44 ネグローニ
よく晴れて、冬の星空が広がる夜だった。しかし、いい天気とは特に関係なく、修斗の店はごく暇であった。その日は達己だけがカウンターに居た。彼はスマホで暇つぶしをしながら、来客を待っていた。夜九時頃になって、ようやく一人目のお客が来た。
「いらっしゃいませ。川崎さんじゃないっすか」
「やあ、達己くん。一人?」
「ええ、暇してたんすよ。腹ごしらえしてきたんですか?」
「軽くな。ダイエット中だから」
川崎はハイボールを注文した。達己の手つきを、川崎はじっと眺めていた。
「こうしてバーテンダーさんがお酒作るの見るの、好きなんだよな」
「ありがとうございます。俺もここに来て一年過ぎたんで、ようやく緊張しなくなりましたよ」
氷を砕き、バー・スプーンを軽やかに回しながら、達己は言った。
「暇なら、達己くんも何か飲むかい?」
「えっ、じゃあ俺もハイボール頂きます」
もう一つグラスを取り出した達己は、二杯のハイボールを作り上げた。
「もうすぐ大学入学共通テストなんだ。達己くんの頃なら、センター試験って言ってたやつさ」
「もうそんな時期なんですね。息子さん、どうなんです?」
「どっかには引っ掛かるんじゃないかな。本人より嫁さんの方が不安がっててな。家に居ると落ち着かないけど、飲みに行くと小言を言われるし」
「大変っすねぇ」
二人が受験のことについて話していると、吸血鬼たちがやってきた。アカリとセツナだ。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは、達己。あっ、川崎さんだ」
「やあ、アカリちゃん。そちらは?」
「あたしはセツナといいます」
「どうも。俺は川崎。悪いねぇ、むさくるしいオッサンが陣取ってて」
川崎は、腹をポンと叩いた。その様子が可笑しくて、アカリは笑った。
「川崎さん、隣いい?」
「もちろん、アカリちゃん」
川崎の右隣にアカリがかけ、そのまた右にセツナが落ち着いた。アカリが言った。
「達己が作って」
「じゃあ、あたしにも同じものを」
「はいよ」
達己は自分の血が入った方の小瓶を取り出した。川崎からは見えないよう、そっと雫を垂らした。
「どうぞ」
「ふぅ、落ち着くな。達己の作る一杯は」
香りをかいだ時点で、まずセツナがそう言った。
「本当にね。達己のは格別だわ」
アカリまでもがそう言うので、川崎は不思議がった。
「赤ワインを注ぐだけなのに、そんなに違うのかい?」
「ええ、違いますよ。彼のは特別な一杯ですから」
セツナは不敵に笑いかけた。達己はというと、アカリに血を褒められたことに気を良くしたが、川崎の手前、表情には出さないでおこうと努めた。
「セツナさんは何のお仕事してるの?」
川崎が質問した。
「今、求職中でして。父の介護をしてたんですよ。つい最近、看取りました」
「それは大変だったね」
「癌だったんですよ。全身に転移して、歩行もままならなくなりましてね」
「俺も気をつけなきゃなぁ。この腹だろ? 健康診断もダメ出し食らいまくり。今、ダイエット中さ」
「それはいいことです」
アカリもセツナも、タバコを取り出した。
「お嬢さん方こそ、禁煙しないの?」
「それは痛いところを突かれましたね」
アカリが笑った。吸血鬼である彼女らは、病気をしない。酔血の飲みすぎで二日酔いになることはあっても、風邪や癌などにはならないのだ。
「俺も、若いときはスパスパ吸ってたよ。子供が生まれたのを機に禁煙してな」
「凄いじゃないですか。あたしは当分、禁煙できそうにないですね」
紫煙を吐き出し終わったセツナが言った。
「そういや、達己くんも吸うんだっけ?」
「はい。こっちに居るときは吸わないですけどね」
「うちの息子も、大学に入って一人暮らししたら吸い始めないか心配だよ」
「あー、一人暮らしはまずいっすね。俺もまんまとそれで吸いだしましたから」
話題がまた、川崎の息子のことになった。達己は内心、それにホッとしていた。アカリと余計なことを話したくなかったのである。今夜は隣に高齢の吸血鬼も居るし、自分の本心を見透かされそうで彼はこわかった。
結局、三人は大いに盛り上がり、一緒のタイミングで店を出た。残された達己は、そっと一本のタバコを吸った。すると、灰色のコートに白いニットを着た修斗が入ってきた。
「あれ? シュウさん?」
「たまには客席に座りたくなりましてね。今日、お客さまは?」
「川崎さんと、アカリちゃん、セツナさんだけ」
「そうでしたか。久しぶりにテストでもしますか? ネグローニを」
達己は分かりやすく嫌な顔をした。
「げえっ、それなんだっけ?」
「ヒントはカンパリベースです」
「あー! わかった、あれな?」
正しくロックグラスを取り出した達己に、修斗は微笑んだ。
「懐かしいな? シュウさん、最初の頃は色々作らせてくれたっけ」
「あの頃は可愛かったですね。ああ、今も可愛いですよ?」
「調子狂うからやめてくれる?」
そうして、軽口を叩きながら、二人のバーテンダーはよく晴れた夜を楽しんだ。
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