21 常連に挟まれて
金曜日の夜だった。修斗はオーディション番組を見て、桃音が残ったことを確認してから、一人で店を開店させた。次が最終選考だ。もしかしたら、今夜彼女が来るかもしれない。その予想は当たった。八時過ぎに、扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
「シュウさん、こんばんは。動画見てくれた?」
桃音はつま先立ちになり、首を傾げた。
「ええ。最終まで残れたんですね」
「うん! 収録はもう終わってて、結果待ちなんだけど、もうドキドキだよぉ。発表は生中継だから、よろしくね?」
修斗は桃音のダッフルコートを預かった。その下に着ていたのは、シンプルな黒いニットだった。スレンダーな彼女には、そういった恰好がよく似合っていた。
「今日もカシスオレンジで」
「かしこまりました」
酒を作っている途中で、また扉が開いた。
「いらっしゃいませ。
「やあ、シュウさん。おっ、今夜は若い子と二人だったのかい?」
「彼女も今来たところですよ。桃音さんといいます」
「こ、こんばんは」
川崎は、五十過ぎの小太りの男だった。コートを脱いだ下は黒いスーツを着ており、いかにもサラリーマンといった風情の男性だ。この店で、他のお客と会話をしたことがなかった桃音にとって、父親の歳くらいの初対面の人間と話すのは勇気が要ることだった。
「隣、いいかい?」
「はいっ!」
桃音の左隣に、川崎は座った。桃音は身を縮めた。
「川崎さんは、よく来られるんですか?」
思い切って桃音はそう尋ねてみた。
「いや、久しぶりだよ。子供の受験で嫁がカリカリしててな。あまり飲みに来れていなかったんだ」
「受験ですか?」
「息子が高校三年生でね。桃音ちゃんは? パッと見未成年に見えちゃったけど」
よく言われることだ、と思いながら桃音は答えた。
「二十歳です」
「そうかい。えらくべっぴんさんだな。シュウさん、もうこの子は口説いたのか?」
「僕はお客さんには手をつけませんよ。それより川崎さん、何にします?」
「とりあえずビールだな」
修斗はカシスオレンジとビールを同時に作り、彼らに提供した。そうすると、またもや新しい来客があった。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは、シュウさん。あら、川崎さんじゃない? 珍しい!」
小山だった。彼女は桃音の右隣にかけた。自分のよく知らない常連二人に挟まれ、桃音は居心地の悪さを感じたものの、もっとショットバーという場を知りたいと思っていた彼女は、小山にも声をかけた。
「初めまして。桃音といいます」
「初めまして。オバチャンのことは小山さんでいいわよ。川崎さん、また太ったんじゃない?」
小山が川崎のでっぷりと出た腹を指して言った。
「最近、忙しくてな。小山さんは相変わらずお綺麗でいらっしゃる」
川崎は、心の底からそう言った。
「まあ、若作りしてても手先までは隠せないけどね。桃音ちゃん、とっても可愛い手をしてる」
自分の両手をすり合わせながら、小山がそう言った。
「そ、そうですか?」
「うん。学生さん?」
「いえ、今、アイドルを目指してて……」
それから桃音はオーディションについての説明を始めた。興味を持った小山が、自分のスマホで最新の動画を再生し始めた。
修斗は伝票を整理しながら、三人の様子を耳で聞いていた。この日やってきてくれた常連が、川崎と小山だったことに、彼は内心安堵していた。彼らなら、バーに慣れていない桃音に優しくしてくれる。
「凄いじゃない! ダンスも歌も上手いのね。川崎さん、今のうちにサインでも貰っといたら?」
「おっ、そうしようかな?」
「もう、気が早いですよ?」
カシスオレンジを飲み終わった桃音は、何かソフトドリンクを注文しようと修斗に目を向けた。
「どうします? クランベリージュースなんかもありますよ」
「ぜひ、それで!」
「あら、桃音ちゃん、お酒は弱いの?」
「はい、小山さん。それで、二杯目はいつもジュースなんです」
桃音は自分の髪をいじりながら答えた。
「偉いなぁ、桃音ちゃんは。そうして自分の引き際を分かってるってことは、十分大人だよ」
「川崎さん、ありがとうございます」
それから川崎と小山は、桃音の知らない話題で盛り上がり始めた。ゴルフをしない彼女にとって、グリップがどうのこうのという、彼らの出す単語は何が何やらよくわからなかった。修斗がクランベリージュースを桃音の前に置いた。
「どうぞ。甘酸っぱくて、美味しいと思いますよ」
「いただきます。……わあっ、本当だ!」
脩斗は満面の笑みを見せた。その表情を見た桃音は、顔を赤らめた。やっぱりシュウさんはカッコいい。そう思いながら、こくこくとジュースを飲んだ。
川崎と小山は、まだゴルフの話題を続けていた。さすがにそれには入れないだろうと思った脩斗は、桃音に話しかけた。
「最終選考は、視聴者投票もあるんですってね?」
「うん、そうなの。シュウさん、桃音に入れてね?」
桃音は両手を胸の前で合わせ、上目遣いをした。
「もちろん。達己もそうすると思いますよ」
「そういえば、達己くんは休み?」
「はい。女の子と会ってるんじゃないですかね?」
「彼女さんいるの?」
修斗が咳払いをした。
「いえ、彼に決まった相手は居なくて。遊び人ですからね。店のお客さんには手をつけないようしつけていますので、ご安心を」
その言葉が何だか可笑しく思えた桃音は、プッと吹き出した。
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