06 ハノン

 アカリが店に着いたとき、まだハノンの姿は無かった。他のお客もいない。


「おや、二日連続ですか? 珍しいですね」


 脩斗がそんな声をかけた。


「今夜はハノンに呼び出されたの」

「えっ、ハノンさん来るの?」


 達己は正直、ハノンが苦手だった。あの吸血鬼が何年生きているのか彼は知らないが、相当に高齢らしく、何もかも見透かされているような態度を取られることがあるので、出来れば遠慮したいお客の一人だった。

 しかし、今夜は脩斗も居る。ハノンは彼に任せておけばいいだろう、と達己は楽に構えることにした。


「正直、断りたかったんだけどね」

「まあ、彼も娘のことが心配なんでしょう。だから定期的に連絡が来るのでは?」

「だろうね。子離れしろっつーの」


 ハノンはアカリの「親」だった。吸血鬼になるには、吸血鬼の血液を大量に飲む必要がある。それは吸血鬼にとっても命懸けの行為で、そうやすやすと同族を増やすことはしない。二人の間に何があったのか、達己は知らなかったが、知らなくてもいいことだ、とそういう質問をしないようにしていた。


「やっほー! アカリ、先に来てたんだね」


 白銀の髪をボブカットにした、麗しい吸血鬼、ハノンの来店である。小柄で可憐な容姿から、スーツを着ていなければ少女にも見えるような出で立ちだが、れっきとした男性だ。彼はジャケットを脱いで達己に預けると、アカリの左隣に座った。


「今来たところだよ、ハノン」

「じゃあ丁度よかったね。ブレンドにする?」

「うん」


 脩斗は小瓶を二つ取り出した。ブレンドとは、脩斗と達己の血を混ぜて飲むという意味だった。ハノンはそれが大好きなのだ。


「かんぱーい」


 ハノンが調子のいい声をあげた。ワイングラスを打ち鳴らし、親子のやりとりが始まった。


「アカリ、弘治とは仲良くやってる?」

「喧嘩して仲直りしたとこ」


 アカリは足を組んだ。ハノンは手をひらひらとはためかせた。


「なになに? 何で喧嘩したの?」


 濁したところで、どうせハノンの質問責めが激しくなるだけなので、アカリは正直にあったことを話した。脩斗と達己は、彼女たちが仲直りしていたことに安堵した。


「せっかく若い酔血持ち見つけたんだから、大事にしなよ?」

「はぁい」


 アカリはちびちびと赤ワインを飲んでいた。今夜はそんなに多く飲みたくなかったのだ。ハノンは違い、あっという間にお代わりを要求した。

 そして話題は、達己のことに移った。


「すっかり一人前になったよねー。カウンターに立ち始めたときなんか、あんなにまごついていたのに」

「俺の話はやめてくださいよ、ハノンさん」


 達己は視線を泳がせた。


「あの頃は可愛かったよね? 今も可愛いけどさ」

「もう……」


 見た目だけは自分よりも若く見える吸血鬼にそうからかわれるのだ、達己はすっかり辟易していた。ハノンとの付き合いは、自分がまだお客だった頃からだった。達己は彼から顔をそむけていた。


「あまり達己を虐めないであげてくださいよ、ハノンさん」


 脩斗が口を挟んだ。


「ボク、虐めてないよ? 可愛がってるだけだもーん」


 口をとがらせた後、ハノンはカラカラと笑った。彼が店に居ると、すっかりペースを持っていかれてしまう、と脩斗は苦笑いをしていた。そして、今度はこちらから仕掛けてみることにした。


「僕のことは可愛いと思ってくれていないんですか?」

「脩斗はねー、出会ったときにはもう育ちきっちゃってたからね。可愛いっていうのは無いよ」

「それは残念です」


 脩斗はハノンと出会った頃のことを思い返した。それは六年前のことだったが、長い年月を生きるハノンにとっては、そんなに昔のことでは無いのだろうと脩斗は考えた。実際、ハノンにとってみると、脩斗がこの店を開いたのはつい最近のことだった。


「この店も五年になるんだっけ?」

「ええ、そうですよ」

「すっかり貫禄ついちゃって、可愛くないけど、カッコいいよ、修斗は」

「ありがとうございます」


 ハノンは他人に素直さを求めるが、自身も正直者だった。修斗を褒めたのも、本心から言ったことだった。それを修斗はもちろん、この場に居る全員がよく分かっていた。

 結局、アカリがハノンから解放されたのは、日付が変わってからだった。ハノンは「娘」に会えた嬉しさと、酔血の作用から、至ってご機嫌な様子で彼のパートナーの待つ家へ帰って行った。

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