32 例え義理でも
クリスマスの翌日。まず来店したのは、アカリと弘治だった。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは。あれ? シュウさんは?」
達己は少し悩んだが、アカリたちには事実を伝えておくことにした。
「それが、酷い頭痛で倒れてよ。しばらくは俺一人だから」
「そうなの!? 大丈夫!?」
アカリはぱっちりとした目を達己に向けた。その瞳は酷く潤んでいた。
「一応は大丈夫だ。しばらく安静にさせとく」
「あたし、ハノンに連絡しておくよ。いいよね?」
「ああ、別にいいぞ」
心配しているのは、弘治も同じだった。
「頭痛を甘く見るとこわいよ? シュウさん、疲れ溜まってたんじゃない?」
「そうだと思います。俺、気付けなかった」
「仕方ないよ、達己。人間の身体はもろいんだ」
今夜アカリは脩斗の特別な一杯を注文した。弘治はビールだ。アカリの耳には、昨夜弘治からプレゼントされたルビーのピアスが光っていたが、長い髪に隠れ、達己がそれに気付くことは無かった。
「とんだクリスマス・イブだったんだね」
アカリが言った。
「うん。まさか救急車に乗るだなんて思ってもみなかった」
「原因は何なの?」
「それが、検査では異常無いってさ。それより、お二人さんはイブを楽しんだんだろう?」
達己が聞くと、二人は顔を見合わせた。
「手作りケーキ頂いちゃった」
「いいなぁ、弘治さん。アカリちゃん、俺の分は?」
「ごめん、ケーキは用意してない。その代わり、これ。遅くなったけど、クリスマスプレゼント。シュウさんの分も」
アカリはショルダーバッグから小さな包みを二つ取り出した。
「これ、ネクタイピン。色違いだよ。お代の元は弘治からだから、二人からのプレゼントってことで」
「ありがとうございます」
達己は二つの包みを大切に受け取ると、一旦バックヤードにそれを置いた。義理とはいえ、アカリからクリスマスプレゼントを貰えたことが達己はとても嬉しかった。
「弘治ってさ、本当によく食べるの。だから食事の作り甲斐があるってもんよ」
「アカリの料理は本当に美味しいんだ。ほとんど味見してないのに、凄いよね?」
「まあね。指先の感覚で慣れてるから」
二人の絆は、確かに深まりつつあった。俺なんかが入る隙間は無いな、と達己は努めて明るく振る舞った。
次のお客は、小山だった。彼女はグレーのパンツスーツを着ていた。
「こんばんは。お仕事帰りですか?」
達己が尋ねると、小山はうんざりしながら言った。
「そうなのよ。会議があってね。そちらの若いお二人さんが羨ましいわ」
「あのう、小山さんですよね? あたし、以前にお話したことがあるような気がして」
「ああ、アカリちゃんだ! で、そっちが彼氏ね?」
「それみたいなもんです」
「どうも。弘治といいます」
小山の注文したハイボールを作りながら、達己は彼らの会話に耳を傾けていた。
「私、子無しのバツイチなのよ。それで、こういうバーによく足が向いちゃうってわけ。お二人さん、結婚は考えてるの?」
その質問に、アカリは答えられないでいた。パートナーとなった二人だが、アカリだけは老いずにそのままの姿を保ち続ける。どこかの時点で、父と娘だと偽って暮らす必要も出てくるはずだった。
一方の弘治は呑気に言い放った。
「ええ、もちろんっす!」
「羨ましいわねぇ。アカリちゃん、綺麗な子だから大事にしなさいよ? でないと、他の子に持っていかれちゃうわよ?」
「気を付けます」
それから弘治は意味ありげな視線を達己に向けた。達己はそれに気付かないフリをした。そして、アカリに言った。
「次、どうする? 俺が作るよ」
「じゃあ、達己が作って」
達己の血の入った特別な一杯を、という意味だった。その意図に気付けなかった弘治は、訝しげな顔をした。今夜は達己しか居ないのに、どうして二人がそんな言い回しをするんだろうかと考えた。しかし、小山が再び喋り始めたので、その考えはすっと消えていった。
「昇進の打診がきててね。私の年齢上、仕方ないことだけど……。本当はもっと現場に近い立場に居たいのよ」
「小山さんって、何関係のお仕事っすか?」
弘治が聞いた。
「美容品関係かな。弘治くんは?」
「法律関係っす」
「そう。意外とインテリなのね?」
「そうでもないっすよ」
実際、弘治はとても頭が良かった。まだ二十八歳なのにも関わらず、年配の社員がやるような案件を任されていた。
「アカリちゃんは何をしてるんだっけ?」
「今のところ、失業中でして。弘治の世話になってます」
「あら、二人、同棲してるの?」
「そうなんです」
「いいわねぇー。オバチャン、そういう話聞くの大好き。どこで知り合ったの?」
今夜の小山は特に機嫌が良さそうだな、と思った達己は、場を彼女に任せてしまうことにした。それから、自分の特別な一杯をそっと差し出した。アカリは達己の瞳を見て、軽く微笑んだ後、グラスに口をつけた。
三人が帰ってしまった後、達己は自分の名前が書かれた方の包みを開けた。そして、ネクタイピンを身に付け、きゅっと握り締めた。
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