第19話 デムンバール共和国
「彼女と結婚する約束をしていたんだ」
柴はぽつりと言った。
「彼女って、由美さんですか?」
「うん……あれ?俺、話したことあった?」
柴がビックリした顔をしたので、美咲は慌てて付け加える。
「前に、言ってました」
「そっか……由美とは、結婚を約束してたんだけど、破談になってね」
「そうですか」
美咲は心がざわつくのを必死に隠していた。
「結婚観の違い……早い話がそうなんだけど、僕が彼女に強く言えなかった。黙って、俺についてこいって……それがダメだったんだ」
「どういうことですか?」
「大学を卒業したら、僕たちは結婚する予定だったんだ。お互いに、弁護士を目指していたんだけど、俺の親父が体調を崩してしまって、実家の稼業を手伝うことになったんだ。それで実家の静岡に戻らなくちゃいけなくなったんだけど、彼女には東京に残って弁護士になって欲しいと思っていた。そのことを伝えたら、彼女は離れてしまうと、結婚は続かないって。僕は、彼女の夢を叶えたあとで結婚しても遅くないと思ったんだけど……どうも、そういう風には伝わらなかったらしい」
「素晴らしいですね」
話を聞き終えると、美咲は呟いた。本当に彼女のことを羨ましいと思っていた。
「えっ?」
「そんな風に思ってくれるなんて、そのことを彼女に言ったら、きっと分かってもらえれますよ。もう一度、話し合った方がいいんじゃないですか?」
「本当にそう思う?」
「はい」
美咲は笑顔で頷いた。
「そっか、なんか自信が湧いてきた気がする」
柴はその気になったようだ。
「なんか、君に話したらスッとしたよ。ありがとう」
料理が運ばれてきて、柴とは対照的に美咲には切ない晩餐になりそうであった。
* * * *
デムンバール共和国は、世界でも有数の石油の原産国として潤った国である。
その国の王子だけあって、自家用ジェットで自国入りし、大勢の国民や関係者などが空港に出迎えてくれた。
王宮までリンカーンのオープンカーで向かい、その間の道をパレードを開いて、かぐやを歓迎してくれた。まるで王女になったような扱いに、かぐやもまんざらでもない表情であった。
「気に入ってくれたかい?」
隣で国民に手を振りながら、ジュファル・ムフェが訊いた。
「とても素晴らしいわ」
「驚くのはまだ早いよ」
王子は微笑みを湛えて言った。
デムンバールの首都、アッサラームの中央に巨大な宮殿がある。そこが、ムフェ王朝のプラリントン宮殿である。
アラビアンナイトに出てきそうな玉ねぎ型の塔が立っており、黄金に輝くその宮殿を見た時、さすがのかぐやもその壮大な美しさに言葉を失った。
「君が来てくれたことを皆が歓迎してくれている。今夜はお披露目を兼ねたパーティーが開かれる。もちろん私の父と母も来てくれる」
なるほど、とかぐやは思った。これはもう、有無も言わせない婚約披露パーティーというわけだ。
どんどん事を進めていき、気づいたときには王子の隣に座っている。
その強引なやり方を、嫌いではないかぐやであったが、まだこの王子と一緒になることを決めたわけではなかった。
ジュファルは、夜の七時にパーティーが開かれると言った。それまでに、かぐやは客室に案内され、王宮専属のスタイリストにより、デムンバールのメイクと民族衣装を施させる。
裸の上に、ヒラヒラとした布を体に巻きつけていく、レースの白い布にピンクの造花のアクセントを付けて、艶やかなものだ。どこかウエディングドレスを思わせる。
王子は日本語が堪能だが、他の者たちは母国語だけなので、通訳としてムシャラミビ・ゴーネルという男がついた。
この男、細身で狡猾そうな目をしていて、口髭を蓄えた四十男だ。胡散臭い笑みを浮かべ、かぐやというより王子に取り入ろうとしている。
しかし、かぐやはこの男のことは気にもしない。それよりも王子が持つ財産がどれくらかが気になった。
王子がやってきて、この宝石を身に着けるように、と言った。手渡された宝石は、吸い込まれそうなほど真っ赤なルビーのネックレスであった。
「我が国ではルビーも原産国で、これはビジョンブラッドの中でも最高級の宝石で、時価数億円とも言われております」
ゴーネルが瞳を輝かせて説明する。
「君に似合うよ、きっと」
王子に直接、首にかけてもらう。
胸元の宝石を手に取り、ウットリしていたちょうどその時、宮殿の奥の方からさわやかな風のような音楽が流れてきた。
「さあ、パーティーが始まった。行こう」
王子にエスコートされて、会場に向かうかぐや。
宮殿の中庭で大勢の人達が集まっていた。
会場内に入っていくと、デムンバームの政財界のお偉方が次々に王子とかぐやに挨拶に来る。
「さすがは王子様、こんな美しい人を見つけてくるとは」
このようなお世辞が次々と飛んでくる。
それをいちいちゴーネルが通訳していく訳だが、かぐやはただ微笑みで返していく。
その時、バンドの演奏が止み、ドラムとトランペットの音が鳴り響いた。
「国王様が来られたようです」
ゴーネルがかぐやの耳元で囁く。
かぐやが一同の視線の先を見ると、一段高い宮殿の広間に、国王と御妃が現れた。
来賓が一斉に歓声を上げ、拍手を送る。それに手を振って返す国王は、口ひげを蓄えた恰幅の良い、いかにも王様という威厳である。隣の御妃はまだ若く、おそらく何番目かの妻だろう。
「かぐや、行こう。父に紹介するよ」
王子がかぐやの手を取り、国王の玉座の前まで連れて行く。
「父上、彼女が日本からやってきた香夜舞です」
「かぐやです。お見知りおきを」
かぐやが深々とお辞儀をした。
「おお、これは美しい。まさに東洋の宝石といったところだ」
「彼女が妃になることを許してくれますか?」
ジュファルが跪き、訊いた。
「許そう。彼女をお前の五番目の妃にすることを許す」
その瞬間、かぐやの表情が変わった。
「ありがとうございます」
王子が深々と王様に頭を下げたその時、
「ちょっと待って」
かぐやが声を上げた。
「今、五番目って言わなかった?五番目の妻と……」
「はい。すでに王子様には四人の御妃さまがおられます」
ゴーネルが言った。
「言ってなかった、のですか?」
ゴーネルが王子とかぐやを交互に見る。
「聞いてないわ。……五番目って、ありえないわよね?」
かぐやがゴーネルに問いかけるが、彼は分からない、とばかりにお手上げポーズをとる。
「私はいつだって一番よ。私の前に四人も妻がいたんじゃあ、やってられないわ」
「それは仕方のない事です。この国では何人妻を持ってもいいことになっている。もちろんあなたがナンバー1ですとも」
ゴーネルが取り繕おうとする。
「もちろんそうだろうけど、でも、やっぱりありえないわ。愛情を五分割だなんて。それに、そんな昔は風習を現代まで続けているなんて……女をナメてるわ」
「言葉遣いに気をつけた方がいいぞ。この国は日本とは違うんだ」
王子が表情を険しくする。
「あら?自分の思い通りにならなければ、今度は脅すわけ?」
「何?」
二人の間が険悪なものとなる。
「まあまあ、二人とも落ち着いてください」
ゴーネルが間に入ろうとする。
「うるさい」
二人が同時にそれを一喝する。
「ホホホホッ、実に仲がよい」
それを見ていた国王が大きな声で笑いだす。
「喧嘩するのは仲の良い証拠。ミスかぐや、あなたほどの気の強い女性が、ジュファルには合っているかもしれない。なに、前の妃は全て私が彼にあてがったモノ、本心から求めたのは、あなたが最初だよ」
国王の大らかな態度にかぐやの威勢も萎えていく。
「私はまだ、あなたのことも、この国のこともよく分かっていないみたいね」
かぐやがジュファルの目を見つめて言った。
「もう少し時間が必要みたい、お互いにね」
「君が気に入らないなら、四人の妻たちには暇を出せばいい。それでいいかい?」
かぐやが頷く。二人の間に、目には見えない絆みたいなものができていた。
その時、突如、宮殿の外からけたたましい爆発音とともに黒煙が舞い上がった。
楽しい宴にいた来賓客たちが一斉に動揺し始める。
国王の元に、憲兵たちが慌てて駆け寄ってきた。
「国王様、大変です。クーデターが起きました」
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