37 大晦日

 大晦日の日に、果たしてお客はやってくるのか、と達己は思いながら、カウンターを拭いていた。それでも、今夜開くことを決めたのは彼自身だ。修斗からは、その辺りは一任すると言われていた。

 幸い、開店直後から来客が次々とあった。小山と川崎だ。


「川崎さん、チャームは遠慮しときます?」


 彼がダイエットを始めたという話を聞いて、達己はそんなことを言った。


「ははっ、そうするよ。小山さんは食べな」

「じゃあ、遠慮なく」


 達己はショットグラスにスティック状のプレッツェルを差して小山に出した。同い年くらいの彼らの話は弾んでいた。特に、ゴルフの話題だ。それについていけない達己は、ただ黙ってグラスを拭くのみであった。

 そうしていると、今度は梅元がやってきた。


「やあ。小山さんに川崎さんじゃないか」

「久しぶりねぇ。今日は一人?」

「さすがにこんな日に女の子は連れて来ないよ」

「おっ、梅元さんも家に居場所が無いクチですか?」

「そうじゃないよ、川崎さん。大体俺は独居老人だ。今夜はただ、シュウくんと達己の顔を見たかっただけ」

「あいにく、シュウさんは休みでして」

「そうか。帰省でもしてるのか?」

「そんなところです」


 達己は梅元にもプレッツェルを出した。集まった人間の客三人組は、桃音の話題を始めた。


「あの、茶髪でポニーテールだった子よね? 受かったんだ」

「よく覚えてたね、小山さん。その子だよ」

「シュウさんにご執心な様子が可愛かったからね。でも、アイドルになったんなら恋愛禁止かしら?」

「勿論だ」


 ようやく自分も話題に入れると思った達己は、口を開いた。


「俺も投票したんすよ、桃音ちゃんに」

「ありがとうな、達己。視聴者投票では、実は僅差だったらしいんだよ」

「梅元さんが圧力かけたんですか?」


 意地悪そうに川崎が聞いた。


「いくら俺でもそこまではできんよ。ただ、あっち側も桃音を落とすのは惜しいと思っていたらしくてね」

「彼女、本当に可愛らしいものね? 達己くん、手ぇ出すんじゃないわよ?」

「俺はお客さんには手ぇ出しませんよ。シュウさんの目が光ってますから」


 それを聞いて、川崎が尋ねてきた。


「達己くん、決まった彼女はできていないのかい?」

「いえ、いませんよー。腐れ縁のセフレが一人居ますけど」


 千波のことだった。彼女とは結局、今年中は会わなかったなと思いながら、彼らの追撃に備えた。


「その子、彼女にしちゃいなさいよ」


 予想通り、小山が口出ししてきた。


「いや、あいつも遊んでるんすよ。お互いドライな付き合いしてます」

「若い子はみんなそうなのかい?」


 不安そうに川崎が言った。


「達己がいい加減すぎるんだよ、川崎さん」


 梅元がそうフォローした。 


「いやぁ、下の子、彼氏居るみたいでね? 父親には何も言ってくれないんですけど、嫁さんから色々と聞いてましてね」

「わあっ、川崎さんとこの子、もうそんな年だっけ?」

「高校一年生ですよ」

「達己くん、その頃はどうだったの?」


 小山の質問に、達己ははぐらかしながら答えた。


「どうって、まだまだ純真無垢でしたよ。俺、初めての彼女は高二でできたんで」

「そういえば、シュウさんの恋愛事情って本当に聞かないわよね。達己くん、何か知ってる?」


 年配の女性は突然話題が飛ぶな、と思いながら達己は言った。


「いえ、全然っす。シュウさん、隠し事とかするタイプじゃないんで、できたら言ってくれると思うんですけどね」

「勿体ないわよねぇ。あんなイケメンが彼女も居ないってさ」


 達己も、修斗が誰とも付き合いたがらないことが不思議だった。そして、過去の女性関係を何一つ知らないことに気付いた。この店に勤めだしてから一年が過ぎたが、そういえば修斗自身のことをほとんど聞かされていない。

 夜九時が過ぎた頃、またもや人間の来客があった。私服姿の彼らに、達己は初め気付けなかった。


「烏原さんと、羽坂さんですよね?」

「そうだよ。今夜は仕事外で来たんだ」

「わざわざ大晦日にですか? 烏原さん」

「このくらいにしか休みが取れなくてな」


 二人にビールを提供した達己は、彼らの話すのを聞いた。


「シュウさんには、今年も世話になった。そのお礼が言いたくてな」

「いらっしゃらないのは残念です」

「そうでしたか。俺から伝えておきますよ」


 席の半分が埋まった。向こうの三人組の様子からいうと、売上も上々といったところだろう。

 彼ら人間のお客たちは、ぱらぱらと帰り始めた。


「よいお年を」


 そう言って、最後の客を送り出す頃には、もう夜十一時半になっていた。たった一人、取り残された達己は、もう誰も来ないだろうと思ってタバコを取り出した。

 今日、顔を見せなかった人間や吸血鬼たちも、めいめいの年末を送っていることだろう。アカリの顔がちらついた。きっと弘治と上手くやっているに違いない。

 とうとう、日付が変わった。


「……ハッピー・ニューイヤー」


 達己は呟いた。こんな年越しもまた、いいものだ。彼はネクタイを緩め、大きな欠伸をした。

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