第24話 波風
初めての夜は、緊張と恐怖と痛みと喜びがいっぺんに押し寄せ、一瞬のようであり、永遠のようであり、波が行きつ戻りつ、高波が襲い、やがて静寂が訪れ、そして朝になっていた。
目が覚めると柴がベッドの隣で寝ていた。
その寝顔はたまらなく愛おしくて、美咲はしばらく見つめていたのが、すぐに自分が裸で寝ていることを思い出して恥ずかしくなって、服を着にベッドを抜け出した。
床に落ちているパンツとブラジャーを見て、自分はどうやってこの下着を脱いだのか思い出せない。
ちゃんと出来ていたのか、あれで良かったのか自信がなかった。
「よかった。寝てて」
もう一度、柴の寝顔を見つめて呟いた。正常に戻るまで、もう少し時間が必要である。
付き合うことが決まったその夜にベッドインするなんて、自分でも信じられない行動だが、その行動にかぐやが関係していたことを認めずにはいられない。
「おはよう」
柴が目覚めたのは、ちょうど服を着替え終わったところであった。
「どうした、帰るの?」
「ううん、朝食を作ろうと思って」
「そう、ありがとう」
1Kの独身用アパートなので、部屋からキッチンにすぐ行ける。
美咲は冷蔵庫を開けるが食材になるようなものは何一つない。大学生の独り暮らし、割と片付いてはいるがやはり男である。
「ちょっとコンビニ行ってくるね」
財布を持って出ようとする。
「あっ、いいよ。後で外で食べよう。それよりこっちに来て」
柴が起き上がり呼んだので、美咲はベッドに行って、端に座る。
「どうしたの?」
柴は上半身裸だった。服を着ている時は細身だと思っていたが、割と筋肉質である。すると、美咲を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめた。
「ちょっと何?」
「こうしたかっただけ」
美咲も柴の背中に腕を回し、目を閉じた。
かぐやの騒動は日を追うごとに変化していった。
デムンバールの国交問題から脱線して、マスコミはかぐやのスキャンダルを追っていた。
過去の恋愛遍歴を漁り、相手などをほじくり返して、連日雑誌やスポーツ紙などを賑わせている。
かぐやにマスコミは容赦ない取材攻撃に出て、さすがのかぐやも参っていると思いきや、まるで怯む様子もない。
のべつ幕なしやって来るマスコミにも平然と対応していた。
「人気俳優、織田祐樹さんとの熱愛報道、これは事実だったんですか?」
学内まで記者たちが入り込んで、かぐやに質問をぶつける。昼食時、学食は生徒でいっぱいだが、その一角だけはかぐやと報道陣が占拠していた。
「あなた、それ何時の話よ?」
かぐやは小さくため息をついた。
「では、IT の申し子と言われた小坂社長とは?」
「彼は近々、結婚するわよ。十年来の恋人とね」
記者が「おおっ」と手帳に書き込む。
「では、現在進行中の恋愛はいないんですね?」
記者の一人が聞くと、一斉にかぐやに視線が集まる。かぐやは僅かにハ二かんで見せてから口を開いた。
「ええ。……でも、ひとり気になる人がいます。とびっきりの本命がね」
「誰なんですか、それは?」
「やっぱり大リーガーの山田太郎選手ですか?」
「バカ、それは去年フラれたろ」
記者たちが一斉に色めきだつ。
「その人は一般人だし、それにこの恋だけは、誰も邪魔されたくないから教えないわ」
かぐやは微笑を浮かべたまま言い切った。
「そこをなんとか」
「嫌よ」
記者とかぐやとのやり取りを物珍しそうに見ている学生たちばかりではない。中には、面白くないと思っている連中も少なからずいた。
かぐやたちは反対側の席について、冷ややかな目をしている女子学生の一団がいた。その中に美咲の姿もあった。
「わざわざ学校に来ることなんかないのにね、すっごい迷惑よね?」
このグループのリーダー的存在である高宮望たかみやのぞみが鼻を鳴らす。
「そんなに目指したいのかしら」
その相方、藤堂蓮花とうどうれんかが鋭い目つきをして、かぐやの方を見て言った。
他の学生たちも同調する。
「どうかしてんじゃないの、何様のつもりかしら?あなたの友達でしょ、どうにかして」
と高宮が美咲に向かって言った。
「どうにかって……それが出来たらしているわ」
美咲は複雑な表情で答えた。
「美咲は今、それどころじゃないのよね?」
麻美が意味深な笑みを浮かべた。
「何々?」
皆が一斉に麻美の方を見た。
「ちょっと、やめてよ」
美咲が嫌そうな顔をした。
「いいじゃん、美咲が恋をしているなんて奇跡みたいな事なんだからさ」
「キャー、マジで?」
彼女たちの歓声を記者たちが何事かと思い、視線を走らせる。つられてかぐやも美咲たちの方を見る。
「相手は誰よ、教えなさいよ」
高宮が面白がって訊く。
「ヤよ」
美咲は嫌がって入るが、その顔は幸せそうであった。
柴が階段を上り、二階の図書室へ向かおうとしていた時、踊り場で女性が膝を擦りながら蹲っていた。
どうしたのか、と思いつつ通り過ぎようとすると、女性が顔を上げて目が合った。
「あっ……君は」
それはかぐやであった。
「階段から足を踏み外してしまって……全くドジよね」
かぐやはそう言って、はにかんだ。
「歩ける?」
近づいて覗き込む柴に、かぐやは自然とその腕に掴まり、立ち上がろうとする。
「痛ッ」
声を上げて、身体を柴に預ける。
「ダメみたい」
「医務室まで付き合うよ」
柴は微笑み、かぐやに手を貸した。
「ありがとう」
二人は並びながら階段を降りていく。
「美咲とはうまくいってるの?」
「まあね」
「大切にしてあげてね、あの子は何もかもが初めてだから」
「……それはそうと、珍しいこともあるもんだ」
かぐやの言葉に、柴は照れて話題を変えた。
「何が?」
「君があんなところで一人でしゃがんでいるのに、誰一人助けに来ないなんて」
「私、最近、避けられてるみたい」
かぐやは苦笑した。
「あー、そういうことか」
柴はピンと来て、なんとなく気まずい雰囲気が流れる。
「しかし、人間って冷たいもんだね。いい時はチヤホヤして、悪くなるとそっぽを向いてしまうなんて」
「それが本来の人の姿じゃないですか?」
かぐやのドライな答えに思わず顔を見る柴だが、すぐに、
「そうかなあ?僕が違うけど。良い時も悪い時も好きならずっと一緒に居たいと思うけどね」
「柴さんはそういう人ですよね」
かぐやは柴を見つめて、ボソリと言った。
「美咲が羨ましい」
二人の姿を藤堂蓮花が目撃して、それを美咲のいる前でみんなに話すのだった。
「マジで?かぐやって、美咲たちが付き合っているの、知っているんでしょ?」
高宮が美咲に尋ねる。
「まぁ……でも、どういう状況か分からないし、二人が一緒に歩いているくらい、どうってことないでしょ?」
美咲は平静を装ってはいるが、明らかに動揺していた。
「二人が寄り添って歩いていたのよ。かぐやがちょっかい出して決まってるじゃない。ねえ?」
藤堂は面白がって、大げさに言う。
「かぐやって、最低だよね。気をつけた方がいいわよ、ちゃんとかぐや見張ってないとね」
高宮がそれを煽る。
「大丈夫、私は柴さんを信じてる」
美咲はムキになって言い放った。
「なかなか言えないわよね、そのセリフ。でも、男は誰でも浮気すると覚えていたほうがいいわよ」
美咲の反応を面白がっている高宮。
美咲は、それとわかっていても、やはり気になってしまう。みんなと別れたあと、早速、柴にメールを打った。
――この後、会える?校門の前にいるから。
送信して返事を待つ。だが、いくら待っても返信は来なかった。さすがに美咲は不安になって三十分待って、電話してみるが携帯にも出ない。
もしかして手の離せない用事でもあるのだろうと思うが、頭の中で柴とかぐやが二人でいるところを想像してしまう。
不安はどんどん膨らんで、美咲は押しつぶされようとしていた。
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