血でアカリが生きているんだと思うと、本当に興奮するっす」

「ああ、その感覚なら分かるよ。パートナーならではのものだね」

「でしょう? 今夜も吸ってもらってからここに来ました」


 達己は弘治の前にカクテルを出した。


「どうぞ。ソルティドッグです」

「ありがとう」


 弘治が嬉しそうに血の話をするのを聞いていて、達己の内心は穏やかでは無かった。しかし、バーテンダーとしての勤めを果たすため、伝票の整理にとりかかった。


「アカリから聞きましたよ。ご結婚されるんですって?」

「ああ。ハノンのことを認めた上でな。正直、こう上手くことが運ぶとは思わなかった」

「おれはアカリ一筋でいきます。おれだけが老いていくのも分かってます」

「うん、オレもだ」


 覚悟を決めたパートナー同士の話は大いに盛り上がった。それを聞いている内に、達己の心にはどんどん暗雲が立ち込めてきたが、決してそれを表に出さないようにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る