第21話 急転直下






 美咲は憂鬱な朝を迎えていた。


 嫌な夢を見たからだ。大昔が舞台のほろ苦い恋の夢であった。


 自分の思いを柴に伝えられたことで昨日は満足していたけれど、目覚めると大きなものを失ったような喪失感を覚えた。


 学校に行ってもその思いは消えなかった。


「かぐやって、今頃、何してんのかな?上手くやっているのかね?」


 のんびりした午後のひと時、美咲は麻美たちと中庭でだべっていた。


「かぐやはどこへ行っても、すぐに主導権を握ってしまうから、きっと大丈夫よ」


 美咲は苦笑を浮かべて言った。


「でも、王妃でしょう?羨ましいわ。今頃どんな豪華な暮らししてるのかな?お姫様みたいな暮らしって憧れる。デムンバールって、石油でかなり儲けてるって話だもんね」


 その時、美咲たちの一団に近づいてくる一人の男がいた。


「あのぉ、鮎川さん?」


 その声に反応して、振り返ると太陽の下に柴の顔があった。


「はい」


 美咲は慌てて、柴に向き直る。


「少しいいかな?」


「はい」


 友人たちの好奇の目を背中に受けながら、柴についていくと、中庭の隅にある桜の木の下で立ち止まった。


「昨日は本当にありがとう」


 心なしか、柴が緊張しているように見える。だが、それよりもさらに美咲の方が緊張していた。


「いえっ」


「あのさ……」


「私……」


 柴は何か言おうとするのを美咲が制して先に言った。


「昨日は変なこと言っちゃってごめんなさい。酔っていたみたいです」


「いや……それより、僕は最低な男だって昨日の帰り反省していたんだ。君の気持ちも考えずにいたんだから……」


「いいんです。結構、嬉しかったし……それに、柴さんの気持ちも分かったし……」


「君はいい子だな。君と付き合えたら良かったのにと、本気に思うよ」


「え?」


「でも、ダメなんだ。君がどうこうじゃなくて、少し話したろ?大学の卒業を待たずに実家に帰らなくてはいけなくなったんだ。それに実家のことで忙しくなるだろうし……」


「そうなんですか……?」


「君ともっと早く出会えたらよかったのにな」


 柴は悲しみの笑みを浮かべ、去ろうとする。


「じゃあ、本当にありがとう」


「あのっ」


 美咲が呼び止め、立ち止まる柴。


「今日、お時間ありますか?」


「?」


「ほんの一時間でいいんです。最後にデートしてくれませんか?」


「喜んで」


 柴は微笑んだ。








 *        *        *        *








 朝一番で、かぐやは日本に強制送還されることになった。


 デムンバール国際空港では、物々しい武装した兵士たちが警備にあたっていた。どうやらクーデターを起こしたモスラムの残党が国外逃亡するのを阻止するのが目的らしい。


「あんまりいい国じゃなかったわね、デムンバールって。……あら、ごめんなさい」


 ただ一人見送りに来てくれたゴーネルにかぐやは失言を詫びた。


「いいんです、その通りですから。結局、国が潤っているわけではない。国王とその周辺だけが潤っているだけの国ですから。民は皆、苦しんでいます。いい国なわけがない」


「色々とありがとう」


 かぐやはゴーネルを労った。


「いいえ、こちらこそ。あなたには助けられましたから」


「えっ、どういうこと?」


 かぐやが怪訝な顔をしたその時であった。ターミナルに白装束の男たちがかぐやを追って走ってきた。


「かぐや、待ってくれ」


 王子である。お付きがその後を追いかけてくる。


「待って……行ってしまうのか?」


 かぐやに追いつき、息を切らした王子は尋ねた。


「仕方ないでしょう、国王に嫌われたんじゃね」


 昨夜、国王の命により、かぐやの国外追放が決まった。それは第一夫人の入れ知恵であった。


「そんなことはない、時期が悪かっただけだ。今度また来てくれれば、きっと……」


「ごめんなさい、私には時間がないの。……それにあなたじゃない」


「え?」


「いえ、いいの。いろいろ経験させて貰えて楽しかった。ありがとう、じゃあね」


 その時、かぐやの後ろに立っていたゴーネルが突如、かぐやを羽交い絞めにして、王子に銃を突きつけた。


「動くな」


 お付きたちが騒ぎ出し、警備兵がそれに気づいてやってる。


「王子、兵を撤退させろ」


「何のつもりだ、ゴーネル?」


「まだわからないのか?私はモスラムの残党の一人だ。クーデターが失敗に終わったんでな、国外に逃亡させてもらうぜ」


「バカな、逃げられるわけがない」


「そうかな?下手なことをすればこの娘の命はないぞ」


 ゴーネルはかぐやに銃口を突きつける。それに客に化けたモスラムの残党も加わる。


「かぐやは日本人だ。死んだところで私たちには何も関係のないこと」


 王子が失笑しながら言った。


「だとよ、かぐや。これが奴の本性さ。自分の事しか頭にない。しかし、王子、デムンバールの王家の誓いを忘れたのか?」


「誓いとは何だ?」


「一度、王妃と決めた女性を殺された者は、その地位を追われる。例え彼女が日本人だろうが、たった数日しか王妃の候補になかったのだろうが、ここで彼女を見殺しにした男が王位につけると思っているのか?」


「くっ」


 その間も兵士がゴーネルに銃口を向け、照準を合わせている。


「撃ちますか?」


 近くにいた側近の兵士が王子に聞く。


「待て。……銃を下げさせろ」


 王子が命令をする。


「お利口だ。もう一つ頼めるかな?ジャンボを一機、用意してもらおう」


 そう言うとゴーネルはかぐやを連れて、搭乗口の方へと向かっていく。その後を客に化けたモスラムの残党が続く。


「かぐや」


 名残惜しそうな顔で、かぐやを見つめる王子。


 搭乗口を駆け上がるモスラムの残党たち。その先頭にかぐやを人質にしたゴーネル。


「ねえ、ゴーネル」


 かぐや落ち着き払って言った。


「なんだ?」


「このまま逃げ切れると思っている?」


「逃げ切ってみせるさ」


「悪いことは言わないわ。投降しなさい。そして、正攻法で国を変える方法に切り替えるの。力になるわ」


「無駄だ。この国は変わらないさ、時間の無駄だ」


「変わるわ。時間をかけて人々に訴えかけるの。あなたにならできる」


「無理さ。今までそれに何人も挑戦してきたが、ことごとく処刑された」


「大丈夫、私には人を見る目がある。あなたならきっとできる」


 かぐやはじっとゴーネルの目を見つめる。


「あんたは不思議な女だな。あんたが言うと、本当にその通りになるような気がする」


「それじゃあ……」


「ゴーネル」


 残党の一人が叫んだ。


「機内にも敵がいる、謀られた」


「くっ」


 ゴーネルの銃を持つ手に力がこもる。


「強行突破だ、行くぞ」


 ゴーネルの合図で銃を乱射する一団。たちまち銃撃戦となる。


「このままだと殺されるわ、お願い投降して」


 かぐやが訴える。


「捕まっても殺されるだけだ。同じことさ、そういう国なんだ」


「私が何とかするから、私が王子に頼んでみる」


「無駄だ」


 ゴーネルが銃を撃とうとしたその時、かぐやが銃に手をかけた。


「あなたが死んだら、みんなも悲しむ。私も……」


 その時、兵士の一人がかぐやにめがけて銃を撃つ。それをいち早く察知したゴーネルがかぐやを庇い、背中に被弾した。かぐやと縺れるようにして倒れる。


「ゴーネル」


 その一撃で勝敗が決した。モスラムの残党は次々に射殺され、あっという間に鎮圧されてしまった。


「ゴーネル、しっかりしなさい」


「かぐや……ありがとう」


「えっ?」


 消え入りそうな声でゴーネルが言った。


「あなたはやはり、最高の女だ」


 そういうと、ゴーネルは全身の力が抜けて息を引き取った。


「かぐや、無事で良かった」


 王子の声がした。見ると、間の抜けた笑みを浮かべて近づいてくる。


「君をとっさの判断で事なきを得た。さすが私の見込んだ女性だ」


 かぐやは動かなくなったゴーネルを床に寝かせた。


 その手にはゴーネルから流れ出た血がべっとりと付いていた。そして、立ち上がると王子に近づいて行き、その頬にゴーネルの血を擦り付けた。


「何をする」


 王子は顔を背け、血をぬぐう。


「私まで殺そうとした国に、私は何の未練もないわ。帰らせてもらう」


 王子が睨むが、かぐやは踵を返し、搭乗口へと向かった。








 *       *       *       *








 初めて好きな人とデートするなら、遊園地と決めていた。楽しい時間はあっという間に過ぎて、別れの時が来た。


 駅のホームで電車を待つ二人。


「今日はありがとう」


 柴が言った。


 遊園地では、美咲よりはしゃいでいた。おかげで美咲も気負わずに自然に振る舞うことができた。


「こちらこそ。……実家での仕事、頑張ってください」


 美咲は泣きそうになるのを堪えるように微笑んだ。


「小さな町工場なんだ。この不況で今にも倒産しそうなほどのね。けど、僕が頑張って大きくしようと思っている。まあ、どこまで出来るか分からないけど」


 柴は照れくさそうに笑った。その笑みにキュンとなる美咲。


「きっと、柴さんならやれますよ」


「ありがとう」


 電車がホームに入ってきた。その時、柴の携帯が鳴る。


 しばらく様子を見守る美咲。柴は何度か頷いて小さくを吐息を漏らした。そして「わかった」と一言だけ言って電話を切った。


 固まっていた柴が、電車のドアが閉まる合図の音で我に返った。


「どうしたんですか?」


 美咲が訊いた。


「実家の会社が倒産した」


 柴は引きつった笑みを浮かべて言った。

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