42 ヒカルと小山
今日はスナック「梓」が休みの水曜日。ヒカルはその曜日に、脩斗の店を訪れるようになっていた。口調も砕けてきて、すっかりここの常連さんとなったのであった。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは、シュウさん。そういえば、明けましておめでとうかな?」
「そうですね。今年もよろしくお願いします」
時刻は夜八時。達己は九時から来る予定だった。他に客が居なかったので、ヒカルは堂々と脩斗の特別な一杯を注文した。
「桃音さんとは、どうなんですか?」
「ちょくちょく連絡取ってるよ。オーディション番組も全部見た。ぶっちゃけ、アイドルとか興味なかったけど、あれ見てると応援したくなるね?」
「分かります。僕もそうでした。サバイバル形式の番組って、ドラマみたいで楽しいですよね」
脩斗がワイングラスを置くと、ヒカルはしばし香りを楽しんだ。何度かここに訪れる内、そういう飲み方も彼女はできるようになっていた。
「フルーティーな香りがするよね、シュウさんの血」
「ワインの香りではなく?」
「うん、血の香り。アタシにもそういうの、分かるようになってきたんだ」
良い表情になってきた、と脩斗は思った。仕事を得て、一人暮らしも始めて、酔血持ちにも出会えた。しかし、ここからが正念場だ。ヒカルはどうやって桃音を口説き落とす気なのか。
「ヒカルさん。僕で良ければ、桃音さんとのこと、協力させていただきますからね」
「ありがとう。また、この店に二人で来ようって言ってるんだ。そのときまた、お願いするかも」
それからしばらくは、ヒカルの仕事の話をした。幸い、まだ吸血鬼であることを怪しまれていないらしく、接客も楽しいとのことであった。
時間通りに、達己が出勤してきた。
「こんばんは、ヒカルちゃん」
「こんばんは。明けましておめでとう、達己」
「おう。今年も俺たちの血、どんどん飲んでってくれよな」
ヒカルは達己の特別な一杯を注文した。今度も、じっくりと香りを楽しむヒカル。
「ハーブみたいだね?」
「ああ、それよく言われる。ハーブティーとかよく飲むせいかな?」
「どうなんだろうね? っていうか、達己紅茶飲むんだ。コーヒーが似合うと思ってた」
「どっちも飲むぞ。コーヒーはタバコによく合うからな」
話は桃音のことに戻った。
「アタシね、桃音ちゃんの外見がまず好みなの。年下は対象外だと思ってたけど、話してみると、可愛らしくていじらしくてさ」
「そうでしたか。確か、親のヒロコさんとは元々恋人同士だったと伺っていましたが」
「うん。ヒロコさんは、三十代くらいに見える吸血鬼でね。大人の魅力が溢れてたっていうか、そんな感じ」
「ヒカルは恋愛対象が女性なの?」
達己がズバリと切り込んだ。
「そうだよ。男性はダメ。だから、パートナーになる人も、女性がいいなぁって思ってた」
「それじゃあなおさら、今回のは実らせないとな?」
「うん! 達己も応援してね」
扉が開き、人間のお客がやってきた。
「明けましておめでとう!」
「小山さん。おめでとうございます」
小山はヒカルの姿を認めると、彼女に声をかけた。
「隣、いいかしら?」
「ええ、ぜひ。アタシはヒカルです」
「私は小山。このお店、誰から聞いてきたの?」
「ハノンさんの紹介です」
「ああ! あの綺麗な人ね!」
コートを脱いだ小山はそれを修斗に手渡すと、ハイボールを注文した。
「このお店、分かりにくいところにあるでしょう? 若い子がフラッと寄るような所じゃないから」
「そうですよね。小山さんも、誰かの紹介で?」
「私はシュウさんがカズさんの店に居たときからの古株よ」
「あっ、カズさんのお店なら、アタシも行ったことがあります。そういえば、カズさんったら、まだお店に来てくれてないなぁ」
「お店? どこかで働いてるの?」
「スナックです。これ、名刺です」
ヒカルはちゃっかりと営業活動を始めた。
「へえ、スナックで! 道理でお酒も飲み慣れてそうだなって思ったわ」
「そうですか? そう思っていただけるのは嬉しいです」
ヒカルと小山の話は盛り上がってきた。修斗はこうやって、お客同士が打ち解けていくのを見ることが好きだった。それは達己も同じだ。
「……なんか、小山さんと話してると、親のこと思い出します」
ふいにヒカルが言った。
「そうなの? まあ、私も若いときに子供を産んでたら、ヒカルちゃんくらいの歳の子になるからね。親御さんとは離れて長いの?」
「そうでもないです。でも、いい別れ方をしなかったから。後悔してるんです」
小山はハイボールを一口飲み、慎重な顔付きになった。年上の女性として、何を言うべきか、彼女は考えていた。
「過ぎたことは仕方ないわ。親子とはいえ、人と人だもの。合わないときだってある。私も、もう親は両方看取ったんだけどね。悔んでること、いくつかあるわ」
「小山さんも?」
「ええ。私に子供はいないから、親目線ではよく分からないけど、子供目線なら分かるつもり。ヒカルちゃんに何があったのかは聞かないけど、こうして今立派に働いてるんでしょう? 自分をもっと褒めて。よくやっているわ、あなたは」
ヒカルは一筋の涙をこぼした。小山は彼女の背中を優しくさすった。ヒカルは確かに、ヒロコの面影を小山に感じていた。それは偶然のことだったが、今夜の出来事は、彼女にとって大事な一コマになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます