20 キールロワイヤル

 とある土曜日の深夜一時。客足が途絶え、修斗と達己はもう今夜は閉めてしまおうかと相談していたときだった。扉が開き、二人の吸血鬼がやってきた。アカリとヒカルだった。


「こんばんは。今日はお二人で?」

「うん、シュウさん。ヒカルがお疲れの様子だから、話聞いてやろうと思ってね」


 アカリの黒いダウンジャケットと、ヒカルのツイードコートを預かった達己は、ほんのりした柑橘系の香水の匂いに気付いた。それはヒカルがつけていたものだった。


「ヒカル、今夜はブレンドからいっちゃう?」

「はい、アカリさん。あれ、強いけど病みつきになるんですよね」


 修斗が特別な一杯を作り始めた。達己はアカリの前に灰皿を置いた。そして、こんなことを聞いてみた。


「弘治さんは? いいの?」


 アカリは目を一瞬閉じた。


「うん、もう寝てるよ。あいつは明日も仕事だしね」

「えっ、明日って日曜日なのに?」

「休日出勤ってやつ? なんか、中堅の社員が辞めたとかでバタバタしてるらしくてね」


 アカリはタバコを取り出し、火をつけた。タバコの匂いとヒカルの香水の香りが入り交じり、場はすっかり二人の吸血鬼たちの空間になった。


「どうぞ。特別な一杯です」

「ありがとう、シュウさん。乾杯!」

「アカリさん、乾杯!」


 確かにヒカルはやつれた様子だ、と修斗は思った。ヒカルはいつもゆっくりと味わう一杯を、今夜はぐいっと一気に流し込んでいた。


「それで、最近仕事の方はどうなのさ?」


 ワイングラスをゆらゆら揺らしながら、アカリが聞いた。


「バレないかいつもヒヤヒヤしてますよ。お客さんから、スイーツの差し入れとか貰うことがあるんですよね。いつも悪いなぁって思いながら、捨てたり他の子にあげたりしてます」

「水商売はそういうとこあるからねぇ。早くパートナーが見つかるといいんだけど」


 達己が会話に加わった。


「ハノンさんは、夜の街でナンパしたって言ってたけどね」

「ああ、確かそうだよね」

「アタシも、うちのお客さんで酔血持ちが居ないかなぁとか思ってるんですけど、そう都合よくはいかないっすね。もっと積極的にならなきゃダメですかね?」

「まあ、あたしと弘治もバーで偶然出会ったからね。たまには他の店に行ってみるのもいいと思うよ? 例えば、ほら、シュウさんが前に働いてたところとか」

「カズさんのところですね。何なら今から四人で行きますか?」


 修斗がそんな提案をした。


「いいね、シュウさん。あたしもあの店には行きたいと思ってたんだ」


 アカリが賛成し、修斗と達己は店を一旦引き上げた。それから、一博の店に向かった。


「いらっしゃい。今日は女の子連れかい?」

「はい、カズさん。アカリさんとヒカルさんです」


 幸い、四人がかけられるスペースは空いており、奥から修斗、達己、アカリ、ヒカルの順に座った。達己はタバコを取り出した。勤務中は吸わないようにしているが、お客側となれば別だ。


「ホープだなんて、渋いの吸ってるね、達己」

「アカリちゃんこそ、ハイライトでしょう? 若い子が吸う銘柄じゃないよ」


 タバコ談義をする二人の横で、ヒカルは緊張していた。修斗の店以外のバーに来たのはこれが初めてだったからだ。他に二人連れの若い男性客がおり、彼女は彼らに目線を向けた。残念ながら、酔血の匂いはしなかった。


「カズさん、僕と達己はハイボールを。アカリさんとヒカルさんはどうします? せっかくですから、カクテルなんかを頼んでみては?」

「アタシ、キールロワイヤルが良いです」


 ヒカルが目を輝かせると、アカリが聞いた。


「ヒカル、何それ?」

「シャンパンとカシスのお酒です。アカリさんもどうですか?」

「じゃあ、それで」


 吸血鬼たちが血のように赤い酒を注文することに、達己は吹き出しそうになっていた。何も知らない一博は、四人分の酒をスムーズな手つきで作り上げていった。


「この店、落ち着きますね」


 ヒカルが言った。一博はヒゲが生えた口元をほころばせた。


「修斗、この子たちはお前の店のお客さんかい?」

「はい、カズさん。アカリさんはけっこう前からの常連で、ヒカルさんは最近来てくれるようになった方です」

「お嬢さん方、これからも修斗の店をよろしくな? もちろん、俺の店も」


 一博はとん、と自分の胸を叩いた。


「はい! あっ、良かったらうちの店にも来てください。アタシ、スナックで働いてるんです」


 そう言ってヒカルは名刺を差し出した。「あずさ」という店名が入ったものだった。名刺に視線を落としながら、一博は言った。


「へえ、そうかい。今度行ってみるよ」

「ありがとうございます!」

「ヒカルってば、営業活動に熱心だねぇ」

「そりゃあそうですよ、アカリさん。あずささんからもっと認められたいですからね」


 四人の前に、次々と酒が並べられていった。彼らは乾杯し、思い思いのスピードで、それを味わった。


「やっぱり、カズさんとこで頂く酒は旨いや」


 達己が言うと、修斗が言葉を継いだ。


「本当にそうです。何だか、実家に帰ってきた感覚になりますね」


 修斗はそっと目を閉じた。


「そこまで言うんなら、お前らこっちに立ってくれよ。相変わらずバイトが続かなくてな。この前も、飛ばれたばっかりだ」


 それから一博の愚痴に一通り付き合った後、四人はもう一杯飲んで解散した。

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