18 オーディション
桃音は緊張した面持ちで階段を上がっていた。時刻は夜八時。すっかりと冷え込んだこの日、彼女は真っ白なダッフルコートを着ていた。髪は今日はおろしており、肩甲骨くらいの長さの茶髪を冬風になびかせていた。扉の横に貼られた名刺を確認し、彼女はそっと扉を開いた。
「いらっしゃいませ」
「えっと、シュウさん。こんばんは」
前回、散々醜態を見せつけていた桃音は、修斗に会うのが気恥ずかしかったのだが、それでもこの店に来る理由があった。コートを預かってもらい、席についてから、彼女は口を開いた。
「シュウさん。書類審査、受かったよ!」
「おめでとうございます」
桃音はスマホを取り出した。
「それで、ネットに二次審査の動画があがってるんだけど……。一緒に見てだなんて言わないよ? ただ、ちょっぴりでも興味があったら、また今度見て欲しいなって」
「今、見てもいいですよ。他のお客さまもいらっしゃいませんし」
修斗が桃音のスマホを指差した。
「本当!? あっ、その前にお酒頼まないとね。カシスオレンジで」
「かしこまりました」
カシスの瓶を取り、修斗がカクテルを作っている間、桃音はスマホを操作し、アプリでオーディション番組の動画を準備し始めた。
「どうぞ。カシスオレンジです」
「いただきます」
前に来たときは、ろくに味も覚えていなかった桃音だが、自分の酒の弱さを自覚し、ほんの少しずつそれを飲むことにした。
「隣に座ってもいいですか? その方が見やすいですし」
「え、ええ、どうぞ」
恋人候補になってもいいとまでのたまっていた桃音だったが、それは酔っていたから言えた言葉であって、端正な顔立ちをした男性がすぐ隣に座ってきた事実に、彼女はすっかり恐縮してしまっていた。
オーディション番組は、三十分だった。桃音の紹介は「抜群の歌唱力! 元気印の歌姫モモネ」だった。修斗はこういった動画を見るのが初めてで、興味深そうに声を漏らしていた。
「ほう……。週に一人ずつ、落とされるんですね」
「うん。それで、残った五人だけがデビューできるの」
スマホで見る動画の文字は小さく、視力の良い修斗でも読みにくかったので、自然と桃音の近くに顔を寄せる体勢になった。彼女はびくりと身を震わせたが、動画に集中していた修斗がそれに気付くことは無かった。
「本当だ。歌、上手いんですね? 桃音さん」
スマホから目を離した修斗は、桃音に向かって微笑みかけた。桃音はたじろいだ。
「う、うん。この子たちの中では、一番だという自信はあるよ。けど、受かるかどうかは別の話」
「そういう世界なんですね」
動画が終わった後も、修斗は桃音の隣に座ったままだった。何となく、立つタイミングを見失ってしまったのだった。しかし、もうすぐ達己が出勤してくる頃だと思った修斗は、彼が来るまでそこに居ることにした。
「残れると良いですね」
「はい、桃音、頑張ります!」
「動画は金曜日にあがるんですね? それじゃあ、僕もチェックするようにしますよ」
「ありがとう、ございます!」
あまりの修斗との近さに、桃音の心臓が飛び出そうになった頃、達己が現れた。
「シュウさん、何してんの?」
達己はあんぐりと口を開けていた。
「オーディション番組を見ていたんですよ。桃音さん、彼はうちのアルバイトの達己です」
「桃音です。初めまして……ですよね?」
見覚えのないバーテンダーに対し、桃音はおどおどとそう言った。
「うん、そうだな。オーディション番組って、なんでまた」
「この桃音さんが出ているんですよ」
「えっ、じゃあこの子芸能界志望なわけ? 道理で可愛いと思った」
「さてと、僕戻りますね」
ようやく脩斗が席を立ち、カウンターに戻ったことに、桃音は落ち着きを取り戻した。カシスオレンジが底をつきかけていた。次の一杯を飲んでしまえば、また酔っぱらってしまうだろう。そう思った彼女は、達己が来たばかりではあるが、もう帰ることにした。
「済みません、桃音、酔っちゃうから、これで終わりで」
桃音は空になったグラスを両手で差し出した。
「何ならソフトドリンクでも出すよ?」
達己が言った。
「いいの?」
「うん。普通のオレンジジュースとかもあるからさ」
達己の勧めに桃音は乗った。彼ともう少し話をしてみたかったのだ。
「達己くんって何歳なの?」
「二十三歳だよ」
「じゃあ桃音の方が三つ下だね」
「二十歳なんだ?」
「そう。アイドルやるなら二十歳が限界、って親から言われてるの。それで、このオーディションには全力かけてるってわけ」
「そっか。頑張れよ」
達己はオレンジジュースを桃音に出した。くりくりとした瞳が愛らしい、いかにも美少女といった彼女の容姿そのものはタイプでは無かったが、その情熱に達己は興味が出てきた。
「俺も、そのオーディション番組ってやつチェックしといてやるよ」
「ありがとう!」
実際、達己はその日の勤務を終えた後、桃音の出ている動画を確認した。毎週金曜日が楽しみになりそうだな、と彼は思った。彼女なら、きっと勝ち進んでいける。アイドルのことはよく分からない彼だったが、そう信じて疑わなかった。
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