25 セツナ

 すっかり体調の戻った脩斗は、金曜日の店に立っていた。クリスマスまであともうすぐ。街の賑わいに合わせ、脩斗の店も盛況だった。達己と二人で店を回し、とっぷりと夜も更けた深夜一時。最後の人間のお客を見送ったのと入れ違いに、新しい顔が店に現れた。


「いらっしゃいませ」


 彼女は小柄で、癖のある黒いセミロングの髪を一つに束ねていた。年の頃は、三十代ほど。涼やかな目元をしていた。カーキ色のモッズコートを預かると、脩斗は真ん中の方の席に彼女を誘導した。


「ここって、特別な一杯が飲める所なんですよね?」


 頭を振り、周りに他の客が居ないことを確認して、彼女が聞いた。


「そうですよ。あなたは……」

「ええ、吸血鬼です。セツナと申します」


 そう名乗った吸血鬼は、タバコの箱を取り出した。まずはおしぼりを渡し、次いで灰皿を置いた脩斗は、彼女に説明を始めた。


「僕は永沢脩斗。彼は荒田達己といいます。二人とも、酔血持ちです。この店では、どちらの血も飲めますし、二人分をブレンドすることもできます」

「ええ、ハノンから聞いて知っています」

「そうですか。やはり、彼からのご紹介でしたか」


 セツナはまず、修斗の特別な一杯を注文した。彼女にとって、赤ワインに血を混ぜて飲むのはこれが初めてだったが、深い味わいに驚き、そして満面の笑みを漏らした。


「良い。凄く良いです」


 何度もワイングラスの中身と修斗の顔を見比べ、セツナが明るい声を漏らした。


「ありがとうございます」

「セツナさん。次、俺の飲んでくださいね?」

「えっと、達己くんでしたっけ。もちろんそうするつもりですよ」

「あっ、俺には丁寧語使わなくて大丈夫っすよ。若造なんで」

「そうかい。あたしはもうすっかりお婆ちゃんだ」


 ふいに、雨が降り出した。雨音がガラス窓から聞こえてきた。修斗は天気予報を確認した。ごく弱い雨が短時間降り注ぐようだった。


「いきなり、重い話していい?」

「ええ、どうぞ」


 修斗はにこやかな表情を浮かべた。


「パートナーを看取ったんだ。癌でね。六十三歳だった」

「それはお辛かったですね」


 セツナは組んだ指の上に顎を乗せた。


「手続きやら何やら済ませて、ようやく家を売り払ったところだよ。あたし、晩年は彼の娘として過ごしていたからね」

「それじゃあ今は……」

「ん、ホテル暮らしさ。ハノンからは、冬馬くんの家に来てもいいと言われてるけど、さすがに遠慮してるよ。幸い、お金ならたっぷりあるしね」


 ワイングラスを空けたセツナは、達己の特別な一杯を注文した。修斗のものとは違い、酸味があるように彼女には感じられた。二本目のタバコに火をつけた彼女は、さらに言葉を続けた。


「これも美味しいね。しばらく、世話になるよ。新しいパートナーが見つかるまではね」

「どうぞそうぞ。火曜日が定休日です」


 紫煙と共に深いため息をついたセツナは、しばし黙り込んだ。達己は洗い物を始め、修斗は伝票を整理し始めた。ジャズと雨音が店を包んでいた。セツナはふかふかとした椅子の感触に気を良くした。ここなら、長居できそうだ。


「ここに通ってる吸血鬼って、他に誰が居るの? 知ってる子、居るかな」

「ハノンさんの娘さんとかですね。アカリさん」

「ああ、あの子なら一度会ったことがあるよ。四十年くらい前だけどね」


 やはり、彼女も高齢の吸血鬼なのだ。そう思った修斗は、ややためらいながらも、看取ったパートナーについての話を振ってみた。


「その彼とは、何年くらい共に?」

「三十年くらいかな。喫茶店に居たのを口説いたんだ。それから彼は恋人も作らず、ずっとあたしに尽くしてくれた。本当に良いパートナーだったよ」


 セツナの飲むペースは早かった。彼女はブレンドを注文した。


「おっと、これはうっかり酔いつぶれてしまいそうだな」


 目を見開いたセツナは、修斗の方に顔を向けた。


「ハノンさんはこれがお好きなんですよ」

「あいつ、弱いくせによく飲むからな。そうだね、久しぶりに、あいつと会ってもいいかな……。それに、アカリちゃんともね。吸血鬼とは最近会っていないから」


 とんとん、とセツナは灰を落とした。そこへ小山が現れた。


「いらっしゃいませ、小山さん。こんな時間に珍しいですね?」

「今夜は三軒目よ。あら、そちらの方は初めましてかしら?」


 小山はぱちぱちとまばたきをした。


「はい。セツナと申します」


 セツナは切れ長の目で薄く微笑んだ。


「私は小山。赤ワインを飲んでるの? この店、それが好きなお客さん多いわね」

「うちの看板メニューみたいなもんですよ」


 達己が小山のコートを預かると、彼女はセツナの左隣にかけた。


「ハイボールで」

「かしこまりました」


 修斗がハイボールをステアする様子を、セツナと小山は黙って見守っていた。口を開いたのは、小山の方からだった。


「私は美容関係の営業職をしているの。セツナさんは?」

「父が亡くなって、どうしようかと思ってるところです。長い間、介護をしてましてね」

「お若いのに、それは大変だったわね」


 それから、セツナは人間向けの身の上を語り始めた。あまりに手慣れた様子に、修斗と達己は感心した。彼女なら、次のパートナーが見つかる間、そつなくやっていけることだろう。


「そういえば、小山さん。雨、どうでした?」


 セツナが聞いた。小山は天井を見上げた。


「まだ降るんじゃないかな? そろそろ帰るの?」

「ええ、どうしようかと」

「置き傘あるよ、セツナさん。それ持って行って」


 達己が扉の方を指した。


「ありがとう、達己くん」


 そうして二人は、閉店時間になるまで、ゆったりと会話を楽しんだ。

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