第29話 美咲の話




柴は、美咲の言うことの意味が分からずに、ただ彼女の顔を見つめていた。


「……どういうこと、それは?」


ようやく言葉を見つけた。


「これが探偵が調べた調査書、こっちが香夜舞の履歴書」


香夜舞は、平成✕✕年に埼玉県越谷市で生まれ、小中と同市で過ごす。中学卒業後と同時期に親の都合により東京に移り住み、東京の高校卒業した後に、秋葉大学に入学してる、とある。


これはかぐやが提出したの履歴書で、そして探偵の報告書も同じであった。


「別に問題がないじゃないか」


二つを見比べて、柴は詰め寄るように美咲を見つめた。


「確かにね。……ただし、これは、香夜舞さんの履歴だから」


と、美咲はテーブルの上に写真を出した。


それは高校の卒業アルバムから引き伸ばしたような写真で、制服姿の女性が真面目そうな顔で写っている。ぽっちゃりとした可愛らしいタイプであった。


「?」


いきなり写真を見せられて理解できない柴。その顔を美咲は無言で見つめた。


「……まさか、この人が香夜舞だと言いたいの?」


柴の問いに美咲はこくりと頷いた。


「ハッ、バカバカしい。何を言っているんだか、分からないよ」


柴は吐き捨てるように言った。


「これが香夜舞だなんて、冗談が過ぎるよ」


「冗談なんかじゃない。これが正真正銘、香夜舞なの。そして、この香夜さんは、去年、交通事故で亡くなったの、高校を卒業して就職する矢先にね」


「だから、ただの同姓同名だろう?ついでに年齢も一緒なだけで、僕たちの知っている香夜舞とは別人だよ。一体、何なんだ?これは復讐なのか?こんな馬鹿な……」


柴は支離滅裂なことを言いながら頭を抱えた。


「じゃあ、かぐやを調べた結果は何を意味しているの?」


「多分、どこかで間違ったんだ。その探偵の調べ方が悪い、なんて探偵だ?俺が抗議……」


「私も同じことを思ったわ。それを言うと探偵は怒って、絶対に間違いないと言い切ったわ」


「それじゃあ君は、あのかぐやがこの人の経歴を騙っているって言うのか?一体、何の目的でそんなことをする必要があるんだ?」


「分からない……だけど、これだけは言える。あの人は香夜舞ではない」


「俺は信じない。大体、そんなことすぐ調べられるだろう、今まで散々、騒がれてきたんだ。マスコミが彼女の経歴を調べているはずだ。そんな見え透いた嘘をつくはずはない。俺を騙そうなんて、君はどうかしてるぞ」


柴は有無も言わさず立ち上がり伝票を手にした。


「もう会うこともないだろう。今までのことは悪かったと思ってる。さようなら」


柴は振り返らずに店の外へと消えた。


「やっぱり信じてもらえなかった」


美咲は悲しげにつぶやき、入口を見つめていた。








*        *       *       *








美咲には正直、失望した。


二人の女性を同時期に好きになったことのない柴は、裏を返せば同時に二人の女性を愛せない性格である。どちらか一方が心の比重を占めれば、もう一方を思う気持ちが急激に小さくなっていくタイプであった。


この夜の出来事が、柴の心の中に占めていた美咲をさらに小さくしたのは言うまでもない。喉に刺さった小骨を無理矢理飲みこむように家に帰った。


珍しくかぐやが早く帰っていて、リビングでパソコンをいじっていた。


「彼女と……美咲と会ってきたよ」


柴は正直に言った。


「そう……で、どうだった?」


「どうって……ちゃんと別れを告げてきたよ。彼女も納得してくれたと思う」


「フーン」


かぐやは柴の顔をじっと見つめていたが、すぐにパソコンの画面に戻った。


「それはそうと、君の御両親に話をしてくれた?」


柴が話題を変えた。


「ええ、来週の週末なら開いているって」


「そう、ありがとう。ところで気になっていたんだけど、君の御両親は何をしているの?」


「父は普通のサラリーマン、母は専業主婦よ」


「わりと普通なんだね」


「普通よ、意外だった?」


「かぐやの御両親だから、ぶっ飛んでいると思っていた」


「それは私がぶっ飛んでいるって言いたいの?」


かぐやは笑みを含んだ目で柴を睨んだ。


「へへへッ、だってそうだろう?」


「もう、そんな風に見てたの?」


かぐやがほっぺを膨らませる。








*       *        *        *








かぐやの両親とは都内の高級ホテルのラウンジで会うこととなった。その日、両親が再び田舎からやってきた。


「工場の方はどう?上手くいっている?」


柴が父親に訊いた。


かぐやは母親と仲良く化粧直しに行っていた。


「ああ、すべて順調だ。お前もうちの事は心配しなくてもいいぞ。こっちで自分の人生を築くんだ」


状況がそうさせるのか、父親の言葉には重みがあった。


「……しかし、うまい具合に融資してくれる所が現れてよかったよ。このご時世なのに」


「これも全てかぐやさんのおかげだ」


「えっ、どういうこと?」


父親の言葉に驚く柴。


「あれじゃないか、かぐやさんのご両親というのは……?」


その時、中年の夫婦が二人に向かって近づいてきたので父親が話を切った。


「柴さんですか?」


二人の前で立ち止まり、白髪交じりの長身の紳士が訊いた。隣の女性も背がスラリと高いモデルのような女性であった。


「はい。かぐやさんの御両親ですか?」


「いつも、娘がお世話になっております」


「いえ、こちらこそ。かぐやさんはもうじき来ると思います。いま、家内と化粧直しに行ってまして」


父親は落ち着かず辺りを見回す。


「初めまして、柴竜太郎です」


柴はかぐやの両親を交互に見て、挨拶をした。


「舞の父です、家内の瑤子です」


「まあ、竜太郎さん。娘から噂は聞いております、実物も素敵ですね」


「いえ、とんでもありません」


母親に言われて、照れる柴。


柴も緊張しているが、父親ほどではなかった。かぐやの両親は落ち着きはらっていた。そこへ、かぐやたちが戻ってくる。


「まあまあ、お持たしてしまいました。竜太郎の母の達子です、初めまして」


六人はラウンジの横の中華レストランに入った。少し遅れて結婚式の世話人を頼んである小坂も現れた。


事前の説明によると、結婚式の準備や列席者などの調整をしてくれるという。ベンチャー企業の社長で、父の工場の最大の融資相手だという。


「遅くなりました」


こないだの誕生日パーティーで、かぐやの横にいた男だ。


「わざわざ、すいません」


父はこの男に対して平身低頭であった。


「まあ、私が出る幕はないかもしれませんが、将来のある二人なので、非力なりにも力になりたいと思っております」


そう言って微笑んだ。初めて見た時から何となく、いけ好かない柴。


会食は滞りなく進み、会話はおもに芝の両親が、かぐやの両親に質問するという形をとっていた。


柴はかぐやの両親のそれとなく観察していた。というのが、やはり美咲のいった言葉が頭の片隅にあったからだ。


かぐやの両親は紳士淑女のように見えるが、まるっきり借りてきた猫のように大人しい。というか、演技をしてるように感じさえするほど、受け答えが一辺倒なのである。


ただ質問に答えて、出された料理を食べて話を聞いて頷くだけだ。


「舞さんは、子供の頃どんな感じでしたか?」


試しに質問をしてみると、


「それは今と変わらず頭が良くて、美人で性格も良くてない、非の打ち所がないのない子でした。なっ、瑤子?」


「ええ、本当に」


終始こんな感じだ。


大体、自分の娘をそんな風に褒めるだろうか?柴の目が不自然さを感じ始めたその時、小坂が柴に話しかけてきた。


「柴君は今年、就職なんだろう?進路は決まっているの?」


「いえ、それがどうもバタバタしてしまって……まだです」


「確か、法学部だったよね?司法試験はどうなの?」


「それが、どうしようか迷っているところです」


「だったら、どうだろう?うちの会社に入るって言うのは?」


「えっ?」


「もちろん、キチンと面接させてもらうが、こうやってご両親も知っているし、何より世話人をさせてもらっている手前、君という人となりがよくわかったつもりだ。今後、よっぽどのことがない限り採用するよ」


「本当ですか?」


柴は一瞬、喜んだが、すぐにあることに気付き笑顔が引っ込んだ。今後よっぽどとは、かぐやとの結婚が破談になった場合だろう。もしかしたら、入社の件も、かぐやが根回ししている可能性がある。


「どうしたの、何か問題でもある?」


「少し考えさせてもらいますか?」


柴は苦笑しながら、答える。


「小坂さんが折角、言ってくださっているのに……」


父親が慌てて間に入る。


「いや、まず自分の力を試したいと思っているんです。コネみたいなことじゃなくて」


「別にコネではないよ。ちゃんと柴君を評価してのつもりだが」


穏やかだが、小坂の言葉には迫力があった。


「ありがとうございます。でも、やはり、甘えてますよ。普通の大学生なら、いきなり社長面接はありませんか」


「確かにその通りだ。君のその公平さは今どき珍しいよ」


小坂は大物ぶって笑う。


その場の雰囲気が和んだが、柴とかぐやの目は冷めていた。

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