19 ハノンと冬馬
木曜日の修斗の店は、ひどく空いていた。その日は達己も居て、いつまでもお客の来ない店で、二人で桃音の話をしていた。
「あの子なら残れると思うんだよな。実際会ってるから、そう思うだけかもしれないけど」
「そうですね。桃音さんには、何とも形容しがたい魅力があります」
達己は客席を指した。
「最初さ、二人で横に並んでたろ? 一体何やってんのかと思ったよ。口説いてんのか? って」
「もう、僕がそんなことしないって、達己ならよく知っているでしょう?」
ようやく扉が開いたのは、夜十時を過ぎてからだった。
「やっほー! お二人さん。今日は冬馬も連れてきたよ」
気の良い吸血鬼のご登場だった。
「いらっしゃいませ、ハノンさん。そして冬馬さん」
「どうも。冬馬です」
二人の上着を預かった達己は、冬馬の背の高さに驚いた。小さなハノンと並ぶと余計に大きく見えたせいもある。
「ボクはブレンドを。冬馬はどうする?」
「ジントニックかな」
「かしこまりました」
彼らの酒は、修斗が作った。その間に、達己は冬馬に話しかけた。
「こうしてお会いするのは初めてですね。達己です」
「そうだね、よろしく。本当はもっと早く来てみたかったんだけど、ヒカルの一件でバタバタしていてね」
ヒカルは住居も就職先も決まり、生活を軌道に乗せつつあった。週に一度、ここで血を補給し、吸血鬼として何とか一人立ちをしたところであった。
「本当にお優しいっすね、冬馬さんは」
「ハノンのお節介が移ったかな? オレも困っている吸血鬼は放っておけない」
冬馬がちらりとハノンの顔を見た。ハノンは指で鼻の下をこすった。
「お待たせしました。特別な一杯と、ジントニックです」
修斗が二人に酒を提供した。ハノンと修斗は乾杯し、話を続けた。
「シュウさんとも、初めましてだね。なんか、そういう気がしないけど」
「僕もハノンさんから冬馬さんのお話はよく伺っていましたからね。同感です」
冬馬の目に、卓上サイズのクリスマスツリーが映った。
「そういえば、そろそろクリスマスか、ハノン」
「そうだよ? まあ、在宅での仕事が多いから、街の様子はよく知らないもんね」
「冬馬さんは、何のお仕事をされているんですか?」
達己が聞いた。トントン、とカウンターを指で叩きながら、冬馬は答えた。
「何て言ったら良いんだろう。デザイン系の会社の、何でも屋をやってる感じかな。業務改善のためのマニュアル作ったり、提案したり……」
「へえ! なんか凄そうっすね。俺、こういう仕事しかしてないんで、普通の会社ってどういうのかよく知らないんっすよ」
「仕事と言えば、冬馬。新人の女の子とは最近どうなのさ? 出勤日にはその子の匂いがするよ?」
ハノンが余計な口を挟んだ。
「ランチは必ず一緒に行くな。なかなか可愛らしい子でね。あれだけ慕われたら、世話のし甲斐もあるってもんだよ」
「やっぱりね。まあ、ボクとしては、人間のパートナーができることには賛成だよ」
「えっと、ハノンさんはそれでいいんですか?」
驚いて修斗が聞いた。彼らの仲の深さなら、よく知っていた。
「もちろんいいよ。冬馬には、人間としての幸せも掴んでほしいから」
「でも、オレはハノンとの関係も続けたい。その方法を、今は模索しているんだ」
「そうでしたか」
修斗はそれ以上詳しい話を聞こうとはしなかった。達己も同じだ。そして話題は、ヒカルのことに移った。
「今のところは、怪しまれずに働けているみたいですね。この前いらっしゃったときも、そう仰っていました」
「そっか。ボクとしてはまだまだ心配なんだけど、彼女の親ではないからね。世話を焼くのもほどほどにするよ」
ハノンはひらひらと手を振った。
「笠松研究所との関係も上手くいっているようですし、そういう意味での心配も無いかと」
「あの時はありがとうね、修斗。ボクが立ち会ったら余計にややこしくなりそうだったからさ。そうだ、修斗と達己にもご馳走するよ。何か飲んで飲んで?」
そう言ってハノンは両手を広げた。
「ハノンさん、ありがとうございます」
「じゃ、俺もいただきます」
ハイボールを二つ作った達己は、一つを修斗に手渡した。こういうとき、特に示し合わなくても、いつも同じものを作るようにしている。それが彼らの流儀だった。四人はグラスを近づけ、乾杯をした。それから達己が言った。
「ヒカルちゃんにも、パートナーが現れるといいっすね」
「そうなんだよねぇ。そればっかりは、運だから」
ハノンは冬馬の顔を見つめた。照れくさくなった冬馬は、目を伏せた。彼らの出会いがどんなものだったのか、達己は知らなかった。なのでこの機会にと聞いてみた。
「ハノンさんと冬馬さんは、どうやって出会ったんですか?」
冬馬は腕を組み、背もたれに背中を預けた。
「俺がまだ新入社員だった頃だよ。歓迎会が終わって、どこかで飲もうと一人でこの辺をうろうろしていたら、ハノンに声をかけられてね」
「ボク、その頃、夜の街に出ては酔血持ちを探していたからね。道のど真ん中でナンパして、一緒に飲みに行こうって誘って、それから吸血鬼だって打ち明けたってわけ」
「やりますね、ハノンさん」
達己が苦笑した。
「そりゃあ、酔血持ちは珍しいもの。特に自分好みなのはね。冬馬の血は、ウイスキーみたいにガツンとくるんだ」
そんな二人の馴れ初めを聞かされたところで、人間のお客が何名か来店し、店は慌ただしくなった。もう十分だと思った冬馬は、一杯だけで会計を済ませた。帰ってからは、存分に自分の血をハノンに飲ませてやるつもりでいたのだった。
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