45 ミモザ
また、水曜日が来た。ヒカルの来店日だ。修斗はもうそろそろ来る頃だろう、とスマホで時間を確認した。夜の八時過ぎだった。
「こんばんは、シュウさん。今夜は桃音と来たよ」
「いらっしゃいませ、ヒカルさん、桃音さん」
「こんばんは! あっ、明けましておめでとうございます、シュウさん!」
本日の桃音はポニーテールだった。もこもことした白いボアコートに身を包んでいた。ヒカルはというと、格子柄のモノクロのコートを着ていた。
「今年もよろしくお願いしますね、桃音さん」
「はいっ! レッスン入ってるから、あんまり来れないけど、今後ともよろしくお願いします!」
既に人間の客が二組、四名入っていたため、修斗は奥側の席に二人を座らせた。
「桃音、どうする? アタシは赤ワインにするよ」
「なんか、新しいの飲んでみたいな。シュウさん、オススメある?」
「そうですね。ミモザなんていかがでしょう? 季節外れですけどね」
修斗はオレンジジュースとシャンパンを取り出した。黄色いカクテルと赤いワインが出揃った。
「乾杯、桃音」
「かんぱーい!」
二人が会うのはこれが二回目だったが、ラインや電話のやり取りはよく交わしていたらしく、確実に距離は近くなっていた。
「いつか、ヒカルのお店にも行ってみたいんだよね。でも、スナックって一人だとこわくて」
「ああ、入りにくいだろうね? そうだ、梅元さんって人と来れば?」
「いいかも! 今度誘ってみるよ」
修斗は他のお客の相手をしていた。何の話をしているのか桃音はわからなかったが、修斗が丸くふんわりとした笑顔をしているのを見て、なんともくすぐったい気分になった。
「桃音、このお店はシュウさん目当てなんでしょう?」
ヒカルが口角を上げてニヤリと笑って言った。
「えへへ、正解。だって、あんなにカッコいい人他に知らないもん」
本人の耳には入っていないだろうと思った桃音は、修斗を褒めた。
「桃音、初めてここに来たとき、めちゃくちゃ酔っぱらっちゃってさぁ。それでもシュウさんは優しくしてくれるの。本当にいい人だよね」
「うん。アタシもシュウさんには世話になってる」
「そういえば、ヒカルは何繋がりでここに来たの?」
「店のお客さん繋がりだよ」
ヒカルは嘘をついた。吸血鬼に誘われて、だなんて、今の時点では言えない。
「ヒカルもカッコいいよね。可愛い、綺麗、というよりカッコいい系」
「本当に?」
「うん。その金髪ショートもよく似合ってる」
「桃音のその髪型も可愛いよ」
「今度はツインテールにしてくるからね? アイドルのモモネのときは、それが標準だから」
他の客を一組見送った修斗は、二人の前に来た。
「活動の方はいかがですか、桃音さん」
「順調だよ。今日はスチル撮影だったの。緊張したぁ」
「エスプリの中では断然歌唱力があるんだからね? もっと自信持っていいよ、桃音は」
「僕もそう思います」
「やだぁ、照れるなぁ」
桃音はミモザを気に入ったようで、いくぶん早いペースでそれを飲んでいた。ヒカルはグラスに口をつける彼女の唇を眺めていた。桜色で、とっても可愛い。
「あっ、もう飲んじゃった」
「桃音は一杯だけにしとくんだよね?」
「うん。シュウさん、ソフトドリンク、今日は何がある?」
「ライムジュースなんていかがですか? スッキリしますよ」
「じゃあお願いします!」
ヒカルはやきもきしていた。着実に桃音と近付いてはいるのだが、吸血鬼であることをどう切り出すべきか悩んでいた。アカリからは、弘治との馴れ初めを聞いていた。しかし、彼らのときと違い、ホテルに連れ込むなんてことはできない。
「ふわっ、このジュース美味しい!」
「桃音は本当に楽しく飲むね。見てて気持ち良いよ」
「ヒカルは赤ワインばっかりなの?」
「うん。お気に入りでね」
「桃音、ワインは挑戦したけどダメだったなぁ。すぐに酔いが回っちゃったし」
酔血持ちである桃音が隣にいるだけで、ヒカルも酔いつぶれてしまいそうな感覚に襲われた。彼女の血を吸ってみたい。ヒカルは細くしなやかな桃音の指先を見た。あれにかじりついてみたい。
残っていたもう一組のお客が、チェックでと叫んだ。修斗は会計をするため、一旦二人から離れた。そうしてお客はヒカルと桃音のみになった。もしかすると、言えるタイミングかもしれない。ヒカルは真っ直ぐに桃音の瞳を貫いた。
「どうしたの? ヒカル、酔ってる?」
「いや、ちょっとね。桃音って本当に可愛いなぁって思って」
「ふふっ、ありがとう。同性から褒められるのが一番嬉しいな」
春風のように暖かな表情で微笑む桃音に、ヒカルはそれ以上何も言えなくなってしまった。ダメだ。今日はまだ言えない、とヒカルは思った。
「さてと。アタシは今日は長居していくよ」
「そっか。桃音、明日もあるからもう帰るね」
「うん、おやすみなさい」
一人になったヒカルは、大きなため息をついた。桃音を見送り終わった修斗は、しょぼくれた表情をしている吸血鬼を見て苦笑いをした。
「仲良くはなれたようですね?」
「そうなの。でも、それ以上が問題。あーもうどうしよう」
「焦らないでいきましょう。僕もお手伝いしますから」
ヒカルはその夜、もう二杯飲んで店を後にした。
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