35 カルーアミルク

 気分が弾んでいるとき、桃音はいつも髪型をツインテールにする。それを揺らしながら、ミュールで階段を上り、扉を開いた。


「いらっしゃいませ」

「こんばんは。今日は達己くんだけ?」

「そうだよ」


 修斗の姿が無いことに、桃音は分かりやすく落胆していたので、彼女には事実を伏せておこうと達己は思った。


「あのね、報告があるの。その前にまず注文だよね。どうしよっかなぁ……」

「お酒、そんなに強くないんだよね? 牛乳いける? カルーアミルクとかは?」

「じゃあそれで」


 達己はカルーアの瓶と牛乳パックを取り出し、カクテルを作り始めた。


「それで、報告って?」

「あのねあのね! 桃音、復活した! オーディションに残れるのって五人だけだったんだけど、急に六人目のメンバーとして迎えてもらえることになったの!」

「そりゃあ凄いじゃんか! よーし、こいつは俺の奢りだ!」

「達己くん、ありがとう!」


 桃音がオーディションに落ちたことを、もちろん達己も知っていた。なので、こうして嬉しい知らせをしてくれることに喜んだものの、この場に修斗が居ないのを残念がった。


「シュウさんには、俺から連絡しておくよ」

「よろしくね。何でも、番組が終わった後、モモネを復活させろっていう声がSNSとかメールとかで沢山届いたらしくてね? もう、桃音感激だよぉ」


 そういうこともあるのか、と達己は思った。アイドルのことは、桃音の番組でだけしか達己は知らなかった。


「年明けからレッスン開始! デビューに向けて、みっちりしごかれるみたい!」

「でも、桃音ちゃんなら大丈夫だよ」

「うん、頑張るね!」


 桃音が酔血持ちだということは、修斗から聞いていた。晴れてアイドルになり、露出が増える彼女のことを、達己は心配もしていた。もし、アイドルとしての活動先で吸血鬼と出くわしたら。しかし、考えすぎても仕方ないと思い、達己はカルーアミルクをそっと差し出した。


「わっ、不思議な味だねこれ!」

「ちょっと合わなかったかな?」

「ううん、病みつきになりそう! といっても、お酒は一杯でやめるけどね。クリスマス・イブの日も、一人で缶チューハイ飲んで一缶で酔っぱらってたの」

「おいおい、寂しいイブだなぁ」

「でも、こうして六人目になれたから、もうぜーんぶいいの! 親からも認めてもらったしね!」


 しばらく二人で話していると、ヒカルが顔を見せた。達己は緊張した。彼女はすぐ、酔血持ちのことに気付くだろう。素知らぬフリをして、達己はヒカルを席に案内した。


「こんばんは」


 ヒカルが桃音に声をかけた。この店で、二十代くらいの女性に会うのは、桃音にとって初めてだった。


「こんばんは。お姉さんも、お一人ですか?」

「うん。ここには一人でもよく来るよ。アタシ、ヒカル」

「桃音です」


 当然、ヒカルは桃音が酔血持ちだと気付いた。彼女にとって、ようやく訪れたこの瞬間。しかし、どうすればいいのか分からない。彼女は縋るように達己を見た。


「赤ワインだよね? 俺が注ぐよ」

「うん、お願い」


 達己の特別な一杯を口に含むと、ヒカルは思い切って尋ねた。


「桃音ちゃん、いくつ? アタシは二十八歳」

「二十歳です。ヒカルさん、そんなに年上に見えないですね?」

「よく言われるよ」


 とにかくこの場は見守ろう。達己はそう決めた。本当なら、修斗についていて欲しかった。彼なら上手く彼女たちを誘導できるだろう。だが、ここは自分が何とかしなければならない。


「お仕事は?」

「実は、アイドルになったばっかりなんです!」


 そして桃音は、オーディションの一件をヒカルに話して聞かせた。


「そりゃあおめでたいね! アタシから一杯奢るよ!」

「あっ、桃音、お酒弱くて。ソフトドリンクでもいいですか?」

「もちろん」

「オレンジジュースにしとく?」

「達己くん、それで」


 桃音とヒカルは乾杯した。桃音は彼女が吸血鬼だなんて知る由もない。しかも、自分が酔血持ちだということ自体も。一方のヒカルは、やっと出会えた酔血持ち、しかも若い可愛い女の子を手放すまいと、心の中で画策していた。


「ねえ、桃音ちゃん。ここで会えたのも何かの縁だし、連絡先交換しない?」

「いいですよ! 女性相手なら大丈夫ですから!」

「おい、それは俺とは交換できないってことか?」


 達己が茶々を入れた。


「うん、達己くんはごめんなさい! でも、動画とかで応援してね?」

「はいよ」


 オレンジジュースを飲み終わり、桃音が去った後、ヒカルは高鳴る胸を抑えながら達己に言った。


「ねえ、今の子、酔血持ちだった……!」

「ああ、らしいね」

「達己くんってば、知ってたの!?」

「うん。ハノンさんが気付いた。でも、それを先に言っちゃうと不公平になるからって」

「そうなの?」


 その瞬間、扉が開き、ヒカルの「競争相手」が現れた。

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