24 芦原仁

 達己の一杯とコスモポリタン、それに梅元との会話を楽しんだカケルは、パートナーである芦原仁あしはらじんの待つマンションへ帰っていった。

 仁の親は裕福であり、彼は奨学金無しで大学へと進学していた。住むマンションも、リビングの他にもう一部屋ある、学生にしては広い部屋であった。


「ただいま。まだ起きてたの?」

「うん、カケル。卒論やってた」


 就活をするまでは派手な髪型をしていた仁だったが、今は黒く染めており、長さもスッキリとしていた。就職するまでは、また伸ばす気でいた。

 仁のパソコンデスクの脇に、ブラックニッカの瓶が置いてあることにカケルは気付いて苦笑した。


「おい、酒飲みながらやってたのか?」

「その方がはかどるんだよ」


 仁は文学部だった。卒論も当然、高いレベルのものを要求される。教授には、スケジュール調整の甘さを詰められっぱなしで、それで急いで執筆に取りかかっていたのである。


「で? カケルは今夜はお楽しみでしたか?」


 座ったまま足を組み、カケルを見上げた仁は、じとりと彼を睨みつけた。


「おかげさまでね。でもまあ、普通のカクテルも飲んだよ」

「僕のは要らないよね、どうせ」


 他の人間の血を飲んで来ることに、仁は焼きもちを焼いていた。なのでカケルも、なるべく脩斗の店へ行くのは控えていたのだが、それでも達己たちの顔を見たくて今夜は出掛けたのであった。


「別に飲んでもいいよ?」

「何、その言い方」

「拗ねんなよ」


 カケルは人差し指で仁の頬をぷにっと指した。仁は酔いが回っているせいもあり、余計に意固地になってしまった。


「お願い。飲ませて」

「はい、どーぞ」


 仁は仕方ないといった様子で右手を差し出した。カケルが吸い付くと、仁は小さくうめき声をあげた。


「ちょっ、強く吸いすぎ」

「そうか? 悪い悪い」


 わざとそうしてみたカケルは、ニヤニヤと笑いを浮かべた。そして、荒れ果てた部屋の様子をぐるりと見回した。


「何で、半日もしないのにこうなるんだ……? それに仁、カップラーメンを食べたらすぐに汁は捨てろと言っただろう?」

「カケルがやってよ。僕は君の酔血なんだからさ」

「はいはい」


 カケルは片付けを始めた。そうしている時間さえ、彼にとっては楽しかった。仁は再びノートパソコンに向かったが、気が逸れてしまったのか、何も続きが思い浮かばないでいた。


「カケルに血ぃやったせいで気が散った」

「おいおい、俺のせいにするなよ」


 仁はパソコンデスクから立ち上がり、ソファにどかりと座り込んだ。一人分の隙間をきちんと作って。そのことに気付いたカケルは、少しの間、まだ座らないで片付けの続きをしてみることにした。


「卒論まとまんねーし、なんか寝れねーし」

「とりあえずベッドには行けば?」

「なんかまだそんな気になれねーし」


 チラチラとカケルの様子を伺う仁。そろそろ可哀想だなと思ったカケルは、手を止めて隣に座った。


「……やっぱり嫌だな。他の奴の血ぃ飲まれるの」


 いきなり素直な言葉が仁から飛び出てきた。それを意外に思ったカケルだったが、大人しく続きを聞いた。


「そりゃあ、最初に吸血鬼だって言われたときは、何言ってんだこのバカって思ったさ。でも今は、何となく、酔血持ちとしてのプライドが出てきたっつーか、そんな感じ」


 仁がもそもそと足の指を動かすのを見て、カケルは言った。


「そっか。やっぱりシュウさんの店に行くのはやめるね?」

「うーん、でも、そうじゃない。なんかこう、そんなんで縛りたくない」

「じゃあ、一度一緒に行ってみる? 店にさ」

「うん……そのうち、な」


 仁はことりとカケルの肩に頭を乗せた。同じくらいの身長の彼らにとって、その体勢は少々苦しいものであったが、それが仁のお気に入りであることをカケルはよく知っていた。


「身体、熱いぞ仁」

「酒のせいだと思うよ」


 それからカケルは仁の右手をさすった。先ほど吸った人差し指を、つんつんと突いてもみた。


「何、まだ欲しいの?」

「別に」

「僕はあげてもいいけど?」

「今夜はもうやめとくよ」


 カケルからは仁の顔が見えなかったが、そろそろ眠り込んでしまいそうな予感がしたので、仁の頭を引きはがし、手を取ってソファから立たせた。


「さっ、ベッド行こう」

「ふぁーい」


 手を繋いだまま、彼らは寝室にしているもう一部屋に向かった。そこには本棚があり、仁の大学関係や趣味の書籍がずらりと並んでいた。仁を寝かすと、カケルはシャワーを浴びに行った。彼はまだまだ、眠れない。


「どれどれ……」


 風呂場から出てきたカケルは、部屋着に着替え、ノートパソコンを開け、進捗状況を確認した。規定の二万字には到底達しない文章量だった。仁は決してレポートの類は不得意では無かったが、さすがに卒論となると苦慮している様子だった。

 カケルはソファに寝転がり、スマホを操作した。時刻は夜二時だった。梅元、そして桃音のことを思い出した彼は、オーディション番組を最初から見ることにした。そうして吸血鬼は、長い夜を過ごしていた。

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