05 吸血鬼の一日

 アカリは昼の一時頃に目を覚ました。カーテンから、秋の柔らかな日差しが漏れていた。彼女くらいの吸血鬼ともなると、日光は何ということもなく、サングラスさえすれば普通に日中も出歩けた。

 しかし、昨夜飲み過ぎたせいか、アカリは頭痛がしていた。冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、グラスに注いで飲んだ。

 日中の外出ができるとはいえ、二日酔いの身体に日光はキツい。アカリは夕方になってから買い物に行くことに決め、まずはスマホゲームのログインボーナスをタップした。

 それから、散らばっていた自分と弘治の服をかき集め、洗濯機に入れた。脱水が終わるまでは、三十分といったところだ。その間に、掃除機をかけた。

 続いてアカリは台所へ行った。昨晩弘治はレトルトカレーを食べたらしい。その食器を洗っていると、洗濯が出来上がったので、皿を水切りカゴに入れて服を干しだした。

 そうこうしていると、アカリのスマホに連絡が入った。


『今日、シュウさんのとこ行こうよ』


 送り主は、ハノンだった。アカリはすぐには返さなかった。ベッドにごろりと寝転がり、昼の三時頃になってようやくこう返した。


『何時くらいに行く? 弘治に夕飯食べさせてからになるから、あたしは九時くらいがいいんだけど』


 昨日の今日で、また同じ店に行くのは気が引けたが、ハノンの誘いとあらばアカリは断れないのだった。返事は矢のように早く来た。


『オッケー!』


 ハノンのお気に入りらしい、ウキウキとしたウサギのキャラクターのスタンプも一緒に届いた。最近会っていなかったが、変わりは無さそうだな、とアカリは思った。

 夕方になり、アカリは近所の業務スーパーへ行った。大根が安かったのを見て、今夜のメニューは豚汁にすることに決めた。他に必要な材料をカゴに放り込み、弘治から与えられている生活費で食料品を購入した。

 今夜の弘治の帰りは早かった。夜七時には家に戻ってきた。


「おかえりなさい」

「ん、ただいま」


 弘治は台所から良い匂いがするのに気付き、たちまち嬉しくなった。


「今夜は何?」

「豚汁だよ」

「いいね、寒くなってきたところだし」


 アカリは慣れた手付きでローテーブルを食卓に変えると、まずはこう切り出した。


「ごめん、今日もシュウさんの店行ってくる。ハノンに誘われちゃった」

「ハノンさんにか。それじゃあ仕方ないね」


 スーツから部屋着に着替えた弘治は、豚汁をすすった。固形物が食べられないので、吸血鬼の分は無い。なのでアカリは、彼の食事中は、スマホでゲームをしていた。


「おれの血、飲んでから行く?」

「そうしようかな。向こうで飲み過ぎないようにしたいしね」


 夕食を終えた弘治は、右手をアカリに差し出した。その人差し指をくわえ、かぷりと噛みつくアカリ。ぞくぞくとしているのは、二人ともだった。彼女の瞳は赤く濁っていた。それすらも弘治には愛おしかった。


「美味しい」


 歯を突き立てた箇所を、アカリは舌でぺろりと舐めた。たちまち傷口は塞がっていった。


「ねーねー、やっぱりおれの血が一番?」

「まあね」


 アカリがそう言ってくれるのを確信して聞いた一言であったが、実際に言われるとやはり嬉しいものだ。弘治は先ほど彼女が口をつけた人差し指を自分でも一口ねぶった。痛みは無く、ただ高揚感だけが彼の胸に残っていた。

 だが、今夜は出かけてしまうというのが弘治には寂しかった。仲直りをした直後なのだ、もう少しゆっくりと話をして、これからのことを考えていきたいというのが彼の気持ちだった。


「あまり遅くならないでよ?」

「ハノンが相手だからね……。善処はする」


 皿洗いをしながらアカリは答えた。こうして甲斐甲斐しくパートナーの世話を焼くことは、「親」からの教えであり、彼女はそれを忠実に守っていた。

 すっかり家事が片付くと、アカリはメイクを始めた。といっても、眉を描き、薄くアイラインをひく程度のものだったが。それを見ていた弘治は、ますます孤独感をつのらせたのだが、それは口に出さないでおいた。


「そういえば、お金足りる? 今日おろしといたから、いくらか渡しとくよ」

「ありがとう」


 アカリは弘治から二万円を受け取った。酔血を提供してくれるだけでなく、こうして飲みに行くためのお金も渡してくれるのだ。彼女にとって弘治は、本当に有難い存在だった。

 だからこそ、大切にしたいのに、どうも昨日のように上手く行かないことがある。それはひとえに、まだ二人の関係性が熟しきっていないからであった。

 前のパートナーとも、最初はいざこざが絶えなかった――。アカリは十年以上前のことを懐かしんだ。そして、素直な気持ちを口にすることにした。


「いつもありがとうね、弘治。あんたとは長く一緒に居たいから、これからもよろしくね?」


 アカリはじっと弘治の瞳を見つめた。


「うん、アカリ。おれも、アカリと出来るだけ長く居たい」


 そうして二人は長いキスをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る