41 子供

 正月気分も抜け去った頃。修斗は一人で暇な店内に立ち尽くしていた。今まで、お客を待っている時間は、別に嫌いではなかった。しかし、達己を雇い入れてから変わった。彼が隣に居ないことが何とも寂しく思えてきた。

 もしかすると、一博もそうだったのだろうか? 修斗は師のことを思った。修斗が彼の店を辞めて独立する際、彼は確かこう言っていた。俺も子離れしなくちゃな、と。

 そんな風に思いに沈んでいた夜九時、アカリが現れた。


「こんばんは、シュウさん。明けましておめでとう。今夜もハノンに呼ばれてね」

「そうでしたか。明けましておめでとうございます、アカリさん」


 アカリの黒いダウンジャケットを受け取り、修斗は真ん中の席に彼女を誘導した。


「注文は、ハノンが来てからにしようかな。あの人、時間にはそう遅れてこないし」

「分かりました」


 実際、ハノンはすぐにやって来た。


「あっ! そういえば、明けましておめでとう、アカリ!」

「それ、電話でもう言った」

「でも直接会うのは今年初めてじゃない? おめでとう!」

「はいはい、今年もよろしくお願いしますよ」


 相変わらず調子の良い吸血鬼は、ブレンドを頼んだ。つられて、アカリもそうした。


「それで? 恭子ちゃんって子とは上手くやれてるの?」

「うん! 意外だったよ、あんなにスムーズに事が運ぶだなんてね。そろそろ、冬馬のとこ出て行こうかと思ってるとこ」

「そうなの?」

「うん。それで、冬馬名義の口座をひとつ貰って、そこに生活費を振り込んでもらうことにした。住むところも冬馬名義」

「もう。そんなところまで話が進んでいるんですね?」

「うん、修斗。あの日はありがとうね。証明のためとはいえ、久しぶりに君の血を直接すするのはぞくぞくしちゃったよ」

「ああ……あの話ね」


 アカリはすでに、大体のことをハノンから聞いている様子だった。


「それで? アカリの方はどう?」

「まあ、そんなに変わんないよ。仕事が忙しいみたいで、帰り遅いんだよね。今夜もまだ帰ってないんじゃないかな? 冷蔵庫に肉じゃが置いてきた」

「手料理、いいですね。ハノンさんの雑炊も、美味しかったです」


 脩斗が言うと、ハノンはキラキラと瞳を輝かせてこう返した。


「また、何か作ってあげてもいいよ? 冬馬と恭子ちゃんが結婚したら、ボクが冬馬に作ることも少なくなるだろうしね」

「それはちょっと寂しいね」


 アカリが言うと、ハノンはゆっくりと首を振った。


「そうでもないよ? 急な別れよりよっぽどいい。それに、冬馬が先に死ねば、ボクが恭子ちゃんを世話するつもりでもいるしね」


 この高齢の吸血鬼は、もうそんなことまで考えているらしい。やはり、我々とは生きていくスピードが違うのだなと脩斗は思った。


「あと、子供ができたら楽しみだなぁ。ボク、知り合いのオジサンとして接するつもり」

「もう、ハノンったら気が早いよ? 恭子ちゃんって何歳なんだっけ?」

「二十五歳。上手くいけば、十年以内には子供ができるかなぁって。人間の育児は大変だろうから、ボク手伝うんだ」


 育児、と聞いて脩斗は口を出した。


「そういえば、アカリさんの育児はまだ続けるおつもりなんですか?」

「そうだよ、ハノン。そろそろ子離れしてよ」

「えー、だって、こんなに可愛い我が子だよ? まだまだ構い足りないの、ボクは」


 そしてハノンはアカリの頭をポンポンと撫でた。鬱陶しそうな目でハノンを睨んだアカリだったが、口元はほころんでいた。

 二人とも、グラスの底が見えたので、次の一杯を注文した。


「そういえば、ハノン。ヒカルが酔血持ちを見つけたんだって?」

「そーなの。上手く行くといいんだけどねぇ」

「あたしのときみたいに直接手伝ってやらないの?」

「うーん、さすがにそれはやりすぎかなぁって。ボク、彼女の親じゃないし。必要に応じてサポートはするよ」


 やはり、自身の血を吸わせた我が子と、そうでない吸血鬼では、扱いに差があるらしい。脩斗は今さらながらに、吸血鬼の親子の結び付きの強さを思い知った。


「それでさ、その桃音って子、脩斗のことが好きっぽいんだよねぇ。どうなの? アイドルとこっそり付き合うのもスリルがあっていいと思うよ?」

「いえいえ、遠慮しておきます。僕は今のままの暮らしに十分満足しているので」


 そうは言ったものの、長い一人暮らし生活に侘しさが出てきたのが脩斗の正直なところだった。しかし、付き合いたいと思える女性は居ないし、家族像だって描けないでいた。


「あたしも、今の暮らしに満足。弘治と出会えて本当に良かったよ」

「……ただ、アカリ。聞いていい?」

「なに?」

「弘治くんは、子供を欲しがらないの?」


 吸血鬼と人間の間には、子供はできない。アカリと弘治が子を成すことは無いのだ。


「それがね、あいつ、家庭環境悪くてさ。子供に対して良いイメージ無いらしいのね。だから欲しがってないよ」

「そっか。なら良かったのかな?」

「人間同士でだって、子供を作らないことを前提に結婚する人たちだって居るじゃない。それと同じだと思ってる。前の人もそうだった」


 アカリはそう言って目を細めた。とても美しい表情だった。

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