17 カケル

 季節はすっかり冬になっていた。アカリの作ったリースが、店の扉にかけられていた。カウンターの脇に、卓上サイズのクリスマスツリーを置き、修斗は一息ついた。今夜は一人での営業だった。

 しばらくの間は誰も来ず、在庫の管理などをして過ごしていた修斗だったが、雨の降り出した音に気付いて窓の外を見た。予報では、今夜は晴れだったのだが。アプリで雨雲レーダーを見ると、一時的なものらしく、修斗は安心した。置き傘はあったが、雨の中帰宅するのは嫌だったからである。

 それから、扉が開き、背の高い男が店に入ってきた。彼の頭は、先ほどの急な雨で濡れてしまっていた。まるで大型犬のように、ぶるりと身体を震わせた男は、快活な声を出した。


「どうも、シュウさん。お久しぶりです!」

「ああ、カケルさん! ご無沙汰してます。タオル、持ってきますね」


 修斗はカケルに乾いたタオルを手渡した。それを受け取り、丹念に短い黒髪を拭いた彼は、こう言った。


「特別な一杯を。シュウさんので」

「かしこまりました」


 カケルという、外見は二十代に見える吸血鬼が修斗の店に訪れたのは、久しぶりだった。パートナーが見つかった彼は、遠くに引っ越し、この店に来る機会も無かったのである。


「今夜は久々に、シュウさんのが飲みたくなりましてね」


 だらりと背もたれに背中を預け、カケルが言った。


「嬉しいことを言ってくれますね。パートナーさんとは順調ですか?」

「まあ、何とか。まだ卒業してないんで、これからどうなるかっすね」

「何年生でしたっけ?」

「今、四年生ですよ。就職先、まだ決まってないんですよねぇ……」


 カケルのパートナーは、大学生だった。古着屋でアルバイトをしていた彼を、何 とか口説き落とし、共存関係を結んだのであった。その辺りの事情を、修斗はよく知っていた。


「今日、達己は?」

「休みなんですよ」

「そっか。まあ、彼の顔も見たかったけど……。血だけは飲んで行きますよ」

「ありがとうございます」


 そういえば、と修斗は灰皿を差し出した。カケルも喫煙者だった。


「どうも。やっぱりよく覚えてらっしゃいますね?」

「職業柄、必須ですよ」


 カケルはポケットからタバコを取り出すと、旨そうに吸った。その間に、特別な一杯を作り終えた修斗は、ワイングラスを置いた。


「ふぅ……。落ち着きますね、シュウさんの血は。相変わらず美味しいですね?」

「食生活には気をつけていますからね。品質を保つために」


 修斗は自分の腹をさすった。


「それも、職業柄っすね?」

「そうなります」


 実は、修斗も六年前まではタバコを吸っていた。それを辞めたのは、ハノンの一言があったからである。喫煙者でない方の血が、万人、いや、万吸血鬼受けすると。

 そして、カウンターに立つ以上、修斗の生活は夜型だったが、バランスの良い食事というものを心がけていた。それもひとえに、吸血鬼たちのためだ。


「ハノンさんはお元気ですか?」

「ええ。今もよく来られますよ」

「あと、誰が居たっけな。そうだ、アカリちゃんとか!」

「彼女も半年くらい前にパートナーが見つかりましてね。頻度は減りましたが、たまに来てくれますよ」


 懐かしい顔ぶれを、カケルは思い返していた。彼もパートナーが見つかるまでは、週に一度はこの店に顔を出す常連だった。ワイングラスの中身が半分になった頃、次のお客がやってきた。


「こんばんは」

「小山さん、こんばんは。濡れなかったですか?」

「私、いつでも折り畳み傘を持ち歩いているのよ」


 小山は傘を修斗に見せながらそう言った。


「あれ、小山さんじゃないですか!」

「えっと……そうだ、カケルくんだ! 久しぶりねぇ」


 今夜も良い香りを放ちながら、小山はカケルの隣にかけた。彼女はカケルが吸血鬼だとは知らない。それはおろか、吸血鬼の存在すら知らない。ただいつも、赤ワインを飲む男性だという認識であった。


「どうしたの、最近来なかったじゃない」


 小首を傾げ、小山がそう聞いた。


「引っ越したんですよ。ルームメイトができましてね」

「そうだったの。仕事は?」

「今のところ、転々としてます。落ち着いてないっすね」

「まあいいわ。シュウさん、ハイボールちょうだい」

「かしこまりました」


 修斗がハイボールを作って差し出すと、カケルと小山はグラスを打ち鳴らした。


「久々の再会に乾杯、ってとこかしら?」

「そうっすね。小山さん、変わらずお綺麗でいらっしゃる」

「でしょう? アンチエイジングしまくってるからね」


 小山が五十半ばにしてその美貌を保っていられるのも、並々ならぬ努力があってこそだとカケルは思った。そして、一方の自分は、血をすすって若さを保っている。そのことに、カケルは思う所はあったが、久しぶりの彼女との酒をまずは楽しむことにした。


「もう少しこちらにも顔を出しなさいな。オバチャンも寂しいんだから」

「ええ、そうします。次は達己にも会いたいですしね」


 そう言い終えたカケルは赤ワインを飲み干した。


「お代わりですね?」

「ええ、頼みます」


 今度は達己の血を入れた赤ワインを修斗はカケルに出した。ピリッとした舌触りに懐かしさを感じたカケルは、思わず笑みをこぼした。


「カケルくんっていつも赤ワインよね。せっかくなんだから、他のも飲めばいいのに」


 小山がカケルのワイングラスを指して言った。


「小山さんこそ、いつもハイボールでしょう?」

「あはっ、そうだった」


 こうして、吸血鬼と人間は、互いの素性をきちんと知らないまま、楽しい一夜を過ごした。

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