27 自覚
冬馬と恭子を見送った翌日。オープンに向けての準備中、早速脩斗は彼らのことについて達己に話した。
「でも、大丈夫なわけ? ハノンさんの存在がさ」
達己は頭の後ろで指を組み、軽く伸びをした。
「あの三人で、関係性を作るということなんでしょうね。僕は応援しますよ」
「じゃあ俺も、そうしなきゃな」
真っ先に来店してきたのは、川崎だった。
「やあ。今晩は達己も居るんだね」
「いらっしゃいませ、川崎さん。俺とは久しぶりっすね」
「川崎さん、こんな早い時間に珍しいですね?」
川崎は、大抵どこかで腹ごしらえをしてからこの店に来る。まだ七時過ぎ、この時間に彼がやって来るのは初めてだった。
「もう、色々しんどすぎてな。五時にあがって、立ち飲み屋で一杯やってきた」
「そうでしたか。どうぞごゆっくり」
きっとビールだろう。そう脩斗が思っていると、川崎は意外なことを言った。
「カクテル、くれよ。何かそういう気分なんだ」
「かしこまりました」
そうして脩斗はモスコミュールを川崎に差し出した。なるほど、ビールならもう散々他の店で飲んで来たわけか、と脩斗は感じた。達己が川崎に話しかけた。
「管理職は大変そうっすね」
「まあな。このところ、残業続きで参ってるんだ。腰も肩も痛いしよ」
そう言って川崎はぐるぐると肩を回した。達己が尋ねた。
「何関係のお仕事でしたっけ?」
「役所だよ。言ってなかったか?」
川崎は背もたれに深く腰かけた。ショウガの香りが、いくぶん彼の疲れを癒した。そこへ、扉が開いた。
「いらっしゃいませ。おっ、アカリちゃん」
「どうも、達己。それにシュウさんも」
川崎はアカリの顔を見て、記憶を巡らせた。確か、このロングヘアーの女の子は、ここで話したことがあるような気がする。
「やあ、こんばんは。前にお会いしたことがあったかな?」
「ありますよ。川崎さん、ですよね」
「そうそう」
アカリは川崎の右隣に座った。
「シュウさん、赤ワインよろしく」
「はい」
脩斗の特別な一杯を堪能しながら、アカリは久々に人間との会話も楽しむことにした。
「川崎さんって、お子さんいらっしゃるんでしたよね?」
「そうだよ。上の子はもう高校三年生。大学受験で忙しくてね」
川崎は突き出た自分の腹をさすりながら言った。
「あたしは大学出てないんで、よく分からないんですけど、けっこう大変そうですね」
「そうなんだよ。受験生にはクリスマスも年末年始も無いってね。家の中がカリカリしてるんだ」
「それで、ここへ来たと」
「その通り」
タバコを一本吸い終えたアカリは、達己に話しかけた。
「大学といえば、達己は出てるんだよね? 受験のときってどうだったの?」
「予備校漬けだったよ。でも、イベント事はちゃっかり楽しんだな。その頃彼女も居たし」
「へえ、高校のときに? そういえば初耳かも」
アカリが目を丸くした。
「大学がバラバラだったから、すぐ別れちまったんだよ」
達己は苦々しいことを思い出した。あれは最初の彼女だった。思えばその彼女と別れてしまってから、女性関係にいい加減になってしまったのだった。川崎が聞いた。
「そうだ、達己は大学から一人暮らしかい?」
「はい、そうです」
「うちの子も、早く家を出たいからって遠くの大学を受けるんだよ。俺としては、自宅から通って欲しいもんだがな」
「下のお子さんはおいくつですか?」
今度はアカリが尋ねた。
「高校一年生だよ。二年後にはまた、受験生の面倒見なきゃならねぇ」
「なるほど」
吸血鬼であるアカリにとって、人間の意味での「子供」は縁遠いものだった。しかし、それもハノンの血を吸う前に覚悟を決めたこと。アカリはもう一本、タバコを取り出し、火をつけた。
「じゃあ、俺帰るわ。またね、アカリちゃん」
川崎はモスコミュール一杯で店を出てしまった。時刻は夜の八時になったところだった。
「じゃあ、あたしは今度は達己の一杯を」
「オッケー」
達己はなるべく動揺しないよう気を落ち着けながら、特別な一杯を作った。アカリへの恋心を自覚してしまった今、自分の血を飲んで貰うことに余計な気合いが入りそうでこわかった。
「ふふっ、やっぱり二人とも美味しい」
アカリはそれぞれの血を褒めた。脩斗はいつも通りの柔和な笑顔をしていたが、達己はどういう顔をすればいいか分からず、伝票の整理に取りかかった。
「ああ、それは後でもいいですよ?」
「いや、今やっとくよ」
そんな達己の態度に、脩斗はどこか違和感があったものの、勘違いかと思い直してそのままにさせた。アカリがのんびりとした口調で言った。
「それにしてもさー、本当に客層がいいね、ここは」
「はい、おかげさまで。川崎さんは、カズさんの店から来ていただいてる方の一人ですよ」
「じゃあ、結構付き合い長いんだ?」
「そうなります」
しばらく川崎の話題で二人が話し込み始めたので、達己はホッとした。なんだか今夜は、これ以上上手くアカリと話せない気がしたのだ。それはきっと、初めての恋人のことを思い出してしまったせいもある。
一方のアカリは、達己の様子に気付くことも無く、淡々と赤ワインを飲み干していた。
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