36 ヒカルとセツナ

 セツナは癖のある黒いセミロングの髪をおろし、カーキ色のモッズコート姿で現れた。


「いらっしゃいませ」

「こんばんは、達己くん。何か、大変だったみたいだね」


 ハノンから聞いて、修斗の一件はセツナは知っていた。


「でもまあ、何とかやっていけてます」

「そっか。そちらは……吸血鬼だね? もしかして、あなたがヒカル?」

「はい、そうです」

「あたしはセツナ。同族だ。分かるよね?」

「ええ、もちろん」


 緊迫した空気が流れた。それでも達己は使命を全うせねばならない。セツナのコートを預かり、ヒカルの隣へと促した。


「この店に、達己以外の酔血持ちが居たね? 残り香で分かるよ」


 いきなりセツナはそう切り出した。


「……はい。アタシ、その子と連絡先を交換したところです」


 吸血鬼同士では、どちらが格上か、ということも勘で分かる。相当年上だと気付いたヒカルは緊張した。セツナの目付きが、ネコのように鋭かったせいもある。だが、ここは引くべきではないとヒカルは踏ん張った。


「アタシのパートナーになってもらおうって思ってます」

「そうか。一足遅かったな」


 達己はセツナの前に灰皿を置いた。彼女はタバコを取り出すと、優雅な手つきで火をつけた。ヒカルはその様子を、びくびくしながら見つめていた。


「で? 吸血鬼だってことはまだ明かしてないんだね?」

「はい。本当に、まだ一時間ほど話しただけで」

「慎重にやりなよ。酔血持ちは本当に少ないんだ。この店で出会えたのは奇跡だよ」


 これは、応援してもらえているのか、と思ったヒカルは、にわかに緊張を解いた。しかし、セツナは不敵な笑みを浮かべながら言い放った。


「まあ、ヒカルちゃんが失敗したら、次はあたしの番だね。譲ってもらうよ?」

「は、はい!」


 そろそろ割って入っても大丈夫だろう、と判断した達己は、努めてのんびりした口調で言った。


「でさー、お二人さん。お酒頼んでよ?」

「ああ、そうだった。今夜はブレンドで頂くよ」

「アタシもブレンドで」


 二人の吸血鬼は、グラスを傾けた。


「乾杯」

「か、乾杯」


 しなやかなセツナの動作に、ヒカルは見惚れていた。いつか自分もこんな風に、余裕のある吸血鬼になりたい。そう思わせる女性だった。


「それで? どんな子なんだい?」

「桃音ちゃんっていう、二十歳の女の子です。アイドルなんですよ」

「それはまた、えらいの捕まえようとしてるな。勝算は?」

「全然、わかんないです」

「まあ、あたしの方が年上だし、色々教えといてあげようか。ハノンから聞いたこともあるだろうけどね」

「ぜひ、お願いします」


 セツナは身の上を語り始めた。彼女にも、女性のパートナーが居た時期があったらしい。ごくわずかな間だったと言うが、彼女のいう「わずか」がどのくらいの期間を指すのか、ヒカルにも達己にも分からなかった。


「パートナーは、自分と違って老いていく。醜くなっていく。そのことに、パートナーが耐えられなくなることだってある。あたしの場合は、そうだった」

「桃音ちゃんにも、相当の覚悟を強いるってわけですね」

「賢いじゃないか。さすがハノンが世話をした子だな。そういうわけだから、よく考えなよ」


 二本目のタバコを取り出したセツナは、今度は達己に向かって話しかけた。


「シュウさん、様子はどうだって?」

「漢方が効いたのか、調子は良くなってきたらしいっすよ。でも、念のため、今年中は俺だけが立つことにしました」

「そうか。年末年始も開けるのかい?」

「ええ」

「達己くんは帰省とかしないの?」


 ヒカルが不思議そうに尋ねた。


「ほら、年末年始にこそ会いたくない親戚とか居るからさー。ちょっとずらして、一月の中旬くらいに一度帰る予定」

「達己は何歳だ?」

「二十三歳です、セツナさん」

「じゃあ、就職や結婚がどうのこうの言われるだろう?」

「当たりですよ。それが嫌なんっすよね」


 達己は一人っ子だった。バーテンダーになると言ったときも、親からは散々反対されたものだ。帰れば地元の就職先を紹介されるに決まっている、と達己は思っていた。


「人間同士の結婚もまた、我々のパートナー探しと同じく難しいものだな」

「まあ俺、結婚とか全然考えてないんで」

「あたしにとっては、人間の成長のスピードは凄く早い。達己くんも、いい子が居たらとっとと結婚するんだよ? ってこれじゃあ、嫌味な親戚のオバサンみたいだったな。悪い」

「いえいえ。セツナさんのお言葉、身に染み入ります」


 達己はぺこりと頭を下げた。


「そうだ。笠松研究所の子たち、ここに出入りしてるんでしょう?」


 セツナが聞いた。達己はたちまち烏原と羽坂の顔を思い浮かべた。


「ええ。セツナさんは……」

「彼らとは一応、連絡取ってるよ。あたしの親が彼らに殺されてるから、正直いけすかないんだけどね。人間社会で生きていくためだ、仕方ない」


 腕を組み、吐息を漏らしたセツナは、天井を向いた。


「パートナーが亡くなったことも伝えた。まあ、あいつらにとってあたしは、危険な吸血鬼じゃないっていう認識だろうから、心配ないけどね」

「そうでしたか。なんかおっかないっすよね、あの人たち」

「大体の吸血鬼にとっちゃあそうだろうね。あたしやハノンからすれば、口やかましい雛鳥みたいなもんさ」


 雛鳥、という例えを聞いて、ヒカルが口を挟んだ。


「アタシにとっては恐竜みたいなもんでしたよぉ……」

「あはは、ヒカルちゃんくらいの年だとそうだろうね。何かあったんだね?」


 それからヒカルは、笠松研究所との一件についてセツナに話し出した。こうして、二人の吸血鬼は互いの身の上を知る仲となった。

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