第18話 白馬の王子





 さっきの店は『ルザール』というフレンチを手軽にしたレストランであった。


 美咲は小走りに店の前まで来ると、すでに閉店になっていた。 


 大きくため息をつく美咲。


「いつもタイミングが悪いんだから、もう……」


 せっかく決心がついたのに、柴を見失ってしまった。どうしようかと思案している時、ふと、店の脇の花壇の縁に蹲っている男を見つける。


 どうやら酔い潰れているようだ。 避けて通ろうとした瞬間、その服が、さっき会った柴と同じことに気づく。


「柴さん?」


 美咲が近づいて、おずおずと声をかける。


「んん?」


 柴は眩しそうな表情で顔を上げ、すぐに顔を伏せて寝る。


「柴さん、大丈夫ですか?」


 しゃがんで柴の肩を揺さぶると、柴はまた顔を上げて、美咲を見る。


「しっかりしてください、家はどこですか?送りますよ」


「いいよ、ここで寝る」


 酒臭い息を吐いて、また顔をうつ伏せにする。相当酔っているらしい。


「こんなところで寝たら風邪ひきますって。さあ、立って帰りましょう」


 柴は項垂れて立ち上がり、美咲の誘導に従うと思ったら、逆の方へと歩いていく。


「そっちじゃないですよ。駅はこっちです」


 それを引っ張って行こうとする美咲。その時、ふらついた柴が、美咲に寄りかかるように抱きついてきた。


「きゃっ」


 それを受け止める美咲。二人は一瞬だけ、抱き合うような格好になった。柴を振りほどこうとする美咲の力は弱々しいものであった。


「放してください」


「ゆ、由美」


 それは確か、元カノの名前であった。


 美咲はショックで動けずにいると、突然、柴の方が勢いよく離れて道の隅に前傾姿勢となり、次の瞬間、声を上げ、汚物を吐き出した。


 通りかかった公園で、少し酔いを覚ますことにした。ベンチに二人座り、美咲に寄りかかるようにして目を閉じる柴。


 眠っているかと思えば、時より「グわー」っと、酒臭い妙なため息を漏らす。


「いったい、どんだけ飲んだんですか?」


 虚しい独り言が静かな公園に消える。


 見上げると半分かけた月が、ビルの谷間からこっちを見つめていた。時おり吹く風が生温かく、柴の酒臭い息が混じっている。


「好きです」


 消え入りそうな声で呟く美咲。


 柴がまた「ぶあー」と酒臭い息を漏らす。


 当然、聞こえてないだろ。だが、美咲の心臓は高鳴り、顔が熱くなっていた。


 その時、突然柴がスッと目を開けて、座ったまま「うーん」と伸びをした。


 ビックリして柴を見る美咲、柴は立ち上がり、「さ、帰ろう」と独りごとを言って歩き出す。


「好き」の一言に気付いての反応ではなさそうだ。美咲はまたフラつく柴の支えになるよう、ついて歩くのであった。








 *       *       *       *








 翌朝、学校に行くと人だかりが出来ていた。


 学舎の中庭に長い白のリムジンが止まり、黒のサングラスをかけた厳つい外国人が、車を取り囲んでいた。


 そして、映画のワンシーンのようにリムジンから降りてきたのは、中年のハゲで小太りのオッサンであった。


「誰だ、あの人は?」


 生徒たちが噂している。


 ボディガードに守られながら、中年のオヤジが学舎に入っていく。美咲には、だいたい中でどういうことが行われてるのか予想ができた。





 講義室の一角を占拠して、かぐやが女王のように教壇の上に座り、先ほどは中年オヤジがその前にやって来る。


 その周りには多くの年齢も国籍もバラバラな男たちがかぐやを取り囲んでオヤジの動向を見守る。


 そして、一礼すると、 SP に合図する。 SP は黒い小箱を取り出して、かぐやの前に差し出し、箱を開ける。そこには眩いばかりのダイヤの指輪が入っていた。


「おおおっ……」


 男たちの間から歓声が上がり、かぐやへと視線が移る。


 しかし、かぐやはダイヤの輝きすら敵わない大きな瞳で、中年オヤジを見つめ、「ごめんなさい」と一瞬で葬り去る。その瞬間、教壇を取り囲み座る男たちが一斉に歓声を上げる。


 厳ついボディーガードたちが反応するが、オヤジはそれを制する。


 中年オヤジはガックリと肩を落とし帰ると思いきや、ギャラリーに混じり席に座る。


 どうやら教室にいるたくさんの外国人は皆、インターネットでかぐやの花婿候補としてやってきた男たちらしい。隅の方にはマスコミらしきカメラを構えた男たちもいる。


「どこから来たのですか?」


「私はハンガリーから来ました。この日のために仕事を辞めました、でもダメでした……」


 片言の日本で答え、首を振る。


 その男が入ってきた時、ギャラリー中から驚きの声がちらほら上がった。


 長身の浅黒い端正な顔立ち、真っ白な歯が光る異国人。民族衣装のようないで立ちで、お付きを従えて教室に入ってきた。その表情には自信と高貴な育ちの良さが滲み出ていた。


「ジャヌンバル共和国の王子、ジュファル・ムフェであらせられる」


 かぐやの前に立ったお付きの男が宣言した。


 すると、かぐやは教壇の上から降りて、初めて自分から頭を下げた。


「今日はあなたの為に、海を渡って遥々日本にやってきました。私の妻になってください」


 と膝まづき、手を差し出す。


 ジュファル・ムフェは、年齢二十代中盤といったところか。日本語も上手く笑顔も素敵である。


 ギャラリーからブーイングとも歓声ともつかぬ声が上がる。


「一ついいですか?」


 かぐやはその笑顔を見返して訊いた。


「どうぞ、なんなりと」


「私はとってもわがままですよ。殿下を困らせるぐらいにね」


「妻の我がままを聞くのが夫の役目。これは万国共通ではありませんか。それに私の国のことわざでは、『妻を喜ばせることが、夫の日々の努めの一つである』という言葉があります。何もない国ですが、あなたを退屈させるようなことは決してありません。一緒に来てください」


 ジュファル・ムフェは引きつづき、手を伸ばす。


「分かりました、お供します」


 かぐやはその手を取った。


 歓声が教室中から沸き起こる。








 *       *       *       *








 かぐやの相手が決まったことを美咲は講義の終わり、噂で聞いた。


 あのかぐやもついに年貢の納め時かと思ったが、美咲には、どうもすんなりいくように思えなかった。結婚する気があるのかさえも疑わしい。


 また何か、無理難題を突き付けられやしないかと、携帯の電源を切り、午後の講義はサボることにした。


 校門を出ようとしたところで、柴とばったり会った。


「あっ、どうも……」


 美咲の心拍数は一瞬で跳ね上がった。


「やあ……昨日は……」


 柴は、何となくバツが悪そうに視線を逸らした。


「覚えていたんですね、私が介抱したことを?」


 柴の反応を見て、美咲のいたずら心が沸き上がった。


「それが、あんまりよく覚えてないんだけど……君が介抱してくれたことだけは覚えている。ありがとう」


「いいえ、気にしないでください」


 美咲は微笑んだ。


「随分、かっこ悪いところを見られちゃったよね」


 柴は照れくさそうに微笑んだ。その笑顔が美咲の心を急速に和ませる。


「そうですね、本当に」


 美咲が冗談ぽく言って、一気に距離が縮んだような気がした。


「本当に悪いと思っているよ、もう酒は一滴も飲まない」


 柴の極端の言葉に美咲は目を丸くする。


「そうですか……」


 だが、一気に高まった親近感も会話が弾まず、急速に衰えていく。


「じゃあね。……本当にありがとう」


 柴はお礼を言って行こうとする。それを呼び止める術を美咲は思いつかない。


「また……」


 二人がすれ違うように一歩を踏み出したその時、柴は振り返り、徐にいった。


「お詫びも兼ねて、今夜、食事でもどうかな?」


「はい」


 美咲は即答した。


「じゃあ今夜七時、デンフルの前で待ってる」





 デンフルに七時にやってきた美咲は、ここ数ヶ月で覚えたメイクと洋服のセンスを最大限に発揮し、派手すぎず、地味すぎず、それでいて清楚で、どうか一味違うキラメキを持った女の子になっていた。


 当然、すれ違う男たちは美咲を振り返り、店の前で待つ柴は一瞬、見とれてから声を発した。


「……なんかイメージが違うね」


「そうですか?どこか変ですか?」


 美咲は柴の言葉に不安げに自分を見回した。


「いや、その、すごく素敵だと思って。……あの、立ち話もなんだから入ろうよ」


 柴は照れくさそうに言って、先を歩き、店のドアを開けた。


 ジャーファルはこの近辺では一二を争う人気のレストランである。ロマンチックな雰囲気をした店内にはカップルで埋め尽くされていた。


「ここ一度入ってみたかったんですけど、カップルじゃないと入れないから断念していたんです」


 席についた美咲が店内を見回す。


「君なら相手に事欠かないでしょう?」


 注文を待つ間、二人は周囲のロマンチックな雰囲気に飲まれていく。 


「そんなことないです、私、モテませんから」


「そうは見えないけどね。多分、君の普段の雰囲気が、男を寄せ付けないようにしているんだろうね」


「そうかもしれません。私、男の人と付き合ったことないんで、どうしていいかよくわからないです」


 美咲は素直に言った。


「ふーん、意外だよね。でも、君が告白すれば大抵の男は OK するんじゃないかな?」


「本当ですか?」


「多分ね、でも相手をよく知らずに告白しない方がいいよ。恋愛は難しいからね。実は僕も今、恋愛に悩んでいる一人なんだけど、昨日、あんな醜態を晒していたのも、そのせいなんだけど……」


 一気に告白するチャンスが巡ってきたと思いきや、話の雲行きが怪しくなってきた。

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