08 一博

 冬馬が意識を手放した深夜二時過ぎ。修斗と達己は店を閉めた。アカリとハノンが去った後、入れ違いに人間のお客がやって来ていたのだ。トイレもしっかり清掃し終わった達己は、修斗に声をかけた。


「こっち、終わったぞ。今夜はどうする?」

「あら? 達己もまだ飲み足りない気分ですか?」

「そういうこと。ハノンさんが来たろ? 何だか疲れちまってよ」

「じゃあ、カズさんのところへ行きますか」


 そして二人は、自分たちの店からほど近い「Meteolightメテオライト」というショットバーに入った。ここはオープンが遅い代わりに、朝五時まで開いている。


「おっ、修斗と達己じゃないか」

「どうも、カズさん。ご無沙汰してます」


 この店の店主、一博かずひろは、バーテンダーとしての修斗を育てた人物である。年齢は五十歳。やや癖のある白髪交じりの髪をしており、うっすらとヒゲを生やしていた。


「今夜は混んでますね」

「ちょっと詰めてもらうわ。済みません、お客様……」


 ここの店も修斗の店と同じく、カウンターのみ十席だ。詰めてもらってようやく滑り込めた二つの席に、彼らは座った。


「俺、ハイボールで」

「僕も達己と同じものを」

「はいよ」


 一博はデュワーズという銘柄のウイスキーを取り出した。これが二人のお気に入りなのだ。一博が慣れた手つきで氷をステアするかきまぜる様を、達己はじっと見つめていた。やはり、他の誰かに作ってもらって飲む酒は旨そうなものだなと思いながら。

 それから達己はタバコを取り出した。すでに灰皿は準備されていた。フリント式のライターで火を付けると、彼は心底疲れた様子で、煙と共にため息を吐き出した。それを見た修斗は薄く微笑みながら言った。


「そんなに緊張します? ハノンさんって」

「緊張っていうかよ、掴みどころが無い所が苦手なんだよ」

「確かに、彼にはそういう所がありますね」


 ハイボールが二杯、運ばれてきた。二人は乾杯した後、ほぼ同時にグラスに口をつけた。やはり、一博の作る酒は旨い。疲れた心身に、アルコールが染みわたっていった。


「けど、ハノンさんが居なければ、今の店は無いですからね」

「確かにな。俺もこうしてバイトすることも無かった」


 達己が酔血持ちだと気付いたのは、ハノンだった。客として一緒に飲んでいるときにそれを指摘され、吸血鬼の存在も知ったのである。それから、大学卒業後の進路が決まっていなかったこともあり、達己は修斗の元でバーテンダーになることを決めた。


「俺、今の生活は気に入ってるからさ。苦手だけど、感謝はしてるんだ」

「それは良かった。僕も一応上司ですからね。部下の仕事の満足度は気になりますよ?」

「おう、しっかりした経営者目線になってきたじゃねぇか、修斗」


 二人の会話に、一博が割って入った。


「そんな、まだまだですよ、カズさん」

「まだ独立して五年だろ? それにしては、よくやってる方だ。俺なんか、もっとメチャクチャだったからな。修斗は本当にしっかりしているよ」


 さすがの修斗も、師である一博に褒められると照れてしまった。それを隠すように、ハイボールをもう一口含み、顔を伏せた。一博には、そんな様子が可愛らしく思えた。歳は親子ほどは離れてはいないが、彼にとって修斗は息子のようなものだった。

 そして、修斗が息子なら達己は孫だ。一博は達己に話しかけた。


「達己、お前もよく頑張っているみたいだな」

「そうっすか?」

「修斗の店の評判、うちでも聞くことがあるからな。一人で立つ日もあるんだろう?」

「げっ、さすがこの界隈、噂とか筒抜けっすね」


 苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた達己。そういう素直な表情の動きが、彼の特色でもあった。今は客席に座っているということもあり、彼はいつもよりも一層リラックスしていた。


「実際、達己はよくやってくれていますよ。そういえば、カズさんのところはまだ人手が集まらないんですか?」

「そうなんだよ。正直、達己をうちに欲しいくらいだ」


 一博の店には、現在アルバイトが居なかった。五十を超えて、足腰にもガタが来ていた一博にとって、たった一人で店を回すことはかなりキツく、いつも募集をかけていた。応募はあるにはあるのだが、採用の時点で断っていたり、入れても続かなかったりで、結局自分だけでカウンターに立つ日々が続いていた。


「達己は渡せませんよ? うちの大事な子ですからね」

「おっ、愛されてるなぁ達己?」

「シュウさんもカズさんも調子いいんだから……」


 達己はハイボールをぐっと飲み込んだ。それから、タバコを灰皿に押し当てて火を消した。周囲の客たちは、かなり出来上がっている様子であり、歓声が湧いていた。


「カズさん! ショットいきましょう!」


 他の客の一人が大声を上げた。


「承知いたしました」


 一博はショットグラスとレモンを準備し始めた。この様子だと、これ以上一博と話すのは難しそうだと察した修斗と達己は、喧噪をBGMに二人でゆっくりと酒を進めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る